8月12日紀伊國屋サザンシアターで、ルーカス・ナス作「人形の家 part2」を見た(演出:栗山民也)。
演劇史上に燦然と輝くイプセン作「人形の家」の何と続編(!)を米国の劇作家が書いてしまった。
トニー賞8部門ノミネート。日本初演。
以下ネタバレあります。注意!
15年ぶりに帰宅したノラ(永作博美)。乳母(梅沢昌代)は驚きながらも歓迎し、夫(山崎一)との和解を勧める。だが彼女の目的は別にあった。実はこの15年
の間にノラは作家として成功を収めていた。本名を伏せ自身の経験を綴った作品は、多くの女性の共感と反響を呼んだ。しかし或る女性読者の夫に、ノラの「未婚の
女流作家」という立場が偽りであるという事実を掴まれ、世間に公表すると脅迫されていた。ノラは、この危機を回避するために夫との離婚を成立させるべく家に
戻ってきたのだった(チラシより)。
イプセンの作品は、今からちょうど140年前に書かれた。
その中では触れられていないが、当時、結婚制度は女性にとって不平等で理不尽なものだったらしい。
夫は妻と簡単に離婚できたが、妻は夫の暴力・浮気等々を証明しないと離婚できなかった。
その頃は日本でも同様だっただろう。
ノラの夫トルヴァルの場合、彼女と離婚の手続きをすると約束したものの、妻の家出直後から周囲の人々に妻のことを尋ねられ、まだ動揺と精神的ショックの只中にある
彼は、どうしても「妻に家出された」とは言えず、つい「ちょっと遠くに旅行している」と答えたのだった。そのうち、ノラは病気で療養中だという噂が流れ、かなり悪い
らしい、亡くなったらしい、と話が進んでいった。それに対しても彼は積極的に否定しなかった。だからまだ離婚届けを出していないのだ。そして、もちろん市役所には
死亡証明書もない・・・。
この芝居を見終わって、ノラには性格上の問題があるように感じた、と言うより、そういう風に作者はイプセンのノラを解釈しているようだ。
裕福な父に溺愛され、夫にも甘やかされ、言わば苦労知らずのお嬢様育ち(かつて夫の転地療養のために密かに借金し、その返済に何年も苦労したとは言え)。
それゆえわがままなところがある。
乳母アンネ・マリーにも子供たちに対しても、もう少し配慮があればよかったのだが。
突然の家出で多大な迷惑をかけたのは確かなのだから。
ノラは本が売れたため経済的には豊かになり、自立し、生き生きしているが、愛する人がいない。行きずりの男たちと奔放に関係を持ってきたようだが、この人は
誰かを愛したいという気持ちが薄いようだ。
家出の後、せめて子供たちに時々手紙を書き送っていれば、彼らも(特に母のことを覚えていない末っ子の娘は)母の愛を感じられただろうに。
与えることを知らない彼女の心の貧しさが、強く印象に残る。
かつて(家出の前)はあれほど夫に愛を注いでいたことを思えば、別人のようだ。
あの時、夫の言動から受けたショックがそれだけ大きかったということか。
末っ子エイミー(那須凛)が登場し、母に向かってまず最初に「あなたを恨む気持ちは全然ありません」とにこやかに言う。
だが母は彼女に特に興味があるわけでもなく、ただ夫に離婚届けを出すよう、彼女から説得してほしいだけだった。
「今まであなたは私に会いたがらなかった。初めて今日、会いたがったのは、自分を助けてほしかったからだけ!」
彼女の満たされぬ思い、少女時代の孤独、寂しさ、母の愛を知らずに育った日々を思うと痛々しい。
「私、婚約者がいるの」
エイミーのこの言葉が発せられた瞬間、舞台にさっと新たな光が差し込んだ。
「でもあなたは結婚には反対なんでしょ?」(この作者、なかなかやる!)
驚くのは、この娘に対して、初対面とも言うべき母親ノラが、結婚を思いとどまらせようとすることだ。
私のようになって後悔しないでほしい、などと。
そんなことを言われたら反発するのは当然だろう。
ノラは、結婚は女にとって束縛であり、いつかきっと結婚しなくても生きていけるようになり、みんなが自由になれる日が来る、と言う。
するとエイミー「私は誰かのものになりたいの」
「あなたが言うように、今から何十年かたって、そうなったとして、それでどうなの?」
そう、女は結婚に束縛されなくなるが、その代わり、どこにも心から落ち着ける場所がなくなるのかも知れない。
アンネ・マリーが言う通り、この子は「説得力がある」。
翻訳(常田景子)がいい。自然な日本語で、翻訳ものという違和感がまるでない。
ノラはピンクのスーツ姿。古風だが上品で美しい(衣装:前田文子)。
エイミーは白いブラウスに緑のフレアースカートで若々しさが際立つ。
見応えのある芝居を、かぶりつき(最前列の席)で堪能することができた。
ただ、夫トルヴァルがけがをするシーンがあるが、その必要があるのか、その点が若干弱いのが残念。
役者もうまい人をそろえているので、芝居の流れに隙がない。
永作博美は出ずっぱりで演出家の期待に応え好演。
山崎一も梅沢昌代も涙は流すは鼻水は出すはの迫真の演技(何しろかぶりつきなので)。
エイミー役の那須凛は今回初めて見たが、少し独特の声に張りがあってよく通り、演技もうまい。注目すべき人だ。今回の収穫。 。
演劇史上に燦然と輝くイプセン作「人形の家」の何と続編(!)を米国の劇作家が書いてしまった。
トニー賞8部門ノミネート。日本初演。
以下ネタバレあります。注意!
