人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

大和魂を持ったネパール人柔道家の挑戦②

2013年01月30日 | ネパール
前回からの続編です。

私が流れ着いたネパールの柔道場。

朝から子供たちが元気よく柔道をしている。

そして、ある時間になると一斉にいなくなる。

不思議に思ったのでついていってみると、

そこは学校のような場所だった。

教室があり、勉強道具があり、ベッドもある。

ベッド!?

先生に聞くと、

「ここはストリートチルドレンをピックアップして、サポートしている施設。

良くない生活環境(クスリや盗みなど)で生きてきた子供たちにとって、

柔道は“礼に始まり、礼に終わる。相手を思いやる精神がある”。

だから、導入している」

とネパール人柔道家のダルマ先生が話してくれた。

5歳から続けている柔道がこんな遠く離れた国でも、

形だけ伝わるのではなく、精神から伝わって役立っていることに

心が熱くなり、嬉しくなった。

「できることがあったら、何かします」

そう言って、私はネパールを後にした。



それ以来、

日本からは柔道着や畳を送っている。

費用も最初は個人でやっていたが、

柔道着送付をサポートしてくれる企業も現れた。

畳を送る際も、多くの人が協力してくれたおかげで奇跡的に送ることができた。


ネパールのダルマ先生やCWCN(ストリートチルドレンをサポートする団体)は、

志高い日本の若者の将来のための糧になる経験のために、

将来教員を志す大学生達を中心に今までに20名ほどの人が

ストリートチルドレンの施設で先生体験をしたり、

子供たちと寝食をともに受け入れてくれている。


そして、日本から皆の熱き想いで送った畳のある柔道場

(首都のカトマンズから約1時間離れた山村のような場所)で、

【CWCN カップ】 というネパール全土から柔道をしている

子供たちを招聘して、健全な精神のために柔道があることを世に知らせるとともに、

子供たちの明るい未来のために開催することが決定されてすでに動き始めている。

開催は、2013年2月9・10日

もうすぐ第一回目の大会が行われる。

今回、私は行くことができないのだが、一緒に支援している

柔道部の監督が招待されて行くことになっている。



ゼロから事を起こすことは大変だ。

そして、ネパールでは大会を開く際は、出場者に対して主催者側が

お金を払ってもらって来てもらう風習がある。

金額面等で苦戦していることを知った。

いずれは風習等がいい意味で変化して、

ネパール独自で開催できればいいが、

こうして互いに協力していいと思ったことを続けてきた以上、私もできる限りのことをしたいと強く思う。



多くの人々に親切を受けてきて、“今”があるのだから、

その恩送りをしていきます!!



もし、このブログを読んでくれている奇特な皆さんの中で

協力してくださる方がいれば、ご協力お願いします!!


近日中に

【チャリティーカレンダー】

を販売しようと思います!!

販売方法は今週中にはこのブログで記載しますので、

どうぞよろしくお願いします!!









