ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ『メデア』

2023-06-10 10:50:51 | オペラ
5月28日、日生劇場で、ケルビーニ作曲のオペラ『メデア』を見た(原作:エウリピデス、ピエール・コルネイユ、台本:フランソワ=ブノワ・オフマン、
演出:栗山民也、指揮:園田隆一郎、オケ:新日フィル)。



愛と憎しみに苦しみぬいた先に待つものは・・・。
ギリシア悲劇に基づく、王女メデアの壮絶な復讐劇。
ケルビーニの劇的音楽が紡ぐ、メデアの激情と葛藤から、
不条理と矛盾に満ちた人間の本質が、鮮烈に浮かび上がる(チラシより)。

日生劇場開場60周年記念公演
全3幕。イタリア語上演、日本語字幕付き。
日本初演!
作曲者はベートーヴェンと同時代の人。
ベートーヴェンは、この曲の序曲を好んだという。

オペラではたまにあることだが、この作品も開幕前の前日譚が長くて複雑なので、まずはそれを押さえておきたい。
パンフレットに掲載の長屋晃一氏の解説が大変ありがたい。
以下は、ほぼ長屋氏の解説からの引用です。

<前日譚> (カッコ内はオペラでの呼び名)
イアソン(ジャゾーネ)は、テッサリア王国の王子だったが、叔父ペリアスが国を治めていた。
成長して叔父に王権の返還をもとめると、叔父は金羊毛と引き換えに返そうと条件を課す。
金羊毛とは文字通り黄金の羊の毛皮であり、コルキスという地で恐ろしい竜に守られていた。
つまりペリアスは無理難題をつきつけたのである。
イアソンは勇者を募り、船団を組んで出港した。
コルキスは今の黒海沿岸にあり、ギリシアを中心とするヘレニズム世界にとっては地の果てと言ってよい。
そのコルキスを治めていたのはアイエテスという王で、その娘がメーデイア(メデア)だった。
メーデイアは、はるか遠くから現れた美青年イアソンに一目惚れする。
さてアイエテス王もまた、イアソンに難題を吹っ掛け、金羊毛を渡すまいとする。
イアソンに助けを求められると、メーデイアはひとたまりもない。
父と祖国を裏切って、竜を眠らせる薬草をイアソンに渡す。
父王の怒りを買ったメーデイアは、イアソンと共に逃げる。その際、自分の弟を八つ裂きにして遺体をばらまき、追跡を遅らせたというから恐ろしい。
金羊毛とメーデイアを手に入れ帰国したイアソン。
だが叔父ペリアスは王権を返そうとしない。メーデイアはイアソンのため、魔術と計略を用いた。
ペリアスの娘たちに若返りの術を伝授する。古い血を流し、薬を塗りこめば若返るという。
娘たちは親孝行のつもりでぺリアスに剣を突き立て、血を流させる。
しかし、そのまま王はこと切れる。
娘たちに父親を殺させる、このことがテッサリアの民を恐怖に陥れた。
イアソンは国にいられなくなる。そこで逃れたのがコリントスだった。
・・・以上。
この何ともおぞましいストーリーの後に、このオペラは始まる。
以下のあらすじは、やはりパンフレットに掲載の岸純信氏の文章を要約したものです。

<第1幕>
コリントの王の娘グラウチェ(横前奈緒)はテッサリア出身の武将ジャゾーネ(城宏憲)を深く愛しているが、結婚への不安を抑えきれない。
侍女たちは王女を慰め、愛の神の加護を祈る。
王女の父クレオンテ(デニス・ビシュニャ)がジャゾーネを連れて現れ、皆で愛の神に祈りを捧げる。
そこに衛兵の長が現れ、怪しい女が忍び込んだと告げる。それはメデア(中村真紀)その人だった。
彼女は名乗りをあげ、一同は恐怖に駆られる。
クレオンテはメデアを退けようとし、グラウチェは天の加護を祈るが、メデアはジャゾーネに「永遠の愛に結ばれている私たち。
私は実の弟を犠牲にしてまであなたを守ってあげたでしょう?」と問いただし、アリア<あなたの子供たちの母親は>を歌い、
悔悟の念と孤独の心を元夫に訴える。
続けてメデアはジャゾーネの裏切りを非難し、婚儀を呪う。ジャゾーネは、コリントから去れと脅す。
<第2幕>
メデアは「子供たちと引き離されようとしている」と独白。侍女ネリスが「コリントの民がメデアの血を欲しがっている」と伝え、逃げるよう勧める。
クレオンテが来て、改めて「この国を去れ」と彼女に命じる。メデアは子供たちのためにお情けを!と懇願、その必死の頼みにクレオンテは一日の猶予を与える。
ジャゾーネが現れ、メデアは子供たちへの愛を口にし、「お前たちを二度と見ることはないだろう」と悲痛に歌い上げる。
ジャゾーネはその言葉に心動かされるが、メデアは一方で「あなたは私の偽りの溜息や苦しみに、大きな代償を払わされることになる」と独白。
一人になったメデアはネリスに、グラウチェの婚礼の際に、王冠とぺプロス(古代ギリシアの女性が着た衣服)を贈るように、と命じる。
結婚の合唱が聞こえ、クレオンテとグラウチェとジャゾーネが結婚の神に祈る声も届くので、メデアは呪い、怒り狂う。
人々の喜びの声を背景に、メデアは復讐の時を待つ。
<第3幕>
メデアは地獄の神々に祈り、二人の子供を生贄に捧げようと独白。
ネリスが現れ、グラウチェが贈り物を身につけたと伝え、子供たちを連れてくる。
だがメデアは子供たちを見て「ジャゾーネの目つきだ!」と口を開く。ネリスが驚き「お気を確かに!」と叫ぶので、
メデアも正気に返り、子供たちを抱きしめ、アリア<私の心をくじく誇り高き苦しみには>を歌う。
彼女は改めてグラウチェへの贈り物について尋ね、彼女がそれを身につけたと聞いて喜び、「王冠に仕込んだ毒がグラウチェを蝕むだろう」と告白する。
ネリスは驚き、「もうたくさんです。お子様たちとお別れを」と強く言って、子供たちを急いで連れ去る。
だがメデアは錯乱、「ジャゾーネの子らに憐れみをかけられようか!」と口走り、復讐の女神に訴え、子供たちを殺そうと決意する。
宮殿内から人々の恐怖の叫び声が聞こえ、メデアは喜ぶ。ジャゾーネの悲しみの叫びも聞こえる。
ジャゾーネ登場。神に向かって「子供たちをお守り下さい!」と絶叫。人々も「女の血で償いを!」と叫ぶ。
ネリスが飛び出してきて、メデアが子供たちを追いかけていると伝える。
するとメデアが現れ、ジャゾーネに向かって「子供たちの血が仇をとってくれた!」と吐き捨てる。
火の手が上がり、人々が逃げ惑う中で幕が降りる。

