4月7日江東区文化センターホールで、アガサ・クリスティ作「そして誰もいなくなった」を見た(演出:鈴木孝宏)。
イギリス、デヴォン州沖の孤島、ソルジャー島にあるオーウェン夫妻邸に8人の客人たちが招かれる。
邸では、使用人のロジャースとその妻が客人たちを迎え入れる準備に勤しんでいる。
最初の船で到着したのは、オーウェン夫妻に秘書として雇われたヴェラと元陸軍大尉ロンバード。
次の船で、青年マーストン、元刑事のブロア、マッケンジー将軍、老婦人ミス・ブレント、元判事のウォーグレイブ、アームストロング医師が到着。
その夜、一同が会し晩餐が始まると、突然、不穏な声が聞こえ、10人それぞれの過去の罪状が読み上げられる。
やがて、古くから伝わる童謡の歌詞通りにひとりずつ死んでいく・・・ひとりいなくなるたび、恐怖に慄き疑心暗鬼に陥る人々。
折しもマントルピースの上に置かれた10人の兵士の人形が1体ずつ消えていき・・・(チラシより)。
1939年に発表された同名の長編小説は、クリスティの最高傑作と言われている。
本作は、作者が自ら2年の歳月をかけて完成させた戯曲版であり、1943年に上演が始まると、大戦下にもかかわらず大ヒットし、
後にブロードウェイでも好評を博し、ロングランヒットとなった由。
ネタバレあります注意!!
ミステリーなので、当然ですが、犯人を知りたくない方は、ここから先は絶対に読まないでくださいね!
奥行きの狭い、横長の舞台。
椅子があちこちにあり、ソファが一つ、下手の壁際の棚に白い人形が10体。
奥に大きなガラス戸と2つの大きなガラス窓。
その向こうは海らしい。ガラス戸を出たところに海に降りる通路。
作者自身による戯曲は、原作の小説とはだいぶ違う。
着いた早々、ヴェラ(伶美うらら)とエミリー・ブレント(夏樹陽子)は服装のことで険悪な雰囲気に。
将軍役の石山雄大は老齢で危なっかしい。
まもなく将軍は錯乱状態に陥り、亡妻のことをしきりに口走る・・・。
この日のために原作の小説を読んだ。
作者の孫の男性が、10歳の時これを読んで怖くてたまらなかったと書いているが、私も怖かった。
途中から、これは夜寝る前に読むべきではないと思った。
だって「部屋に誰かいる・・」「でも、振り向けない・・」とか書いてあるし(笑)。
原作はもちろん素晴らしかったが、それを戯曲にするにあたっての作者の技巧がまたすごい。
小説では全員が次々に殺されてしまい、その後、警察が来て捜査するものの、誰がみんなを殺したのかまるで分らず、迷宮入りかと思われる。
と、その後に「真犯人」の手記が現れる!
それを読めば、すべての謎が解けてすっきりするというわけだ。
だが、芝居ではそんなことはできない。
犯人の手記を誰かが長々と読み上げるなんて面白くないし。
ではどうするか。
大胆に筋を変えたのだ。
大詰め、10人の客のうち8人までが殺され、ヴェラとロンバード(野村宏伸)の二人が残る。
二人とも、相手が殺人鬼だと思い、何とかしてやられる前に相手をやっつけようと考える。
結局、ヴェラがロンバードの隙をついて銃を奪って撃つが、その時突然、不気味な老人の笑い声が聞こえたかと思うと、
死んだはずの判事(側見民雄)が白い毛糸のカツラをかぶったまま部屋に飛び込んで来る。
そして、驚くヴェラを相手に、これまでの種明かし=自らの天才的な犯罪を、得々として語るのだ。
医師アームストロング(小野了)を味方に引き入れ、死んだふりをしたこと、その後、自由に動き回ったこと・・。
ヴェラが「私は無実よ!」と言うと、判事は「あんたが心神喪失ならそうだろう。だがあんたは健康だ。
狂っているのは私だ!」と笑いながら両手を振り回す。その様は、まさに狂人!