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大和魂を持ったネパール人柔道家の挑戦!!①

2013年01月30日 | ネパール
 私は大学在学中に就職活動に全敗している。

そのおかげで、卒業後は定職に就かずにお金を貯めては、

海外に旅に出る生活をしていた。


「せっかく大学を卒業したのに、何やってんだ…」


多くの人に冷たい目で見られて、色々と言われた。

 
 大学在学中は、柔道、勉強、アルバイトの日々。

経験をしていないのだから、視野が狭い。

しかし、視野が狭いということさえ分からなかった。



ただ、漠然と


「世界を旅したい」


という想いを胸に、柔道着をバックパックに詰め込んで、

不安とわくわくが入り混じった中、旅に出た。


「現地の人と同じ食事をする」をルールに、下痢を「当たり」でツイテルと考え(笑)、

話せない英語と日本語を入り混ぜ武器に、ボディーランゲージで交流した。


ガスも電気もないタイの山奥の村で受けた恩

インドの生きるために日本語を覚えた悪ガキの諦めない精神

カンボジアで手足を失った子供たちの熱き夢



どんな環境でも、

「今」を一生懸命に生きている人々がいて、

見ず知らずの私に親切にしてくれた。



こうして、私で自分の人生や価値観が150度くらい変わった。

そんなこんなで、

私はネパールという国で柔道場に流れ着いた。

続く


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一人の“漢”の人生を変えた2週間

2012年07月25日 | ネパール
 2012年7月2日~15日は一人の“漢”にとって人生を変えた2週間となった。

その“漢”はダルマ先生。

ネパールで三輪のタクシー会社のマネージャーというビジネスマンであるとともに、

ストリートチルドレン達に柔道を教える柔道家でもある。

私とは2007年から交流があり、2年越しの約束で、やっとビザがおりて日本に招待することができた。
(この件は⇒http://blog.goo.ne.jp/weed_soul5669/e/4606f0f4df938839fe4abae09b1fa48c

その2週間、本当に多くの人々の協力を頂いて、ダルマ先生はたくさんの経験をすることができました。

「必要な時に、必要な人が現われて、必要な手助けをしてくれる」

まさにそんな2週間でした。

埼玉大の学生達の協力によるネパールに訪れたことのある学生達との再会






海外大好き同じ歳の仲間のお台場&講道館案内



ドリーム富士登山参加





実は、ダルマ先生とネパールの屈強なガイドシャムさんの2人で強風の中、頂上にトライしてました。

そして、なんとか富士山頂に到着。下山通常ルートがなく、道に迷うアクシデント。

しかし、持っている男は何かが違います。横切るルートを走り、何とドリーム富士登山の閉会式の
本当に最後に到着。このタイミングに到着とは鳥肌が立ちました。



そして、急遽行ったチャリティー講演会。
15名を超える方が参加して、ネパール・日本の相互の交流を行いました。





また、ネパールでお世話になった社会人の方々もダルマ先生を日本で出迎えてくれます。

世界を股にかけるダンサーとして、有名な飯田茂実さんの鎌倉案内。


日本コアコンディショニグ協会の事務局二人の伝統的!?日本案内。


また、日光江戸村では、あるアトラクションで100名近くいる中で殿様役に抜擢!!




私の母校であり、全国でも柔道の強豪校として名を馳せる國學院栃木高校柔道部に訪問


栃木県内の中学校の強豪校として有名な下野市国分寺中学校に出げいこ




幼稚園~高校までの先輩である山口大作さんの計らいで、お神輿を体験




山口家でホームスティー体験(ダルマ先生と一切英語を話せない父親と柔道談義が2時間くらい続きました…)


最後の送別会も18名の方が参加。(日本の学生もフラスター柔道部もネパール人達も国境を越えて交流)




来日当初、私はダルマ先生からある提案を持ちかけられました。

その提案に対して、私は今回はちょっと難しい…と思いました。

しかし、2週間後その提案は、絶対できるし、可能だと思いました。

その2週間でお互いに成長しました。

一人では難しいことも、多くの人々の力で協力して行えば可能だということを身をもって実感しました。

ダルマ先生からも言葉に言い表せないほどの皆さんへの感謝がメールで届いています。

本当に本当にありがとうございます!!






ダルマ先生と日光江戸村に行ったとき、

ある男の文字の前で一瞬立ち止まっていました。

日本語など分からないのですが、きっと何かを感じてその男の前で立ち止まりました。

その男の名前は、坂本龍馬。



「人おのおのが志を遂げられる世の中にしたいものだなぁ。」


大和魂を持ったネパール人がこれから、

一つの国を変えていく!!

そんな気がしました。

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人生を変える2週間!!

2012年07月15日 | ネパール
 2週間日本に滞在したネパールから来たダルマ先生が本日、帰国しました。

必要な時に必要な人が現れ、たくさんのサポートをしてくれました。

お台場、大学、鎌倉、スカイツリー、築地、講道館、、富士山、すこやか整骨院、

日光江戸村、太平山神社、国学院栃木高校柔道部、国分寺中学校柔道部、下古山神輿…

本当に多くの人々と交流し、相互に色々な話をしていて楽しそうでした!!

