三日前、友人が亡くなったことを、共通の友人からの連絡で知らされた。
親子ほど年齢の離れた、80代の一人暮らしの友。
亡くなったのは2週間ほども前だったということ すい臓がんだったということも、
9月に電話で話したのが最後だったという友人も知らなかったし、
比較的近くに住む、共通の知り合いの女性(彼女とは友人)でさえ、
9月に珍しく彼女から頼まれごとをして会ったけれど、全く知らなかったという。
知らせてくれた友人は私よりももっと遠い場所に住んでいて、彼女と連絡がとれないことで心配になり、
今月に入ってその知り合い女性に電話を入れ、その人が慌てて家まで行って事態を把握した。
家は既に親戚によって片付けられ、葬儀を何処で終えたかも、お墓もわからずじまい。
知り合い女性は、忙しさに紛れて訪ねなかった自分を、悔やんだと言う。
悔やむのは、私たちも同じだ。
彼女とは20年来の付き合いだけど、彼女から言われぬ限り、身内のことを根掘り葉掘り聞くのは
失礼だと思っていた。なぜもっと深く聞かなかったのだろう。
最後に会ったのはもう3年も前になる。
その時も、会う約束の数日前に怪我をした私のところまではるばる来てくれたのに。
毎年お正月には、恒例になった彼女からの電話が入り、1時間以上おしゃべりをした。
去年、あの6月のことで悲嘆にくれていた時、7月に電話をくれ、「大丈夫?」と言葉を掛けてくれた。
最後に話したのは、今年のお正月。「今年こそ会おうね。」と、切ったまま、会えずにいた。
いつも元気でいてくれたからって、彼女の年齢を考えればもっと気遣えたはずなのに・・。
その夜は別の友人たちにも知らせ、信じられないまま彼女とのことを思い出していた。
彼女はご主人を早くに亡くしお子さんを持たなかったが、代わりに沢山の猫を助け
長い一人暮らしを「猫のお陰で寂しいなどと思ったことも無い」と笑っていた。
猫のお陰で元気でいると。
本と音楽が好きで、いつも何かに夢中だった。
彼女がマイケルに夢中だったころ、ファンクラブの会報を介して私たちと知り合った。
その後、元D・パープルのリッチー・ブラックモアが好きだった時期、私にも彼のバンド
「レインボウ」のテープをくれて、コンサートに行ったという話も聴かされた(笑)
その後も興味の対象が次々に移り、何と、あのメタリカも若い人に混じって一人観にいったという。
近くに住むその知り合い女性とは、一緒にスラヴァ、米良ヨシカズさんも聴きに行ったらしい。
その後、その女性共々、韓流にハマり、最後までヨン様繋がりで楽しんでいたという。
年齢を感じさせないパワーある人だったが、
他人に迷惑を掛けることを嫌い、数年前の心臓の手術も、全てを終えてから
退院後に話してくれた。
眠りに付くまでの時間、読書するのが日課だった彼女のお気に入りは
佐藤愛子さんと、藤沢周平。
佐藤さんには本好きの別の友人と一緒に講演に出掛け、会ってきたとも聴いた。
92年のDangerousツアーを観る為に東京に同行した時も、同室で遅くまで
マイケルの部屋を見上げる私たちを尻目に、彼女は一人静かに読書していた。
かと思えばアメリカドラマ「フルハウス」が好きだったり、時代劇を好み、漫画も読んだ。
「ねえ、くるねこ知ってる?」と聴かれて、大喜びで盛り上がったのも、まだ記憶に新しい。
マイケルという共通項を離れても、ずっと友達だった。
「目差せ○○さん!」が、ずっと年下の友人である私たちの合言葉だった。
彼女の唯一の心残りは、「遺した猫たち」だったろう。
でも誰も、猫たちがどうなったか、身内の人の連絡先もわからず知る術がなかった。
一晩中そのことを考えていた私は、翌日、一人で彼女の家に行ってみようと思い立った。
彼女がいつも「狭い所だけど、遊びに来て」と言ってくれていたのに、一度も機会を得ず果たさなかった約束を
こんな形で実現するとは思ってもみなかったけれど。
家を出て、JRを乗り継ぎ数時間後、やっとたどり着いたその場所に、
いつも彼女に見せてもらっていた写真の猫ちゃんたちの姿は無く、
ご近所の方に訊くと「今朝まで元気だった○○さんの飼い猫が
この先の道で、車にはねられて死んでてねぇ」と教えてくれた。
その場所に駆けつけると、写真で見たことのないサビ柄の猫が横たわり、息絶えていた。
