人生修行の旅

「笑って、野垂れ死ぬ!!」
そのために、この人生をどう生きて、この命を何に使うか?人生一度きりの生き方を実験中!!

足にしがみついて離れない少女 

2009年05月16日 | Weblog
 ヒマラヤへ向かう途中の町ツガチェ。その日はそこに泊まるため、宿をとった。最初の宿は、200元(約3000円)なので高すぎる・・・次の宿は160元(2100円)で、まだ高い。ガイドと運転手になるべく安い宿をお願いした。
そうすると、20元(約300円)の宿を見つけてくれた。もちろん、シャワーもなく、部屋に鍵もついていない。しかし、今回は五体投地をして、神のご加護があるはずで襲われるはずはないと、妙な自信を持っていたのでここに泊まることにした(後で、恐怖体験をすることに)この時期、泊まっているのは私だけだった。そして、ガイドとドライバーは、別の建物に泊まった。

 チベットの田舎の町を探索に出かける。子供たちが陽気な笑顔を見せる。





 町を回ると、何だか変な感じがする。途中知り合ったアメリカ人とお茶を飲むために入った茶館。夕方から酒を飲む若者たち。「ハロー」と笑顔でアメリカ人が声をかけたら、敵意むき出しで睨みつける。なんだか変な雰囲気だ。お店の中にも物乞いの方が来て、しつこくお金をせびってくる。これが田舎の現状なのだ。
 
 同世代のアメリカ人と、「オバマ大統領」と「今後の時代」と「ドラゴンボール」について話した。旅先で、こんな話ができるのは面白い。
 帰り道、一人で宿に戻る途中、二人の女の子が目の前に現れた。年は6~7歳くらい。いきなり土下座をして、そしてお金をくれと言ってきた。私は、旅先でストリートチルドレンや貧しい子供たちにお金はあげないことにしている。だから、すまないけどと言って断った。

 そのまま通り過ぎようとした瞬間、少女たちが私の足にしがみついてきた。ものすごい力である。それでも、私は自分のルールを守った。お願いだからと引き離して、逃げた。少女達は、眼に涙を浮かべていた。

 外れの公園で、心が痛くなった。旅に来て毎回私の中で出てくる葛藤。あの時少しばかりでもあげなくてよかったのか?いつも堂々巡りになるため、なるべく考えないようにして逃げている。自分には何もできないからと。しかし、あげたからといって一時の幸せであり、それが仇で物乞いをすることが唯一の生きる術と感じてしまうこともあるだろう。だから、私はあげない。




 最後に少し話は戻るが、私はラサ市内で敏腕ガイドとチベット孤児院に出かけた。アポなしで尋ね、もちろんいつものように最初は断られたが、子供たち手品を見せると大興奮。すぐに中に入れてくれ、手品ショーとガイドと一緒に日本語講座を行った。そして、チベットの子供たちは10分間で、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」が言えるようになった。しかも、ケースに応じて使い分けるレベルまで。
 そんな子供たち(7歳から16歳)の20人に質問をした。「What your dream?」
みんなそれぞれに、先生、科学者、サッカー選手、格闘技の選手、警察官になりたいと満面の笑みで答えてくれた。
 青い空の下で、「希望」というパワーが溢れていた。



チャンスはいつかは必ずくる。その時に、生かせるか生かせないかは「自分次第」
だから、私はただではお金はあげない。

  
 

 
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チベット~ネパールへ陸路でのヒマラヤ越え①

2009年05月13日 | Weblog
 チベットからネパールまでやりたいことが一つあった。それは陸路でヒマラヤを越えること。「経験はお金で買うことはできない」と思い、大金を払って、TOYOTAのランドクルーザー一台と腕利きのドライバーとガイドを雇った。
 
 道中の景色は、夢か現実か分からないほど、すごかった。空が近く、青い。これが本来の「色」なんだと思った。空が本来の色、人々は昔ながらの羊の放牧などでの生活。草木のない厳しい環境でも人間は生きられることを眼の前で見た。人間はそんなに弱くない。

タルチョ(写真)と呼ばれる経文が書かれたものが家や湖、山にかけらている。






山と氷と空。









 
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母への感謝

2009年05月10日 | Weblog
 今日は母の日。しかし、私は何のプレゼントも用意できていない。
27年前、このように世を受けることができたのも、両親がいたからだ。
自分が年齢を重ね、振り返ると、今までに受けた恩は大きい。当たり前といったら、それで終わりかもしれないが特に私の母は大変だったと思う。兄弟3人が柔道をして、毎日のエサ(ご飯)はたぶんご飯を10合以上超えてたいていた。たくさんの柔道着の洗濯や、毎日誰かが引き起こす喧嘩など、それぞれが強気に引かない性格だったために問題は相当大変だったと思う。反抗期の私などは、めちゃくちゃひどかった。それなのに、ほとんど愚痴を言わずに育ててくれたのは、とても感謝している。以前は、それが当たり前がと思っていたが、本当にこんなに健康に強く育ててもらったのは、母なくしては言えないだろう。
 
 過去に親子マラソンに出場した際に、弟を置いて勝手に一人でゴールしてしまったり、上野駅に子供を置いて家まで帰る抜けている部分もあるが、その天然さもまた私が嫌なことがあっても適当にすぐに忘れられる性格でマイペースな部分が似ていると思う。 

 今日は母の日。プレゼントはないが、せめて感謝の気持ちだけはここで送りたい。
 
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感動が起きる時

2009年05月10日 | Weblog
 最近、チベット・ネパールの旅を書いているがちょっと日本出来事のことも書きたい。日本に戻り、2週間。たくさんのいいことに恵まれている。
 まずは、以前半年間働いた会社の後輩マッハS君に呼ばれた結婚式。たった2カ月しかともに働く時間がなく、正直最初は社会人としての自信のなかったS君も今では、人夫となった。幸せな空間に呼ばれ、幸せをおすそ分けしてもらうのは嬉しいことだ。幸せな家庭を築くことを願う。

 次に、私の仕事もスタートした。問題は山積みだが、それは一つずつ解決していけばいいことなので、大したことではない。感動は、スタート初日にあった。私が週2回パーソナルトレーナー兼アドバイザーで入る東大和市にある某ジムで起きた。まず、私の靴箱が用意されていた。過去3年間、そんなことはなかった。さらには、ロッカーまで用意していただき、ユニフォームも専用の引き出しに入っており、事務所には歓迎のPOPが貼られていた。嬉しい気持ちになった。

 感動は、自分の予想していた「期待値」を超えた時に起こるものだったが、まさに今回の件に私は「感動」した。お客様にも、スタッフにも誰に対しても、公平に平等に接する施設は私は素晴らしいと思う。周囲の新たな仲間と、この業界における何か伝説の1ページをともに築きたいと思う。

 
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「TIBET IS FREE」ではなく「TIBET IS RESPECT」を!!

2009年05月10日 | Weblog

 チベットに行って、足りない頭で色々と考えてみた。何が一番いいのか?私が考えたからって何かが劇的に変わるわけではないが、少なくとも「本質」を見抜くことは大切だと思う。  

 昨年、世界中で「TIBET IS FREE」という言葉を目にした。その言葉を叫び、チャリティーで色々なことが開かれたり、世界各国でデモが起きたりとあった。僧侶が暴動を起こした映像がたびたび流れた。

 そんな中私はある疑問が突如として生まれた。「本来は、平和を願う仏教徒のはずで、暴力は許されないのになぜこんなことが起きているのか?また、本当に独立を求めているのだろうか?」その答えは、自分の目で見て、そして考えたいと思った。

 そして、実際にチベットに行き、眼と耳と皮膚など全ての5感と脳をフルに使い、出した結論それは、「TIBET IS FREE」ではなく、「TIBET IS RESPECT」だ!

