毎年この時期になると思い出す浪人時代。
柔道に明け暮れた自分にとって、
「勉強なんてちょっとすれば大丈夫」と完全になめていた。
高校生の時、私立文系にいてセンター試験の存在さえ知らなかった。(柔道のために学校に通っていたので)
推薦試験に落ち、アルバイトを始め、周囲が大学生になる中、
浪人生
を選択。
予備校初日のテストで、本気で取り組んだのに
0点を獲得。偏差値が40程度で希望の大学に入るためには、5教科で100くらいあげなければならないことを知る。
部屋に、
「目指せ 埼玉大」
と
「執念」
と筆で書いたものを張り、
私にとって、生涯で一番しんどい一年を過ごした。
19歳の浪人生の立場は、私にとって、つらかった。
大人でも、子供でもない年齢。
社会人でも、学生でもない微妙な立ち位置。
周囲が合コンや飲み会、アルバイトなど楽しむ中、黙々と勉強に明け暮れる。
ノイローゼ気味になり、休日の個室風に区切られた机の上に突っ伏して、ずっと泣いていた日もあった。
今ならば、
「もっと選択肢もあるし、自由にやりなよ」と言えるが、
当時は、そんな視野の広さや余裕はなかった。
それでも、一年を耐え、堪え、センター試験に人生をかけて19歳の私は望んだ。
結果は、ボーダーラインだったために、希望大学の科を変更することにはなったが、二次試験(柔道と1500メートル走)で挽回し、合格することができた。
この一年、本気で勉強してきた浪人生が、悔いなく試験に臨み、悔いない選択ができることを心から願う!!
頑張れ!浪人生!
今までの努力をぶつけれやれ!
柔道に明け暮れた自分にとって、
「勉強なんてちょっとすれば大丈夫」と完全になめていた。
高校生の時、私立文系にいてセンター試験の存在さえ知らなかった。(柔道のために学校に通っていたので)
推薦試験に落ち、アルバイトを始め、周囲が大学生になる中、
浪人生
を選択。
予備校初日のテストで、本気で取り組んだのに
0点を獲得。偏差値が40程度で希望の大学に入るためには、5教科で100くらいあげなければならないことを知る。
部屋に、
「目指せ 埼玉大」
と
「執念」
と筆で書いたものを張り、
私にとって、生涯で一番しんどい一年を過ごした。
19歳の浪人生の立場は、私にとって、つらかった。
大人でも、子供でもない年齢。
社会人でも、学生でもない微妙な立ち位置。
周囲が合コンや飲み会、アルバイトなど楽しむ中、黙々と勉強に明け暮れる。
ノイローゼ気味になり、休日の個室風に区切られた机の上に突っ伏して、ずっと泣いていた日もあった。
今ならば、
「もっと選択肢もあるし、自由にやりなよ」と言えるが、
当時は、そんな視野の広さや余裕はなかった。
それでも、一年を耐え、堪え、センター試験に人生をかけて19歳の私は望んだ。
結果は、ボーダーラインだったために、希望大学の科を変更することにはなったが、二次試験(柔道と1500メートル走)で挽回し、合格することができた。
この一年、本気で勉強してきた浪人生が、悔いなく試験に臨み、悔いない選択ができることを心から願う!!
頑張れ!浪人生!
今までの努力をぶつけれやれ!