15年ぶりに帰宅したノラ(永作博美)。乳母(梅沢昌代)は驚きながらも歓迎し、夫(山崎一)との和解を勧める。だが彼女の目的は別にあった。実はこの15年
の間にノラは作家として成功を収めていた。本名を伏せ自身の経験を綴った作品は、多くの女性の共感と反響を呼んだ。しかし或る女性読者の夫に、ノラの「未婚の
女流作家」という立場が偽りであるという事実を掴まれ、世間に公表すると脅迫されていた。ノラは、この危機を回避するために夫との離婚を成立させるべく家に
戻ってきたのだった(チラシより)。
イプセンの作品は、今からちょうど140年前に書かれた。
その中では触れられていないが、当時、結婚制度は女性にとって不平等で理不尽なものだったらしい。
夫は妻と簡単に離婚できたが、妻は夫の暴力・浮気等々を証明しないと離婚できなかった。
その頃は日本でも同様だっただろう。
ノラの夫トルヴァルの場合、彼女と離婚の手続きをすると約束したものの、妻の家出直後から周囲の人々に妻のことを尋ねられ、まだ動揺と精神的ショックの只中にある
彼は、どうしても「妻に家出された」とは言えず、つい「ちょっと遠くに旅行している」と答えたのだった。そのうち、ノラは病気で療養中だという噂が流れ、かなり悪い
らしい、亡くなったらしい、と話が進んでいった。それに対しても彼は積極的に否定しなかった。だからまだ離婚届けを出していないのだ。そして、もちろん市役所には
死亡証明書もない・・・。
この芝居を見終わって、ノラには性格上の問題があるように感じた、と言うより、そういう風に作者はイプセンのノラを解釈しているようだ。
裕福な父に溺愛され、夫にも甘やかされ、言わば苦労知らずのお嬢様育ち(かつて夫の転地療養のために密かに借金し、その返済に何年も苦労したとは言え)。
それゆえわがままなところがある。
乳母アンネ・マリーにも子供たちに対しても、もう少し配慮があればよかったのだが。
突然の家出で多大な迷惑をかけたのは確かなのだから。
ノラは本が売れたため経済的には豊かになり、自立し、生き生きしているが、愛する人がいない。行きずりの男たちと奔放に関係を持ってきたようだが、この人は
誰かを愛したいという気持ちが薄いようだ。
家出の後、せめて子供たちに時々手紙を書き送っていれば、彼らも(特に母のことを覚えていない末っ子の娘は)母の愛を感じられただろうに。
与えることを知らない彼女の心の貧しさが、強く印象に残る。
かつて(家出の前)はあれほど夫に愛を注いでいたことを思えば、別人のようだ。
あの時、夫の言動から受けたショックがそれだけ大きかったということか。
末っ子エイミー(那須凛)が登場し、母に向かってまず最初に「あなたを恨む気持ちは全然ありません」とにこやかに言う。
だが母は彼女に特に興味があるわけでもなく、ただ夫に離婚届けを出すよう、彼女から説得してほしいだけだった。
「今まであなたは私に会いたがらなかった。初めて今日、会いたがったのは、自分を助けてほしかったからだけ!」
彼女の満たされぬ思い、少女時代の孤独、寂しさ、母の愛を知らずに育った日々を思うと痛々しい。
「私、婚約者がいるの」
エイミーのこの言葉が発せられた瞬間、舞台にさっと新たな光が差し込んだ。
「でもあなたは結婚には反対なんでしょ?」(この作者、なかなかやる!)
驚くのは、この娘に対して、初対面とも言うべき母親ノラが、結婚を思いとどまらせようとすることだ。
私のようになって後悔しないでほしい、などと。
そんなことを言われたら反発するのは当然だろう。
ノラは、結婚は女にとって束縛であり、いつかきっと結婚しなくても生きていけるようになり、みんなが自由になれる日が来る、と言う。
するとエイミー「私は誰かのものになりたいの」
「あなたが言うように、今から何十年かたって、そうなったとして、それでどうなの?」
そう、女は結婚に束縛されなくなるが、その代わり、どこにも心から落ち着ける場所がなくなるのかも知れない。
アンネ・マリーが言う通り、この子は「説得力がある」。
翻訳(常田景子)がいい。自然な日本語で、翻訳ものという違和感がまるでない。
ノラはピンクのスーツ姿。古風だが上品で美しい(衣装:前田文子)。
エイミーは白いブラウスに緑のフレアースカートで若々しさが際立つ。
見応えのある芝居を、かぶりつき(最前列の席)で堪能することができた。
ただ、夫トルヴァルがけがをするシーンがあるが、その必要があるのか、その点が若干弱いのが残念。
役者もうまい人をそろえているので、芝居の流れに隙がない。
永作博美は出ずっぱりで演出家の期待に応え好演。
山崎一も梅沢昌代も涙は流すは鼻水は出すはの迫真の演技(何しろかぶりつきなので)。
エイミー役の那須凛は今回初めて見たが、少し独特の声に張りがあってよく通り、演技もうまい。注目すべき人だ。今回の収穫。 。
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