人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

母への感謝

2009年05月10日 | Weblog
 今日は母の日。しかし、私は何のプレゼントも用意できていない。
27年前、このように世を受けることができたのも、両親がいたからだ。
自分が年齢を重ね、振り返ると、今までに受けた恩は大きい。当たり前といったら、それで終わりかもしれないが特に私の母は大変だったと思う。兄弟3人が柔道をして、毎日のエサ(ご飯)はたぶんご飯を10合以上超えてたいていた。たくさんの柔道着の洗濯や、毎日誰かが引き起こす喧嘩など、それぞれが強気に引かない性格だったために問題は相当大変だったと思う。反抗期の私などは、めちゃくちゃひどかった。それなのに、ほとんど愚痴を言わずに育ててくれたのは、とても感謝している。以前は、それが当たり前がと思っていたが、本当にこんなに健康に強く育ててもらったのは、母なくしては言えないだろう。
 
 過去に親子マラソンに出場した際に、弟を置いて勝手に一人でゴールしてしまったり、上野駅に子供を置いて家まで帰る抜けている部分もあるが、その天然さもまた私が嫌なことがあっても適当にすぐに忘れられる性格でマイペースな部分が似ていると思う。 

 今日は母の日。プレゼントはないが、せめて感謝の気持ちだけはここで送りたい。
 
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感動が起きる時

2009年05月10日 | Weblog
 最近、チベット・ネパールの旅を書いているがちょっと日本出来事のことも書きたい。日本に戻り、2週間。たくさんのいいことに恵まれている。
 まずは、以前半年間働いた会社の後輩マッハS君に呼ばれた結婚式。たった2カ月しかともに働く時間がなく、正直最初は社会人としての自信のなかったS君も今では、人夫となった。幸せな空間に呼ばれ、幸せをおすそ分けしてもらうのは嬉しいことだ。幸せな家庭を築くことを願う。

 次に、私の仕事もスタートした。問題は山積みだが、それは一つずつ解決していけばいいことなので、大したことではない。感動は、スタート初日にあった。私が週2回パーソナルトレーナー兼アドバイザーで入る東大和市にある某ジムで起きた。まず、私の靴箱が用意されていた。過去3年間、そんなことはなかった。さらには、ロッカーまで用意していただき、ユニフォームも専用の引き出しに入っており、事務所には歓迎のPOPが貼られていた。嬉しい気持ちになった。

 感動は、自分の予想していた「期待値」を超えた時に起こるものだったが、まさに今回の件に私は「感動」した。お客様にも、スタッフにも誰に対しても、公平に平等に接する施設は私は素晴らしいと思う。周囲の新たな仲間と、この業界における何か伝説の1ページをともに築きたいと思う。

 
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「TIBET IS FREE」ではなく「TIBET IS RESPECT」を!!

2009年05月10日 | Weblog

 チベットに行って、足りない頭で色々と考えてみた。何が一番いいのか?私が考えたからって何かが劇的に変わるわけではないが、少なくとも「本質」を見抜くことは大切だと思う。  

 昨年、世界中で「TIBET IS FREE」という言葉を目にした。その言葉を叫び、チャリティーで色々なことが開かれたり、世界各国でデモが起きたりとあった。僧侶が暴動を起こした映像がたびたび流れた。

 そんな中私はある疑問が突如として生まれた。「本来は、平和を願う仏教徒のはずで、暴力は許されないのになぜこんなことが起きているのか?また、本当に独立を求めているのだろうか?」その答えは、自分の目で見て、そして考えたいと思った。

 そして、実際にチベットに行き、眼と耳と皮膚など全ての5感と脳をフルに使い、出した結論それは、「TIBET IS FREE」ではなく、「TIBET IS RESPECT」だ!

 去年の暴動は、実際には僧侶が主導ではなく、25歳~30歳の男性の若者がほとんどだった。その大きな理由は、「仕事がないこと」だった。以前は、仕事があった。しかし、漢民族などがチベットに入り、仕事がなくなった。安いものを作り、競争し合っても、負のスパイラルでしかないと考えた。そんな中、就職できない若者の怒りの矛先は、よからぬ方向へ向かってしまったのだ。そして、血気盛んな若い僧侶もまだまだ修行が足らずに、それに参加してしまったのだ。その方たちの人生はほぼ終わりだと嘆いていた。チベット人僧侶も高僧である「ラマ」の位をもつ僧侶がいなくなり、どのように勉強していいのか?どんな修行をしていけばいいのか?分からなくなっているのだ。また、暴動に参加した農民も、回りのたくさんの人がやっているから参加しようという感じで参加してしまった。何が一番いい方法なのかを考える教育を受けてこなかったからだ。

 それでは、どうすれば一番いい道なのだろうか?一番重要なこととして、自分の子供にいい教育を受けさせることだ。実際に、教育を学んだ人の多くが、独立をしてもその後は国を維持するのは難しいと考え、独立を望んでいるわけではなかった。それよりも共に尊重しあいながら、やっていく方がいいと考えている。GWの休日には約200万人以上の中国人がチベットにやってくると新聞にも書いてあった。だから、観光としての利益も相当なものになると考えられる。

 日本には「郷に入っては、郷に従え」ということわざがある。私は、チベットにいる人は、チベット仏教に入らなければならないわけではないが、尊敬の念を持つことは必要だと思う。もちろん、チベット人以外の多くの方も尊敬の念を持って、チベットにいると思う。しかし、目についてしまうのはそれ以外の人だ。人がお祈りしているそばで、大声でガムを噛みながら説明をするガイド、嫌がっているのに勝手に写真を撮る観光客など、思いやりの気持ちがない。

だからこそ、私は今回お互いが公平であるために、

「TIBET IS RESPECT」だと思った。

 

 

 

 

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