楽しく観ていたNHKのドラマ「女子的生活」が終わった。
このドラマは、文芸誌の読み切り小説だった「女子的生活」が好評を博し連載化したものが
原作だとか。
自称トランス ジェンダーの「みき」こと小川幹生(志尊淳)の女子っぷりが見事だった。
本のあらすじには
ガールズライフを楽しむため、東京に出てきたみきは、アパレルで働きながらお洒落生活を
満喫中。マウンティング、セクハラ、モラハラ、毒親……おバカさんもたまにはいるけど
傷ついてなんかいられない。そっちがその気なら、応戦させてもらいます! とある。
元は男子だった人が「外見至上主義」のオシャレにしか興味のない女子と化して生きる、軽ーい
ドラマかと思われたけど、自分に向けられる一見悪意が無さそうに見えてその実侮辱的かつ観念
的な周囲の好奇の目と戦う姿に、つい応援したくなるドラマだった。
色んな差別があっても背筋伸ばして堂々と前を向く彼女(彼)だけど、3話めの「家族との再会」は
その反応が怖くて隠し続けたい気持ちとカミングアウトしたい気持との狭間でうつむいてしまう一面
も。この回では、父親の深い愛を感じ、涙なしでは見られなかった。
全4話だけの短い間だったけれど、女性が社会でぶつかる様々な壁に立ち向かうことにも通じる、
「媚びずに強く生きる」姿が描かれていて、毎回爽快な気分になった。
このドラマと相反して、今放送中のドラマ「きみが心に棲みついた」は観た後、不快感に包まれる。
(あくまでも私自身の感覚なので、好きな方はご気分を害されるかもしれません。この先は読まない
でくださいね)
このドラマはコミックが原作だということだけど、今の女性はこんなんじゃないと思いたい。
とりわけこのシーン。
学生時代、主人公が憧れていた星名さんという男性から「自分と付き合いたいなら友人たちの前
で脱げ」と言われ、「彼が私だけのものになるなら」と大勢の男性の前で脱ぐというエピソード
が、まず不愉快すぎる。
こんなことを命令する男性はもちろんだけど、愛があればそんなことを求めるはずがないことに
さえ気付かない「稚拙すぎるこの主人公の行動」の、どこにも感情移入できない。
しかも吉岡里帆さんという女優さんのキャラに全くそぐわない「オドオドとした態度」や度々
口にする「私なんか」という卑屈な言葉(もちろんそんな気持ちになる時は誰にもあることだけど)
が、観ていてとても嫌な気持ちになる。
他の男性を好きになりかけた矢先、星名が他の女性と仲睦まじく振る舞う様子を見た途端、嫉妬に
かられて詰め寄るが(@@)跳ね除けられて女性と車で走り去った二人の後を追いかけ、泣きなが
ら名前を呼び転ぶシーンなんてもう・・何十年前のドラマか?と恥ずかしくなるほど@@;
原作もそうなのか?って首を傾げてしまった。
しかも仕事中に個人的な悩みを何通もメールしてみたり、かと思えば心配してくれる相手に突然
「私に関わらないで」と言ってみたりの非常識ぶりで、まるで子供のように世界は自分中心に回
っていると思っているかのよう。この後、お決まりのパターンで彼女の成長ぶりを見せていくの
だろうけど、現時点でもう私はアウトかも;大昔の少女漫画だってここまで「自分」を持たない
女の子は登場しなかったゾと思う。
一昔前のドジッ子を愛するパターンだとしたら、彼女たちは決して「自分を持たない」のではなく
ただおっちょこちょいなだけで、芯はしっかりしていたように思う。だからこそ好きになる人も
いたのが理解できるし、読者たちは自分に当てはめて応援したくなった。
「謙虚さ」と「過度な謙遜」は違うし、「人の気持ちに寄りそうこと」と「人に媚びること」は
全く違うと思う自分には、「貴女にはプライドは無いの?」と言いたくなるドラマだ。
このタイトルから想像するに、原作者は社会性ゼロのこの女性と、彼女をいつの間にか愛してし
まう男性との恋を描きたいのかな?甘い甘い。視聴者はそこまで待てるかな?
