10月26日さいたま芸術劇場で、蜷川幸雄演出の「じゃじゃ馬馴らし」を観た。
舞台にはシェイクスピアの故郷 Stratford upon Avon を彷彿とさせる可愛い木組みの家(これが冒頭の居酒屋)。窓の花台には色とりどりの花々(美術:中越司)。
領主とその家来たちは品がない。分かり易くするためのいろいろな工夫が加えられている。
酔っ払いスライをだまして自分を殿様だと思い込ませるシーンで、召使たちは全身赤の奇抜な格好。皆、腰をかがめ、年寄りを装っているが、スライが後ろを見せると途端にやれやれと腰を伸ばし、彼が向きを変えるとあわててまた元に戻すので、客席が沸く。要するに原作を超えて、必要もないところで客席にせっせとサービスする。召使いたちが「ふり」をしていることを強調して分かり易くするためだとは思うが、ここまで親切を尽くす必要があるだろうか。「ヘンリー六世」での肉片落下を思い出した。
次の場では、奥の壁一面にボッティチェリの「春」が描かれた幕が掛かっている。
ペトルーチオ役の筧利夫がすごい。立て板に水とはこのこと。ヒロイン・キャタリーナ役の市川亀治郎には背の高さで幾分か負けているが、そこは勢いで押し切る。亀治郎相手に一歩も引かないばかりか、しかも破綻がない。この人をすっかり見直した。
市川亀治郎が登場すると拍手が起こったのには参った。客の何割かは彼のファンなのだろう。この人を起用するというのはすごいアイディアだ。こんなキャタリーナは初めて観た。彼は歌舞伎の様々な技も自在に繰り出して、独特のヒロイン像を描き出し、それが実におかしい。
ビアンカ役の月川悠貴は相変わらず美しいが、演技には失望した。第2場での姉との対話は数少ない姉妹の会話なのだから、もっと自然に、口早に生き生きと気持ちを込めてやってほしい。昔の蜷川さんなら灰皿を投げたのではないだろうか。ビアンカ役には美しさだけが求められている訳ではない。
シェイクスピアの伝道師として、蜷川さんは分かり易くしたりウケを狙った仕草やセリフを加えたりしているが、原作のセリフはほとんど削っていない。そのため3時間近くかかった。
皆、例によって早口で、特にペトルーチオはすごい。初めて聴いた人はどの位理解できただろうか。しかしそれもある程度は仕方ないことだ。筧さんには、今後ともぜひシェイクスピア作品に出演していただきたい。
舞台にはシェイクスピアの故郷 Stratford upon Avon を彷彿とさせる可愛い木組みの家(これが冒頭の居酒屋)。窓の花台には色とりどりの花々(美術:中越司)。
領主とその家来たちは品がない。分かり易くするためのいろいろな工夫が加えられている。
酔っ払いスライをだまして自分を殿様だと思い込ませるシーンで、召使たちは全身赤の奇抜な格好。皆、腰をかがめ、年寄りを装っているが、スライが後ろを見せると途端にやれやれと腰を伸ばし、彼が向きを変えるとあわててまた元に戻すので、客席が沸く。要するに原作を超えて、必要もないところで客席にせっせとサービスする。召使いたちが「ふり」をしていることを強調して分かり易くするためだとは思うが、ここまで親切を尽くす必要があるだろうか。「ヘンリー六世」での肉片落下を思い出した。
次の場では、奥の壁一面にボッティチェリの「春」が描かれた幕が掛かっている。
ペトルーチオ役の筧利夫がすごい。立て板に水とはこのこと。ヒロイン・キャタリーナ役の市川亀治郎には背の高さで幾分か負けているが、そこは勢いで押し切る。亀治郎相手に一歩も引かないばかりか、しかも破綻がない。この人をすっかり見直した。
市川亀治郎が登場すると拍手が起こったのには参った。客の何割かは彼のファンなのだろう。この人を起用するというのはすごいアイディアだ。こんなキャタリーナは初めて観た。彼は歌舞伎の様々な技も自在に繰り出して、独特のヒロイン像を描き出し、それが実におかしい。
ビアンカ役の月川悠貴は相変わらず美しいが、演技には失望した。第2場での姉との対話は数少ない姉妹の会話なのだから、もっと自然に、口早に生き生きと気持ちを込めてやってほしい。昔の蜷川さんなら灰皿を投げたのではないだろうか。ビアンカ役には美しさだけが求められている訳ではない。
シェイクスピアの伝道師として、蜷川さんは分かり易くしたりウケを狙った仕草やセリフを加えたりしているが、原作のセリフはほとんど削っていない。そのため3時間近くかかった。
皆、例によって早口で、特にペトルーチオはすごい。初めて聴いた人はどの位理解できただろうか。しかしそれもある程度は仕方ないことだ。筧さんには、今後ともぜひシェイクスピア作品に出演していただきたい。