 たった2週間という短い時間かもしれませんが、ダルマ先生は人生を変える2週間になったと言っています。

そして関わった人にとっても、魂の共鳴する一時になったと思います。

サポートしてくださった皆さん、

本当にありがとうございました!!

多謝!!


  ドリーム富士登山2012の話やダルマ先生滞在記などのんびりアップしていきます!!



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今、ネパールでは・・・

2012年05月30日 | ネパール
 ネパールの心友ダルマ先生を日本に招くために、

現在動いている。各種役所等に行き、書類を揃えネパールに送った。

それでも、ビザがおりるかどうかは50%だという。



 日本に来た際には、富士登山、被災地訪問、日本のNPO等の見学などを予定している。

そして、これを実現させるために4月からネパールで働いている古屋君が動いてくれている。



 最初からうまくいくことなど数少ない。

 うまくいかないから、なんとかなるようにする。



現在、ネパールに住む古屋君のFACEBOOKの投稿が印象深かったために、

引用させていただく。

以下、引用文

ネパールで初めて「憲法」というものが作られた。町の外では号​外をばら撒き、憲法の制定に狂喜乱舞する有様もうかがえる。
「ネパールに憲法が制定すれば、これからのネパールはきっと変わ​るはずさ。我が国はもっと発展する。」
そんな記念すべき日に私も立ち会えて光栄である。

 ここ1カ月の憲法制定への国の混乱を見ていると、大日本帝国憲​法制定当初の明治時代の日本もこんな感じかなと、さながらタイム​スリップしたような感覚だ。あそこで演説している人は髭を生やし​ているの感じが板垣退助だ。風貌はバンカラだが会話の節々に知的​さを漂わせるあの学生は後の夏目漱石かな。大河ドラマの世界に迷​い込んでしまったと心の中でにやけながら、カトマンズ市内を歩い​ている。もうしばらく滞在すれば文明開化の鐘の音でも聞こえてく​るだろうか。

 私はこの国では孤児院の職員と子どもたちと共に生活をしている​。ネパールには貧困地帯、いわゆるスラムが数多く点在する。この​孤児院ではいくつかのスラムを援助するため、スラムに小さいなが​らも学校や育児所を建て、養育困難な家庭の子どもたちを孤児院で​引き取り支援をし続けている。私もネパールに来る度に、スラム地​域の学校、育児所を訪問していた。
 
 4度目のネパール訪問。国の方針により私が訪れていたスラムの​撤去が決定したと聞かされた。衛生上、治安の問題、国の景観を守​るためにこのスラム地域に公園を作るらしい。そして先週、スラム​の強制撤去が施行された。スレッジハンマーを振り上げ、全てをな​ぎ倒すネパール政府。スラムで生活していた人はなす術もなく倒壊​していく我が家を見つめるしかなかった。翌日には家も学校も育児​所も跡形もなく粉砕され、家具などの残骸が痛ましく胸に残る。こ​れからの生活に対してネパール政府からの支援は一切ない。今はN​GOが仮住まいのテントと炊き出しをして生活している。

 スラム、貧困の問題はネパールに限るものではない。今現在の日​本でも同じ問題は起きている。私はとりわけネパールが貧しい国だ​とか多くの問題抱えているとかを強調するつもりはないが、愛着を​持っていた場所が崩されていく姿には言葉に落とせない感情であっ​た。
 
 
 今日はネパール憲法制定記念の日

憲法が制定されたことは歴史に残っても、スラムが崩壊されたこと​は歴史に残らない。
憲法が守れるものがあっても、守れないものがある。

それでもスラムで生活していた人たちは私の訪問を温かく迎えてく​れたこと。
そこだけは守られていたかもしれません。


~ネパール・スラムより~
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遠い異国の地から喜びの声

2012年02月07日 | ネパール
 ネパールにいる心友のダルマ先生より久々にメールが届きました。

どうやら、ネパール柔道協会の重要ポストに就任したようです。

困難な状況でも、志高く、目標を持ち、事を成し遂げていっています。

コネもお金もない中で、色々な困難はあったと思いますが、地道な努力と貢献が

実を結んでいったのだと思います!!