この子だけが、彼女が消えてから毎日うろうろと出歩き、まるで彼女を捜し歩いているようだったという。
もしかしてこの子が、お正月の電話で話してくれた「新しく拾った仔猫」だったのかもしれない。
既に硬直したその身体に触れてみた時、ふと彼女がこの子を心配して連れて行ったんだと思えて
そこで初めて私は、涙が溢れるのを抑えられなくなった。
彼女の他の猫の行方は知れず、どうなったかも、付き合いの少なかった彼女のことにご近所さんは
関心はないらしく、何もわからなかった。二日前に親戚の人が片付けに来られたというので
もしかしたら、その時にかそれ以前に連れて行かれたか処分されたか・・。
今となっては、それを確かめることもできない。
或いは家から出され、その辺にまだいるかもしれないと思ったので、小一時間ほど探して歩いたけれども
そのあたり一帯には、不思議なことに野良猫一匹たりとも見かけず・・。
ご近所の方に協力してもらい、家の前のあぜ道を挟んだ田んぼの跡地らしき場所を選んで
猫を埋葬することにしてもらった。
彼女の愛した猫。彼女を慕った猫に「○○さんと安らかにね」と言葉をかけた。
これだけのために、ここに引き寄せられるように私は来たのかもしれない。
そんな気がした。
彼女の住んだ町を離れ、田園の美しい秋の景色を眺めながら
「こんな遠くから、いつも会いに来てくれていたんだ」と、
訪ねて行って初めて実感することができた鈍感な私。
家に帰り着き、他の友人たちに簡単に報告した。
友人たちは「ありがとう。○○さん、喜んでるよ」とねぎらってくれたけれど、
私の胸の中には、最後まで彼女の役に立つことなど何も出来なかったという、
切ない気持ちが残った。
けれど「私たちが自分を責めてたら、○○さん悲しむよ」と言う友人の言葉にも頷けるし
彼女自身の人生が、寂しいものだったとは思いたくない。
彼女は精一杯生きて、猫を愛し、人生を楽しんだ。
私たちが羨むほどに。
「あっぱれだったね」と語る友人の言葉どおり、
その死に際まで彼女らしく、潔かった。
見事な生き方だったね。○○さん。
またいつか会おうね!
親子ほど年齢の離れた、80代の一人暮らしの友。
亡くなったのは2週間ほども前だったということ すい臓がんだったということも、
9月に電話で話したのが最後だったという友人も知らなかったし、
比較的近くに住む、共通の知り合いの女性(彼女とは友人)でさえ、
9月に珍しく彼女から頼まれごとをして会ったけれど、全く知らなかったという。
知らせてくれた友人は私よりももっと遠い場所に住んでいて、彼女と連絡がとれないことで心配になり、
今月に入ってその知り合い女性に電話を入れ、その人が慌てて家まで行って事態を把握した。
家は既に親戚によって片付けられ、葬儀を何処で終えたかも、お墓もわからずじまい。
知り合い女性は、忙しさに紛れて訪ねなかった自分を、悔やんだと言う。
悔やむのは、私たちも同じだ。
彼女とは20年来の付き合いだけど、彼女から言われぬ限り、身内のことを根掘り葉掘り聞くのは
失礼だと思っていた。なぜもっと深く聞かなかったのだろう。
最後に会ったのはもう3年も前になる。
その時も、会う約束の数日前に怪我をした私のところまではるばる来てくれたのに。
毎年お正月には、恒例になった彼女からの電話が入り、1時間以上おしゃべりをした。
去年、あの6月のことで悲嘆にくれていた時、7月に電話をくれ、「大丈夫?」と言葉を掛けてくれた。
最後に話したのは、今年のお正月。「今年こそ会おうね。」と、切ったまま、会えずにいた。
いつも元気でいてくれたからって、彼女の年齢を考えればもっと気遣えたはずなのに・・。
その夜は別の友人たちにも知らせ、信じられないまま彼女とのことを思い出していた。
彼女はご主人を早くに亡くしお子さんを持たなかったが、代わりに沢山の猫を助け
長い一人暮らしを「猫のお陰で寂しいなどと思ったことも無い」と笑っていた。
猫のお陰で元気でいると。
本と音楽が好きで、いつも何かに夢中だった。
彼女がマイケルに夢中だったころ、ファンクラブの会報を介して私たちと知り合った。
その後、元D・パープルのリッチー・ブラックモアが好きだった時期、私にも彼のバンド