このオペラは「劇的音楽の頂点」と称されたそうだが、一時埋もれていた。
だが1952年にフィレンツェで、マリア・カラスがタイトルロールを演じ、その熱演ぶりが大評判になったことから上演回数が倍増したという。

音楽はドラマチックで素敵だが、たまにアリアの序奏が長いため、その間、歌手が舞台をゆっくり動き回って間を持たせるなどしていた。
演出家泣かせの箇所だ。

歌手はみな、歌も演技も驚くほど達者で非の打ち所がない。
特にメデアの侍女ネリス役の山下牧子が出色。
主役のメデアを演じた中村真紀は、この役にぴったりで圧倒的な存在感。
ラストで、恋人と子供たちを殺されて絶望のあまり地にうずくまるジャゾーネを、傲然と見下ろす姿が忘れ難い。
この後、彼女も自害するわけだが、死ぬ前に、元夫への復讐の成就を目に焼きつけようとするのだ。
この演出もいい。
彼女は元夫を殺しはしない。殺さずに苦しみと絶望の内に生かしておくことの方が復讐にふさわしいと考えたのだ。

これまで単に、嫉妬に駆られた女性が我を忘れて可愛いわが子に手をかける・・という話だと思っていたが、全然違っていたと分かって衝撃を受けた。
以下、少し長くなるが、長屋氏の分析があまりに面白いので、引用したい。

メデアと元夫ジャゾーネの二重唱から
 ジャゾーネ:王の力は強大だ。
       王の怒りを恐れるがいい!
 メデア  :私の父も王だった。
       その父を私は裏切った
 ジャゾーネ:そして今、お前は死へとひた走る!
 メデア  :私は死ぬだろうが、お前に
       記憶を植え付けてやる。
       お前は未来永劫
       私を忘れられぬだろう!
 ジャゾーネ:お前は死ぬのだ、
       凄惨な死がお前を待つ!
 メデア  :だが、死ぬ前に、
       復讐を果たしてみせる!

この会話にはおかしなところがある、と長屋氏は指摘する。
確かに、よく読むと、メデアは常にジャゾーネの言葉に反応しているのに、ジャゾーネは、メデアの言葉になんら返答していない。
この二重唱では、ジャゾーネが一方的に言いたいことを言い、メデアの言葉に聞く耳を持っていないことを表している。
つまり、会話全体を通して、怒りで我を忘れ、言いたい放題のジャゾーネの性格が見えてくる。
反対に、メデアはジャゾーネの言葉を一言も聞きもらすまいと耳をそばだて、頭を使っている。
この会話からわかるように、理性を持っているのはメデアの側で、我を忘れているのはジャゾーネの側なのだ。
ここに、メデアとジャゾーネの性格とこの場の状況が見事に表現されている。
このように、この作品は音楽が素晴らしいばかりでなく、台本も実に巧妙だということがわかった。

<情と理> 
メデアはクレオンテとジャゾーネの情に訴える。
彼らはメデアを拒絶したことを後ろめたく思っている。なぜなら彼女の方に理があるからだ。
体面と権力にこだわる男性側は、メデアをしりぞけ、自分たちの利害を守ろうとするため、後ろめたさを感じずにはいられない。
そのため、クレオンテは一日の猶予を与え、ジャゾーネは子供たちと過ごすことを許す。
だが、彼らは犠牲と言えるようなものをまったく払っていない。
メデアが自らの技術を用い、国や親兄弟を捨てた犠牲とは比較にならない。
この取引はまったく釣り合いがとれていない。

メデアは復讐を果たすべきだという理と、母親としての情の間に引き裂かれる。
彼女は何度も自問自答し、葛藤した後、ついに親としての情を断ち切る。
以上、長屋氏の解説から引用させていただきました。
子殺しとはおぞましいが、メデアは元夫がそれを知って苦しむのを見た後、自害すると決めていたのだから、実質、心中だろう。

ついにブラボー解禁!
終演後のカーテンコールでの手つなぎも復活!
満場の人々と感動を共にでき、興奮を表すこともできて、胸が一杯になった。

特に期待していなかったが、これが今年一番のイベントになるかも。


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