でも主体性を持たないけど我儘で、人に依存する女性を愛する人もいるんだと知ったのは、
「母さん なぜ僕を捨てた」というノンフィクションを観て。
以前日記に綴った「母に愛されたい子供たち」にも同じような境遇の子供の心理に
触れたことがあったけど、
この「母さんなぜ僕を捨てた」の方は、捨てた母親や兄弟の姿を15年も追いかけたドキュ
メンタリー。
この青年は今、愛する人と出会い幸せを自らの手でつかんだが、ドキュメンタリー始めの頃
は、施設を16歳で飛び出し金髪にピアスで塗装工として働き始めていて、「自分を捨てた
母に会いたい」という願いを実現したものの、その「現実」と向き合うことになる。
その母親が「アルコール依存症」で、無銭飲食などで度々警察の世話になるのだが、息子は
その母親を狭いワンルームに引き取り一緒に暮らそうと決意するのだ。
この母親、お世辞にも良い母親とは言えないし身だしなみにも構わずで、年令よりもずっと
老けて見えた。息子の部屋で何をするでもなく、立膝に肘をつきタバコを吸う姿は観ていて
ただ「悲しい」。
でもこの後、息子の家を出て行方不明だったこの女性を愛して一緒に暮らす男性が現れる。
そしてその男性から意外な言葉を聴くことに。
年令に不釣り合いな赤い紅を付け、白髪の髪には大きな髪飾り、耳にはキラキラと安っぽい
イヤリングを付けたその人を「愛している。ずっと自分が面倒を見るから大丈夫」と。
そして男性はその通り、彼女を一生懸命立ち直らせようと努力するのだ。
この男性はその後も他の男性の家に入り浸り帰宅しなくなった彼女を連れ戻し、入籍し、故郷
の病院に居る母親にも会わせる。息子も初めは不安に思ったようだけれど、この男性を信頼し、
父親のように慕った。
何と奇特な息子と男性だろう・・と思ったのは私だけではないらしく、あちこちにこの母親の
悪口が書かれているが、所詮、人って理想通りにはいかないものなのだろう。
ただ、もし私がこの母親だったら、もちろん子供を捨てないし、事情があり止む無く捨てたと
したら、死んでも捨てた子の世話になったりしない。それがせめてもの詫びだと思うし、最後
まで守りたい唯一の「プライド」だろうから。
このドラマは、文芸誌の読み切り小説だった「女子的生活」が好評を博し連載化したものが
原作だとか。
自称トランス ジェンダーの「みき」こと小川幹生(志尊淳)の女子っぷりが見事だった。
本のあらすじには
ガールズライフを楽しむため、東京に出てきたみきは、アパレルで働きながらお洒落生活を
満喫中。マウンティング、セクハラ、モラハラ、毒親……おバカさんもたまにはいるけど
傷ついてなんかいられない。そっちがその気なら、応戦させてもらいます! とある。
元は男子だった人が「外見至上主義」のオシャレにしか興味のない女子と化して生きる、軽ーい
ドラマかと思われたけど、自分に向けられる一見悪意が無さそうに見えてその実侮辱的かつ観念
的な周囲の好奇の目と戦う姿に、つい応援したくなるドラマだった。
色んな差別があっても背筋伸ばして堂々と前を向く彼女(彼)だけど、3話めの「家族との再会」は
その反応が怖くて隠し続けたい気持ちとカミングアウトしたい気持との狭間でうつむいてしまう一面
も。この回では、父親の深い愛を感じ、涙なしでは見られなかった。
全4話だけの短い間だったけれど、女性が社会でぶつかる様々な壁に立ち向かうことにも通じる、
「媚びずに強く生きる」姿が描かれていて、毎回爽快な気分になった。
このドラマと相反して、今放送中のドラマ「きみが心に棲みついた」は観た後、不快感に包まれる。
(あくまでも私自身の感覚なので、好きな方はご気分を害されるかもしれません。この先は読まない
でくださいね)
このドラマはコミックが原作だということだけど、今の女性はこんなんじゃないと思いたい。
とりわけこのシーン。
学生時代、主人公が憧れていた星名さんという男性から「自分と付き合いたいなら友人たちの前
で脱げ」と言われ、「彼が私だけのものになるなら」と大勢の男性の前で脱ぐというエピソード
が、まず不愉快すぎる。