「レインボウ」のテープをくれて、コンサートに行ったという話も聴かされた(笑)
その後も興味の対象が次々に移り、何と、あのメタリカも若い人に混じって一人観にいったという。
近くに住むその知り合い女性とは、一緒にスラヴァ、米良ヨシカズさんも聴きに行ったらしい。
その後、その女性共々、韓流にハマり、最後までヨン様繋がりで楽しんでいたという。
年齢を感じさせないパワーある人だったが、
他人に迷惑を掛けることを嫌い、数年前の心臓の手術も、全てを終えてから
退院後に話してくれた。
眠りに付くまでの時間、読書するのが日課だった彼女のお気に入りは
佐藤愛子さんと、藤沢周平。
佐藤さんには本好きの別の友人と一緒に講演に出掛け、会ってきたとも聴いた。
92年のDangerousツアーを観る為に東京に同行した時も、同室で遅くまで
マイケルの部屋を見上げる私たちを尻目に、彼女は一人静かに読書していた。
かと思えばアメリカドラマ「フルハウス」が好きだったり、時代劇を好み、漫画も読んだ。
「ねえ、くるねこ知ってる?」と聴かれて、大喜びで盛り上がったのも、まだ記憶に新しい。
マイケルという共通項を離れても、ずっと友達だった。
「目差せ○○さん!」が、ずっと年下の友人である私たちの合言葉だった。
彼女の唯一の心残りは、「遺した猫たち」だったろう。
でも誰も、猫たちがどうなったか、身内の人の連絡先もわからず知る術がなかった。
一晩中そのことを考えていた私は、翌日、一人で彼女の家に行ってみようと思い立った。
彼女がいつも「狭い所だけど、遊びに来て」と言ってくれていたのに、一度も機会を得ず果たさなかった約束を
こんな形で実現するとは思ってもみなかったけれど。
家を出て、JRを乗り継ぎ数時間後、やっとたどり着いたその場所に、
いつも彼女に見せてもらっていた写真の猫ちゃんたちの姿は無く、
ご近所の方に訊くと「今朝まで元気だった○○さんの飼い猫が
この先の道で、車にはねられて死んでてねぇ」と教えてくれた。
その場所に駆けつけると、写真で見たことのないサビ柄の猫が横たわり、息絶えていた。
この子だけが、彼女が消えてから毎日うろうろと出歩き、まるで彼女を捜し歩いているようだったという。
もしかしてこの子が、お正月の電話で話してくれた「新しく拾った仔猫」だったのかもしれない。
既に硬直したその身体に触れてみた時、ふと彼女がこの子を心配して連れて行ったんだと思えて
そこで初めて私は、涙が溢れるのを抑えられなくなった。
彼女の他の猫の行方は知れず、どうなったかも、付き合いの少なかった彼女のことにご近所さんは
関心はないらしく、何もわからなかった。二日前に親戚の人が片付けに来られたというので
もしかしたら、その時にかそれ以前に連れて行かれたか処分されたか・・。
今となっては、それを確かめることもできない。
或いは家から出され、その辺にまだいるかもしれないと思ったので、小一時間ほど探して歩いたけれども
そのあたり一帯には、不思議なことに野良猫一匹たりとも見かけず・・。
ご近所の方に協力してもらい、家の前のあぜ道を挟んだ田んぼの跡地らしき場所を選んで
猫を埋葬することにしてもらった。
彼女の愛した猫。彼女を慕った猫に「○○さんと安らかにね」と言葉をかけた。
これだけのために、ここに引き寄せられるように私は来たのかもしれない。
そんな気がした。
彼女の住んだ町を離れ、田園の美しい秋の景色を眺めながら
「こんな遠くから、いつも会いに来てくれていたんだ」と、
訪ねて行って初めて実感することができた鈍感な私。
家に帰り着き、他の友人たちに簡単に報告した。
友人たちは「ありがとう。○○さん、喜んでるよ」とねぎらってくれたけれど、
私の胸の中には、最後まで彼女の役に立つことなど何も出来なかったという、
切ない気持ちが残った。
けれど「私たちが自分を責めてたら、○○さん悲しむよ」と言う友人の言葉にも頷けるし
彼女自身の人生が、寂しいものだったとは思いたくない。
彼女は精一杯生きて、猫を愛し、人生を楽しんだ。
私たちが羨むほどに。
「あっぱれだったね」と語る友人の言葉どおり、
その死に際まで彼女らしく、潔かった。
見事な生き方だったね。○○さん。
またいつか会おうね!