第1砲台跡三叉路から、島の北側へと続くトンネルを抜ける。
加農砲があったとされる丘の下を通るトンネル。ここはもともと明治時代に弾薬庫として
使用されていたそうだが、昭和時代に奥の壁が取り払われ交通路に改装されたとの事。
そのため三叉路側の入口の小ささに対し、奥の出口は非常に大きく開いた構造になっている。
そんなトンネルの先で道は3方向に分岐。左の道は日蓮洞まで100m、
右の道は展望台まで150m、右奥へ続く道は広場まで80mとなっている。
そんな分岐の中から、まずは日蓮洞に向かうべく左の道へと進む。
途中、道の隅が丸く開けた場所があった。おそらく、ここが昭和時代に設置されたとされる
75mm高角砲の砲座の内の1箇所なのだろう。現在はコンクリートの隅に樹木があるだけだ。
そんな砲座跡から程なくして、もう1つの砲座跡へと到着。こちらは結構広いスペースがある。
ここが島内最北端となるエリアだ。ここの隅にも立入禁止だが切り通しと思われる跡があった。
砲座エリア中央に設置された砲台跡の説明板。明治時代に配備されたカノン砲はフランス製らしい。
このエリアの隅から海の方へと続く階段がある。日蓮洞は、この階段を30m下っていった先のようだ。
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加農砲があったとされる丘の下を通るトンネル。ここはもともと明治時代に弾薬庫として
使用されていたそうだが、昭和時代に奥の壁が取り払われ交通路に改装されたとの事。
そのため三叉路側の入口の小ささに対し、奥の出口は非常に大きく開いた構造になっている。
そんなトンネルの先で道は3方向に分岐。左の道は日蓮洞まで100m、
右の道は展望台まで150m、右奥へ続く道は広場まで80mとなっている。
そんな分岐の中から、まずは日蓮洞に向かうべく左の道へと進む。
途中、道の隅が丸く開けた場所があった。おそらく、ここが昭和時代に設置されたとされる
75mm高角砲の砲座の内の1箇所なのだろう。現在はコンクリートの隅に樹木があるだけだ。
そんな砲座跡から程なくして、もう1つの砲座跡へと到着。こちらは結構広いスペースがある。
ここが島内最北端となるエリアだ。ここの隅にも立入禁止だが切り通しと思われる跡があった。
砲座エリア中央に設置された砲台跡の説明板。明治時代に配備されたカノン砲はフランス製らしい。
このエリアの隅から海の方へと続く階段がある。日蓮洞は、この階段を30m下っていった先のようだ。
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