 将来、きっとネパール柔道協会のトップに立って何かGOODな改革を

起こす!!なんだかそんな気がします。

ダルマ先生おめでとう!!


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柔道グランドスラムに出場した選手たちと・・・

2011年12月14日 | ネパール
 ネパールから送られてきた一通のメール。

「今度、柔道の世界大会で日本であって、ネパール選手団が行くのでよろしくお願いします。」

と心友のダルマ先生からだった。

そして、今回も偶然というかこれも必然なのか!?と思うような縁があった。

12月は、イベントや仕事の依頼が多くほとんどなかった。その状況で唯一スケジュールの空いていた

日曜日の午後。そして、ネパール柔道選手団も唯一日本観光ができるのも、日曜の午後。

空は快晴。

早朝から代々木公園で熱血ランニング指導を行い、その後に待ち合わせ場所の秋葉原に向かう。

そして、また「お~!!」と声を上げてしまう。


今回出場したネパール選手は男性1名、女性1名の2名。

そのうち男性1名は3年前に稽古をしたことがあった若者だった。

毎朝7時~9時でネパールのストリートチルドレンも含めた子どもたちに柔道を熱血して、

夜は12時過ぎまでダンスバーでボーイをしながら働いていたので、ハングリーな印象がとても記憶に残っていた。

観光の定番である


秋葉原→浅草寺→上野→東京タワー→宿舎をガイド。

上野では、いつも利用しているねじべえ上野店でビールの男盛りを注文!

約1リットル入っているビールに目を丸くして、感嘆の声を上げていた。





友人の柔道家のせきそんも加わり、日本とネパールで相互に柔道談義が始まった。

ネパールのコーチも選手もいつの間にか、目が本気になり、メモを取りながら話をしている。

どこの世界でも柔道馬鹿は、柔道馬鹿だと感じた。



みんなめちゃくちゃ感謝してくれ、東京に来て、最後に日本を楽しんだとご満悦でした。


ネパールに来た時は何でも協力すると言ってくれたので、

「もし、私の知っている日本人がネパールに行ったら、その時は力になってください!!」と

言い、固い握手で宿舎を後にしました。




ネパール代表の皆さん、お疲れ様でした!!



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ネパール編 ~完~

2011年10月12日 | ネパール
 飛行機出発の朝、最後の喧騒を感じるためダルバールスクエアに向かった。



初日におみやげを購入したおばちゃんにお礼を伝えると、

「チャイでも飲んできな」と



おいしいチャイをご馳走になった。

世間話をしつつ、どうしてもチャレンジしてみたいことがあった。

それは、お土産屋の荷物を担いでみること!!



「重たいから無理!!」

と言われれば、言われるほど担ぎたくなる私。

「怪我しても知らないよ。」

と言われ、もうしているから大丈夫^^という意味不明な返事をして、

担がせてもらうことに。



え~めちゃくちゃ重たいです。

これ。

筋肉が悲鳴を上げています。

軽く100kg以上は超えていますから!!

なのに、裏にいるおじちゃんは毎朝60個の荷物を運ぶ運び屋さん。

毎日そんな細い身体で運んでいるなんて、すげ~!!

一つの荷物を朝晩運んで、25円。

それでも笑顔で、運び続けるこの人を私は純粋に尊敬しました!!




お土産のチャイを急いで買い、


(超丁寧で素晴らしい仕事ぶりのチャイ屋さん。ぼったくらない金額を最初から提示するのも

 親切です。)

ゲストハウスで荷物をパッキングして、

部屋にお別れの挨拶。




最後もまた、ダルマ先生とシャムさんの妹が荷物と私を空港まで運んでくれて、

お世話になりました。

熱い抱擁を交わし、次回は日本で会おうと約束!!



次は、2012年の夏にダルマ先生が日本に来る予定です!!

それまで、しばしのお別れ!!

ありがとうネパール

今回も素敵な思い出がたくさんできました!!


