デリーのお城を見学した後、今度はコンノートプレイスというインドの高級な中心地を見に行きたくなった。歩くと距離は4~5キロ。時間もあまりないことだし、これはもうオートリキシャしかない。オートリキシャを探していると、リキシャが声を掛けてきた。ちなみにオートリキシャは三輪のタクシーで、リキシャは簡単に言うとチャリンコにちょっとこじゃれたリヤカーをつけている。
そしてリキシャの運転手はまだ12~13歳の少年だ。彼は乗れといったが、地図を見せてチャリには遠すぎるのが分かるとなんとオートリキシャの通る道まで案内してくれた。しかも最後までお金を請求しなかった!インドに行くとお金を請求されないことはまずない。本などでは、いいインド人は十人に一人など書かれている。きっと十分の一の少年なんだろう。お金を請求してこない、それだけでいい人に見えてくる。
その後になるのだが、カーストと言うものを身を持って感じた。リキシャの子はリキシャになる。ゴミ拾いのカーストはゴミ拾い。ガンジーによりなくなったと言われる差別は、2007年現在未だに根強く残っている。オートリキシャに乗っていると、身分の差がよく分かる。リキシャに対して、オートリキシャはとても強気である。道路を走っていて、前にリキシャが走っているとこれでもかというほどクラクションを鳴らし、道の端にどかして抜き去っていく。そして、車には弱い。車にクラクションを鳴らされると、素直にどける。全てが根強くきまっている。さして、私にとってリキシャの親父の顔は痛かった。炎天下の中、一日中自転車を漕いでいる。細い腕、細い足、そして何よりも長年蔑まれてきたであろう笑顔のない思慮深い顔は、長年の生きざまが現れている。
城の前で笑顔で親切にしてくれた少年もまた同じ人生をたどるのだろうか?
急激な勢いで成長を続けるインド。その裏には、まだまだ伝わらない伝えられない事がたくさんあるようだ。
そしてリキシャの運転手はまだ12~13歳の少年だ。彼は乗れといったが、地図を見せてチャリには遠すぎるのが分かるとなんとオートリキシャの通る道まで案内してくれた。しかも最後までお金を請求しなかった!インドに行くとお金を請求されないことはまずない。本などでは、いいインド人は十人に一人など書かれている。きっと十分の一の少年なんだろう。お金を請求してこない、それだけでいい人に見えてくる。
その後になるのだが、カーストと言うものを身を持って感じた。リキシャの子はリキシャになる。ゴミ拾いのカーストはゴミ拾い。ガンジーによりなくなったと言われる差別は、2007年現在未だに根強く残っている。オートリキシャに乗っていると、身分の差がよく分かる。リキシャに対して、オートリキシャはとても強気である。道路を走っていて、前にリキシャが走っているとこれでもかというほどクラクションを鳴らし、道の端にどかして抜き去っていく。そして、車には弱い。車にクラクションを鳴らされると、素直にどける。全てが根強くきまっている。さして、私にとってリキシャの親父の顔は痛かった。炎天下の中、一日中自転車を漕いでいる。細い腕、細い足、そして何よりも長年蔑まれてきたであろう笑顔のない思慮深い顔は、長年の生きざまが現れている。
城の前で笑顔で親切にしてくれた少年もまた同じ人生をたどるのだろうか?
急激な勢いで成長を続けるインド。その裏には、まだまだ伝わらない伝えられない事がたくさんあるようだ。