こんなことを命令する男性はもちろんだけど、愛があればそんなことを求めるはずがないことに
さえ気付かない「稚拙すぎるこの主人公の行動」の、どこにも感情移入できない。
しかも吉岡里帆さんという女優さんのキャラに全くそぐわない「オドオドとした態度」や度々
口にする「私なんか」という卑屈な言葉(もちろんそんな気持ちになる時は誰にもあることだけど)
が、観ていてとても嫌な気持ちになる。
他の男性を好きになりかけた矢先、星名が他の女性と仲睦まじく振る舞う様子を見た途端、嫉妬に
かられて詰め寄るが(@@)跳ね除けられて女性と車で走り去った二人の後を追いかけ、泣きなが
ら名前を呼び転ぶシーンなんてもう・・何十年前のドラマか?と恥ずかしくなるほど@@;
原作もそうなのか?って首を傾げてしまった。
しかも仕事中に個人的な悩みを何通もメールしてみたり、かと思えば心配してくれる相手に突然
「私に関わらないで」と言ってみたりの非常識ぶりで、まるで子供のように世界は自分中心に回
っていると思っているかのよう。この後、お決まりのパターンで彼女の成長ぶりを見せていくの
だろうけど、現時点でもう私はアウトかも;大昔の少女漫画だってここまで「自分」を持たない
女の子は登場しなかったゾと思う。
一昔前のドジッ子を愛するパターンだとしたら、彼女たちは決して「自分を持たない」のではなく
ただおっちょこちょいなだけで、芯はしっかりしていたように思う。だからこそ好きになる人も
いたのが理解できるし、読者たちは自分に当てはめて応援したくなった。
「謙虚さ」と「過度な謙遜」は違うし、「人の気持ちに寄りそうこと」と「人に媚びること」は
全く違うと思う自分には、「貴女にはプライドは無いの?」と言いたくなるドラマだ。
このタイトルから想像するに、原作者は社会性ゼロのこの女性と、彼女をいつの間にか愛してし
まう男性との恋を描きたいのかな?甘い甘い。視聴者はそこまで待てるかな?
でも主体性を持たないけど我儘で、人に依存する女性を愛する人もいるんだと知ったのは、
「母さん なぜ僕を捨てた」というノンフィクションを観て。
以前日記に綴った「母に愛されたい子供たち」にも同じような境遇の子供の心理に
触れたことがあったけど、
この「母さんなぜ僕を捨てた」の方は、捨てた母親や兄弟の姿を15年も追いかけたドキュ
メンタリー。
この青年は今、愛する人と出会い幸せを自らの手でつかんだが、ドキュメンタリー始めの頃
は、施設を16歳で飛び出し金髪にピアスで塗装工として働き始めていて、「自分を捨てた
母に会いたい」という願いを実現したものの、その「現実」と向き合うことになる。
その母親が「アルコール依存症」で、無銭飲食などで度々警察の世話になるのだが、息子は
その母親を狭いワンルームに引き取り一緒に暮らそうと決意するのだ。
この母親、お世辞にも良い母親とは言えないし身だしなみにも構わずで、年令よりもずっと
老けて見えた。息子の部屋で何をするでもなく、立膝に肘をつきタバコを吸う姿は観ていて
ただ「悲しい」。
でもこの後、息子の家を出て行方不明だったこの女性を愛して一緒に暮らす男性が現れる。
そしてその男性から意外な言葉を聴くことに。
年令に不釣り合いな赤い紅を付け、白髪の髪には大きな髪飾り、耳にはキラキラと安っぽい
イヤリングを付けたその人を「愛している。ずっと自分が面倒を見るから大丈夫」と。
そして男性はその通り、彼女を一生懸命立ち直らせようと努力するのだ。
この男性はその後も他の男性の家に入り浸り帰宅しなくなった彼女を連れ戻し、入籍し、故郷
の病院に居る母親にも会わせる。息子も初めは不安に思ったようだけれど、この男性を信頼し、
父親のように慕った。
何と奇特な息子と男性だろう・・と思ったのは私だけではないらしく、あちこちにこの母親の
悪口が書かれているが、所詮、人って理想通りにはいかないものなのだろう。
ただ、もし私がこの母親だったら、もちろん子供を捨てないし、事情があり止む無く捨てたと
したら、死んでも捨てた子の世話になったりしない。それがせめてもの詫びだと思うし、最後
まで守りたい唯一の「プライド」だろうから。