~ネパール2011編 完 ~



やっぱり旅はいいな~

一年に一度は10日間くらいの休みをとって、毎年、海外を旅しようっと^^








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因果応報!!飲みすぎた代償・・・

2011年10月12日 | ネパール
 朝、起きると右足首に激痛が・・・

見てみると大きく腫れている。



思い起こせば、前日の夜はダルマ先生とシャムさんの家で食事をして、飲んだ後一人でゲストハウスに帰宅。

昨日まで本当にバタバタした日々だったが、今回ネパールに来た旅の目的も果たし、

ホッと一息ついていた。

同じ場所でも、歳を重ねることにより、違って見えてくる。

当然、考えも変わってくる。

夜、色々考えた。しかし、よく分からなくなってきたので、それをやめた。

そして、一人で飲みに出かけた。

日本にいるときめったに泥酔することはないが、この時はなぜか心がフッと緩み、

異国の地で一人飲みすぎた。

意識も朦朧となんとかゲストハウスに着いたが、調子にのって飲みすぎた結果が、

この足。

異国の地で飲みすぎるのは気をつけよう!!

因果応報!!

ドンマイ、俺!!
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何もしないことをする日!!~喫茶去~

2011年10月12日 | ネパール
 ネパールでの最後の1日。

痛めた足。

このままゲストハウスで寝ていることもできるが、それはもったいない。

こんな時、子どもの頃から私の家に伝わる魔法の言葉がある。

「痛いと思うから、痛いんだ」

そう、この足は痛くない。

痛くない。

痛くない。

自分に言い聞かせた。

時に、精神は痛みを凌駕する。

向かった先は、ボダナート。

私の感覚ではあるが、ネパールは9割のヒンドゥー教徒と1割の仏教徒がいる。

ボダナートはその1割の仏教徒の聖地。


世界の色々な宗教の場所も行ったが、魂が居心地の良さを感じるのは、「仏教」だった。

やはり、日本人だからだろうか。その中でも、チベット仏教は好きだ。

その理由は3つ。

〇五体投地が筋トレになるから

〇ヤマーンタカという明王がいること。(私の名前に似ている。)

〇マニ車を回すのが楽しい


マニ車を回していると、不思議な癒しをボダナートは与えてくれた。



話は、変わるが海外に来ると、初めて会ったはずなのに、

初めてな感じがしない人がたまに現われる。

同じくらいの若者だったり、女性であったり、様々だ。

今回もこのボダナートでそのような方がいた。

チベット人の女性であった。

見た瞬間に、どこかで会った時があるような不思議な気がした。

どこかは正直、分からないけどきっとどこかで会っているそんな感じだ。

同じようにマニ車を回していたので、挨拶をした。

流暢な英語でチベット仏教について教えてくれた。

なぜ、そんなに英語が上手か聴くと、

「今、アメリカに住んでいるから」

との答え。てっきり、ネパールに住んでいる人だと思ったのにびっくりした。

30歳近くまでチベットに住み、それからアメリカに既に10以上住んでいることを話してくれた。

興味を持った私は、昼食を共にして、ネパールの隠れ家的なチベット料理のお店を案内してもらい、

チベットのこと、アメリカのことなど色々聴くことができた。



食事が終わり、私がお礼に昼食のお金を払おうとすると、向こうが出してくれた。

よく聞き取れなかったが、あなたは私の子どもだったでしょ?みたいなことを言われた気がした。

もし、前世というものが存在するなら、私はこの方の子どもだったのかもしれないと思った。



天気が良い快晴の日。

マニ車を回しては、お茶を飲んだ。

時間がゆっくり過ぎていく。



時間てこんなにゆっくり流れるんだ。

誰に対しても「平等」にある「時間」

それをどう使うかは、自分次第なのだが、

いつか「時間」に追われるように生活していた自分。

のんびりと空を見ながら、お茶をすることで、

いつの間にか心がすっきり軽くなっていた。

たまには、人間にとって「何もしないことをする日」は必要かもしれない。

帰り道に禅の言葉で喫茶去というのがあることを知った。


ネパール最終日は夜にダルマ先生の家で夕食に招かれ、幕を閉じた。


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