「さあ、首をくくれ」と言われてヴェラは催眠術をかけられた人のように椅子に上がり、縄に首をかける。
と、その時、死んだはずのロンバードがすばやく身を起こしてピストルで判事を撃ち殺し、ヴェラを縄から外して椅子から降ろす。
ヴェラ「私、あなたを殺したと思った」
ロンバード「素人は真っ直ぐ撃てないんだ。君の弾がどこに飛ぶか予想して反対側によけたんだ」
彼が原住民を20人も置き去りにして見殺しにしたという話は嘘だった。
話は逆で、彼の英雄的な行為が誤って広まったのだった。
ヴェラの方も、本当の人殺しはピーター(原作のシリル)の伯父ヒュー(原作のヒューゴー)だと言う。
ヴェラが岩に向かって泳ぎ出した子供の後を追おうとしたら、ヒューに止められた。
彼はヴェラの恋人だったが、強欲な人だった(ピーターがいなければ、ある人の遺産が手に入るのだ)。
実はその時、ピーターに「お前ならあの岩まで行ける」とそそのかした、と後で彼は告白したという。
ついに恐るべき犯人は死んだ。
生き延びることができた二人は抱き合う。
こうしてクリスティのエンディングにふさわしく、若い二人のカップルが誕生。
そこに迎えのボートが来る音が聞こえる。めでたしめでたし。
犯人は生来、生き物が死ぬのを見たり、殺したりして喜ぶ嗜虐趣味があった。
と同時に、全く正反対の、強い正義感も持っていた。
そのため彼は、法律を学び、判事になった。
年を取るにつれて、彼は人を殺したい、という気持ちを抑えることができなくなった。
だがそれはただの殺人ではいけない。
世の中には、人を殺しておいてまんまと法の裁きを逃れた奴らがいるという。
そういう奴らを見つけ出して、正当な裁きを下してやろうとしたのだった。
生き残った二人は無実だった。
でないと後味が悪くて観客に受け入れてもらえないだろう。
こうして、「誰もいなくならなかった」のだった(笑)。
タイトルとは違う結末だが、実に見応えのある芝居だった。
やはりクリスティはすごい、と改めて思った。
イギリス、デヴォン州沖の孤島、ソルジャー島にあるオーウェン夫妻邸に8人の客人たちが招かれる。
邸では、使用人のロジャースとその妻が客人たちを迎え入れる準備に勤しんでいる。
最初の船で到着したのは、オーウェン夫妻に秘書として雇われたヴェラと元陸軍大尉ロンバード。
次の船で、青年マーストン、元刑事のブロア、マッケンジー将軍、老婦人ミス・ブレント、元判事のウォーグレイブ、アームストロング医師が到着。
その夜、一同が会し晩餐が始まると、突然、不穏な声が聞こえ、10人それぞれの過去の罪状が読み上げられる。
やがて、古くから伝わる童謡の歌詞通りにひとりずつ死んでいく・・・ひとりいなくなるたび、恐怖に慄き疑心暗鬼に陥る人々。
折しもマントルピースの上に置かれた10人の兵士の人形が1体ずつ消えていき・・・(チラシより)。
1939年に発表された同名の長編小説は、クリスティの最高傑作と言われている。
本作は、作者が自ら2年の歳月をかけて完成させた戯曲版であり、1943年に上演が始まると、大戦下にもかかわらず大ヒットし、
後にブロードウェイでも好評を博し、ロングランヒットとなった由。
ネタバレあります注意!!
ミステリーなので、当然ですが、犯人を知りたくない方は、ここから先は絶対に読まないでくださいね!