 去年の暴動は、実際には僧侶が主導ではなく、25歳~30歳の男性の若者がほとんどだった。その大きな理由は、「仕事がないこと」だった。以前は、仕事があった。しかし、漢民族などがチベットに入り、仕事がなくなった。安いものを作り、競争し合っても、負のスパイラルでしかないと考えた。そんな中、就職できない若者の怒りの矛先は、よからぬ方向へ向かってしまったのだ。そして、血気盛んな若い僧侶もまだまだ修行が足らずに、それに参加してしまったのだ。その方たちの人生はほぼ終わりだと嘆いていた。チベット人僧侶も高僧である「ラマ」の位をもつ僧侶がいなくなり、どのように勉強していいのか?どんな修行をしていけばいいのか?分からなくなっているのだ。また、暴動に参加した農民も、回りのたくさんの人がやっているから参加しようという感じで参加してしまった。何が一番いい方法なのかを考える教育を受けてこなかったからだ。

 それでは、どうすれば一番いい道なのだろうか?一番重要なこととして、自分の子供にいい教育を受けさせることだ。実際に、教育を学んだ人の多くが、独立をしてもその後は国を維持するのは難しいと考え、独立を望んでいるわけではなかった。それよりも共に尊重しあいながら、やっていく方がいいと考えている。GWの休日には約200万人以上の中国人がチベットにやってくると新聞にも書いてあった。だから、観光としての利益も相当なものになると考えられる。

 日本には「郷に入っては、郷に従え」ということわざがある。私は、チベットにいる人は、チベット仏教に入らなければならないわけではないが、尊敬の念を持つことは必要だと思う。もちろん、チベット人以外の多くの方も尊敬の念を持って、チベットにいると思う。しかし、目についてしまうのはそれ以外の人だ。人がお祈りしているそばで、大声でガムを噛みながら説明をするガイド、嫌がっているのに勝手に写真を撮る観光客など、思いやりの気持ちがない。

だからこそ、私は今回お互いが公平であるために、

「TIBET IS RESPECT」だと思った。

 

 

 

 

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西蔵大学にいるたった1人の日本人 in チベット

2009年05月05日 | Weblog
 チベットのラサ市内で、私は観光はすることができない。許可証は旅行会社に預けてしまっているし、その会社のガイドも頼んでいない。そこで、今回個人的に凄腕ガイドのツバメちゃんに直接お願いしてチベットを案内してもらった。行った先は下記の通りだ。
①マニ塚・・・たくさんのお経や絵が描かれているこの場所では、石にお経を書く人の仕事時間は、朝6時~夜8時まで。週7回働いている。そして、給料は300元(日本円にして4500円)だった。大体ラサの平均給与が2000元(35000円)を考えれば、相当安いが彼は、現状は毎日が幸せだという。目の前には、同じ職業の奥さんがいて、得意なことを仕事にできたら、それ以上求めることはないと話していた。


②チベット唯一?の大学・・・正面を入ろうとしたが怒られる。大学周辺を回り、抜け道を探し、なんとか潜入成功。聞き込み調査をすると留学生の中になんと日本人がいるとのこと。探し回り、そして会うことが実現。どんなすごいお坊さんがくるかと思っていると、普通のおばちゃんだった。年齢は私の母とほぼ同じで、息子ももう社会人だし、やりたいことは今しかないと思って、チベット仏教を習いに来たとのこと。約1年の留学だそうですが、大学には一人しか日本人がいなく、残り半年で尼寺に行ってお経を覚えるのが野望と笑いながら、力強く話してくれました。普通のおばちゃんなのにすごい!!
 もう一つの、世界一高い柔道場で練習してみたいという思いは、柔道場がなかったために叶わず・・・残念。


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目の見えない天使の贈り物 in チベット

2009年05月05日 | Weblog
 チベットで高山病になったのなら、チベット医学で治すしかない!!と、意識朦朧としながら考え、チベットマッサージをお願いした。ゲストハウスに迎えに来てくれたチベットマッサージの女性がなぜか入り口に頭をぶつけている。その瞬間、彼女は目が見えないということが分かった。それなのに、私は場所が分からず、迎えまでお願いしてしまった。本当に申し訳気持ちでいっぱいになった。
 そして、正直おんぼろのビルの3階に連れていってもらい、チベットマッサージを行ってもらった。パンツ一枚になり、不思議な薬を身体中に塗ってもらった。
寒い室内で、ほぼ裸状態で「これは風邪ひくかも」と思いながら受けていた。その間、その盲目の女性と英語で会話をした。意識がしっかりしていないので、何を話したのか記憶が定かではないが、「幸せですか?」と聞いたら、「毎日とっても幸せ。そして、今はもっと幸せ。遠い国の兄ができたから」と答えてくれた。不思議に涙が出てきた。


