チベットに行って、足りない頭で色々と考えてみた。何が一番いいのか?私が考えたからって何かが劇的に変わるわけではないが、少なくとも「本質」を見抜くことは大切だと思う。
昨年、世界中で「TIBET IS FREE」という言葉を目にした。その言葉を叫び、チャリティーで色々なことが開かれたり、世界各国でデモが起きたりとあった。僧侶が暴動を起こした映像がたびたび流れた。
そんな中私はある疑問が突如として生まれた。「本来は、平和を願う仏教徒のはずで、暴力は許されないのになぜこんなことが起きているのか?また、本当に独立を求めているのだろうか?」その答えは、自分の目で見て、そして考えたいと思った。
そして、実際にチベットに行き、眼と耳と皮膚など全ての5感と脳をフルに使い、出した結論それは、「TIBET IS FREE」ではなく、「TIBET IS RESPECT」だ!
去年の暴動は、実際には僧侶が主導ではなく、25歳~30歳の男性の若者がほとんどだった。その大きな理由は、「仕事がないこと」だった。以前は、仕事があった。しかし、漢民族などがチベットに入り、仕事がなくなった。安いものを作り、競争し合っても、負のスパイラルでしかないと考えた。そんな中、就職できない若者の怒りの矛先は、よからぬ方向へ向かってしまったのだ。そして、血気盛んな若い僧侶もまだまだ修行が足らずに、それに参加してしまったのだ。その方たちの人生はほぼ終わりだと嘆いていた。チベット人僧侶も高僧である「ラマ」の位をもつ僧侶がいなくなり、どのように勉強していいのか?どんな修行をしていけばいいのか?分からなくなっているのだ。また、暴動に参加した農民も、回りのたくさんの人がやっているから参加しようという感じで参加してしまった。何が一番いい方法なのかを考える教育を受けてこなかったからだ。
それでは、どうすれば一番いい道なのだろうか?一番重要なこととして、自分の子供にいい教育を受けさせることだ。実際に、教育を学んだ人の多くが、独立をしてもその後は国を維持するのは難しいと考え、独立を望んでいるわけではなかった。それよりも共に尊重しあいながら、やっていく方がいいと考えている。GWの休日には約200万人以上の中国人がチベットにやってくると新聞にも書いてあった。だから、観光としての利益も相当なものになると考えられる。
日本には「郷に入っては、郷に従え」ということわざがある。私は、チベットにいる人は、チベット仏教に入らなければならないわけではないが、尊敬の念を持つことは必要だと思う。もちろん、チベット人以外の多くの方も尊敬の念を持って、チベットにいると思う。しかし、目についてしまうのはそれ以外の人だ。人がお祈りしているそばで、大声でガムを噛みながら説明をするガイド、嫌がっているのに勝手に写真を撮る観光客など、思いやりの気持ちがない。
だからこそ、私は今回お互いが公平であるために、
「TIBET IS RESPECT」だと思った。