北東北の山や街を歩いている間に、最高裁が驚天動地の判決を下しました。日本でも、各報道機関が大きく扱っています。
人工妊娠中絶は女性の権利と認めた半世紀前のロー判決と、ある程度の中絶規制は許容するものの州の規制が不当な負担にあたれば違憲とした30年前のケイシー判決を真っ向から否定する判断です。
保守派5裁判官の法廷意見は、ロー判決とケイシー判決がいかに間違っていたかを延々と論じています。申し訳ありません、これから勉強させてもらいます。
ただ、半世紀にわたって「人権」とされてきたものを、いかに根拠が怪しかったとしても、一片の判決で、今日からは「人権ではない」とできるのものでしょうか? たとえば日本の憲法はプライバシー権に言及していません。でも判例も学説もプライバシー権は大事だと言ってきました。私たちもそれに慣れています。それを、憲法にプライバシー権は書かれてないから、裁判所に来ても助けてあげないと裁判所が言い出したら大混乱でしょう。
ケイシー判決は、女性の中絶決定権への不当な負担なら違憲、そこまでの負担でなければ合憲というひとつの妥協だったと思います。ロー判決は一から考えればおかしいかもしれないけど、中絶は原則自由という約20年の経験をひっくりかえすことはできないということです。
もっと言えば、法廷意見を書いたアリート裁判官は、2006年に就任以来、中絶問題をケイシー判決の不当な負担の基準に従って判断してきたのに、今になって不当な負担の基準にケチをつけるの!?
ロバーツ首席裁判官は、今回争われているテキサス州法(妊娠15週以降の中絶禁止)は合憲としますが、判例変更には慎重であるべきとして、法廷意見には同調しませんでした(法廷意見は中絶規制は憲法問題でないから州議会で決めて⇔首席裁判官は裁判所で判断するがこの中絶規制は合憲)。私は、このあたりで妥協するのではとみていたので、ロー判決とケイシー判決の全否定は、まさにびっくり仰天でした。(リベラル派3裁判官は、先例を維持し州法は違憲であることを主張しています)
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