 1時間後、身体を起こすとうそのように軽くなっていた。気持ち悪さも頭の痛さも消えていた。盲目の天使の起こした奇跡だと思った!!
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チベット・高山病の恐怖

2009年05月01日 | Weblog
 チベットについて24時間が経過。調子にのってビールを一本飲んでしまった。


 その結果、頭痛がひどくなり吐き気がしてきた。夜だったため早々に寝たが、早朝も気持ちが悪く目覚める。とりあえず、気分転換にジョカンに行き、思い切って五体投地をしてみた。もちろん、気持ちの悪い時に気合を入れるため格好は柔道着だ。
 またいつものようにジョカンのまわりを歩いているが、歩くたびに気持ち悪さがこみ上げてくる。「うぷっ、うぷっ」と胃が逆流しだした。ゲストハウスに戻り、嘔吐を繰り返した。


 本日の予定は以前ダライラマ先生が住んでいた「ポタラ宮」の見学。さすがに、キャンセルーなんてするはずもなく、気合で行くことに決定。連れて行ってくれた人がガイドしてくれると思いきや、入り口でバイバイ。後は、自由にどうぞって言われて、一人で意識朦朧としながらポタラ宮を見学。石段を5段上っては休憩をしてを繰り返した。高校時代、太平山の階段登りで重量級がぜえぜえいって登っては休むのを見て、なんでこんなにつらいのだろうと思っていたが、今その気持ちがう痛いほど分かった気がする。階段ってきついんだね。


 何とか一人で2時間の見学を終え、帰りは歩いて15分の道もタクシーを使い、ゲストハウスに倒れこんでしまった。
 トイレにこもること1時間。この状況を打破するために、地球の歩き方を見ると、そこには高山病の対処の方法がのっていた。よく読むと高山病は程度により、3段階に分けられ、軽・中・重とある。私の症状は中期の症状であり、対応策は、勇気を持って高度を下げること。


 ここは山じゃないんだから、高度下げれるかいっと一人で突っ込み、日本から持ってきた痛み止めの薬を飲み、ベッドに倒れこんだ。

  

 
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チベットの長い一日

2009年05月01日 | Weblog
 チベットの都市であるラサ、その中の聖地であるジョカンを2時間近く回っていると、ポツンと日本人男性らしき人が立っている。思い切って、「日本人ですか?」と声をかけると「はいっ」と答えてくれた。
 この通称Tさんもまた25歳で会社を辞め、有り金を手に生まれて初めて一人で旅をしているのだという。そして、この出会いから私の幸運は続く。情報を聞くとやはり「外国人はツアー組まないとチベット入れないですよね。だから高い金払って一人でツアーに申し込みました」とのことである。ということは、つまりTさんにはガイドがいるのだ。私はガイドもいなく途方に暮れていたので、まさに渡りに船である。そして、このTさんは人柄がとてもよく、何よりも謙虚なのだ。どのチベット人に対しても写真を撮るときには、きちんと撮っていいかジェスチャーをして撮る。私のように撮るね~って言って勝手に撮ってしまうのではないのだ。そんな彼は、さらに凄腕のガイドを雇っていた。そのガイドも25歳のYちゃん。語学に堪能で、日本語もうまい。そして、日本の文化も勉強してしっかりと知っているのだ。そのガイドの案内で、私もそのツアーに加わりお寺周りをさせてもらった。
 

 そして、あるお寺で私のず~っと昔の祖先を発見した。その瞬間、私がここには呼ばれてきていたことを肌で感じた。
 

 そしてこの凄腕ガイドは、観光地になっていない秘密のお寺に連れて行ってくれさらには、そこの僧侶たちとは友達のためなんと部屋にまで招待されてしまったのだ。これって見つかったらものすごくやばいと思うのですが、(だからちょっと思いきったことも書けません)中でバター茶やらお菓子やらを大量に出してくれた。 私も思い切って昨年の事件について、聞いてみた。その結果は・・・

 私の思いもよらぬ意見だった。

僧侶との対談も終え、素敵なツアーに誘ってくれたTさんと凄腕Yさんに厚くお礼しをして、部屋に戻った。

 翌日、とうとう私にもある病気が襲った。




 
 
 
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