そうすると、20元(約300円)の宿を見つけてくれた。もちろん、シャワーもなく、部屋に鍵もついていない。しかし、今回は五体投地をして、神のご加護があるはずで襲われるはずはないと、妙な自信を持っていたのでここに泊まることにした(後で、恐怖体験をすることに)この時期、泊まっているのは私だけだった。そして、ガイドとドライバーは、別の建物に泊まった。
チベットの田舎の町を探索に出かける。子供たちが陽気な笑顔を見せる。

町を回ると、何だか変な感じがする。途中知り合ったアメリカ人とお茶を飲むために入った茶館。夕方から酒を飲む若者たち。「ハロー」と笑顔でアメリカ人が声をかけたら、敵意むき出しで睨みつける。なんだか変な雰囲気だ。お店の中にも物乞いの方が来て、しつこくお金をせびってくる。これが田舎の現状なのだ。
同世代のアメリカ人と、「オバマ大統領」と「今後の時代」と「ドラゴンボール」について話した。旅先で、こんな話ができるのは面白い。
帰り道、一人で宿に戻る途中、二人の女の子が目の前に現れた。年は6~7歳くらい。いきなり土下座をして、そしてお金をくれと言ってきた。私は、旅先でストリートチルドレンや貧しい子供たちにお金はあげないことにしている。だから、すまないけどと言って断った。
そのまま通り過ぎようとした瞬間、少女たちが私の足にしがみついてきた。ものすごい力である。それでも、私は自分のルールを守った。お願いだからと引き離して、逃げた。少女達は、眼に涙を浮かべていた。
外れの公園で、心が痛くなった。旅に来て毎回私の中で出てくる葛藤。あの時少しばかりでもあげなくてよかったのか?いつも堂々巡りになるため、なるべく考えないようにして逃げている。自分には何もできないからと。しかし、あげたからといって一時の幸せであり、それが仇で物乞いをすることが唯一の生きる術と感じてしまうこともあるだろう。だから、私はあげない。

最後に少し話は戻るが、私はラサ市内で敏腕ガイドとチベット孤児院に出かけた。アポなしで尋ね、もちろんいつものように最初は断られたが、子供たち手品を見せると大興奮。すぐに中に入れてくれ、手品ショーとガイドと一緒に日本語講座を行った。そして、チベットの子供たちは10分間で、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」が言えるようになった。しかも、ケースに応じて使い分けるレベルまで。
そんな子供たち(7歳から16歳)の20人に質問をした。「What your dream?」
みんなそれぞれに、先生、科学者、サッカー選手、格闘技の選手、警察官になりたいと満面の笑みで答えてくれた。
青い空の下で、「希望」というパワーが溢れていた。

チャンスはいつかは必ずくる。その時に、生かせるか生かせないかは「自分次第」
だから、私はただではお金はあげない。