奥行きの狭い、横長の舞台。
椅子があちこちにあり、ソファが一つ、下手の壁際の棚に白い人形が10体。
奥に大きなガラス戸と2つの大きなガラス窓。
その向こうは海らしい。ガラス戸を出たところに海に降りる通路。
作者自身による戯曲は、原作の小説とはだいぶ違う。
着いた早々、ヴェラ(伶美うらら)とエミリー・ブレント(夏樹陽子)は服装のことで険悪な雰囲気に。
将軍役の石山雄大は老齢で危なっかしい。
まもなく将軍は錯乱状態に陥り、亡妻のことをしきりに口走る・・・。
この日のために原作の小説を読んだ。
作者の孫の男性が、10歳の時これを読んで怖くてたまらなかったと書いているが、私も怖かった。
途中から、これは夜寝る前に読むべきではないと思った。
だって「部屋に誰かいる・・」「でも、振り向けない・・」とか書いてあるし(笑)。
原作はもちろん素晴らしかったが、それを戯曲にするにあたっての作者の技巧がまたすごい。
小説では全員が次々に殺されてしまい、その後、警察が来て捜査するものの、誰がみんなを殺したのかまるで分らず、迷宮入りかと思われる。
と、その後に「真犯人」の手記が現れる!
それを読めば、すべての謎が解けてすっきりするというわけだ。
だが、芝居ではそんなことはできない。
犯人の手記を誰かが長々と読み上げるなんて面白くないし。
ではどうするか。
大胆に筋を変えたのだ。
大詰め、10人の客のうち8人までが殺され、ヴェラとロンバード(野村宏伸)の二人が残る。
二人とも、相手が殺人鬼だと思い、何とかしてやられる前に相手をやっつけようと考える。
結局、ヴェラがロンバードの隙をついて銃を奪って撃つが、その時突然、不気味な老人の笑い声が聞こえたかと思うと、
死んだはずの判事(側見民雄)が白い毛糸のカツラをかぶったまま部屋に飛び込んで来る。
そして、驚くヴェラを相手に、これまでの種明かし=自らの天才的な犯罪を、得々として語るのだ。
医師アームストロング(小野了)を味方に引き入れ、死んだふりをしたこと、その後、自由に動き回ったこと・・。
ヴェラが「私は無実よ!」と言うと、判事は「あんたが心神喪失ならそうだろう。だがあんたは健康だ。
狂っているのは私だ!」と笑いながら両手を振り回す。その様は、まさに狂人!
「さあ、首をくくれ」と言われてヴェラは催眠術をかけられた人のように椅子に上がり、縄に首をかける。
と、その時、死んだはずのロンバードがすばやく身を起こしてピストルで判事を撃ち殺し、ヴェラを縄から外して椅子から降ろす。
ヴェラ「私、あなたを殺したと思った」
ロンバード「素人は真っ直ぐ撃てないんだ。君の弾がどこに飛ぶか予想して反対側によけたんだ」
彼が原住民を20人も置き去りにして見殺しにしたという話は嘘だった。
話は逆で、彼の英雄的な行為が誤って広まったのだった。
ヴェラの方も、本当の人殺しはピーター(原作のシリル)の伯父ヒュー(原作のヒューゴー)だと言う。
ヴェラが岩に向かって泳ぎ出した子供の後を追おうとしたら、ヒューに止められた。
彼はヴェラの恋人だったが、強欲な人だった(ピーターがいなければ、ある人の遺産が手に入るのだ)。
実はその時、ピーターに「お前ならあの岩まで行ける」とそそのかした、と後で彼は告白したという。
ついに恐るべき犯人は死んだ。
生き延びることができた二人は抱き合う。
こうしてクリスティのエンディングにふさわしく、若い二人のカップルが誕生。
そこに迎えのボートが来る音が聞こえる。めでたしめでたし。
犯人は生来、生き物が死ぬのを見たり、殺したりして喜ぶ嗜虐趣味があった。
と同時に、全く正反対の、強い正義感も持っていた。
そのため彼は、法律を学び、判事になった。
年を取るにつれて、彼は人を殺したい、という気持ちを抑えることができなくなった。
だがそれはただの殺人ではいけない。
世の中には、人を殺しておいてまんまと法の裁きを逃れた奴らがいるという。
そういう奴らを見つけ出して、正当な裁きを下してやろうとしたのだった。
生き残った二人は無実だった。
でないと後味が悪くて観客に受け入れてもらえないだろう。
こうして、「誰もいなくならなかった」のだった(笑)。
タイトルとは違う結末だが、実に見応えのある芝居だった。
やはりクリスティはすごい、と改めて思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます