前回の続き。6月24日に新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キェシロフスキ作「デカローグ 8 ある過去に関する物語」について。演出は上村聡史。
倫理学を教える大学教授とその聴講生。
聴講生の質問は教授の隠された過去を暴いていく。
スポーツ好きな女性大学教授ゾフィア。ある日、勤務先の大学に、自身の
著作の英訳者である女性大学教授エルジュピタが来訪する。ゾフィアの
倫理学講義を聴講した彼女は、議論するための倫理的問題提起の題材として
第二次大戦中にユダヤ人の少女に起こった実話を語り始めるが、その
内容は二人の過去に言及したものであった・・・(チラシより)。
エルジュピタ(岡本玲)はニューヨークから、ゾフィア(高田聖子)の講義を聴講するためにやって来た。
ちなみにエルジュピタというのは英語のエリザベスに当たるらしい。
ゾフィアは講義で、ある男性患者の身に起こったことを紹介する。
彼が死ぬかどうかを、彼の妻が医者にしつこく尋ねる。
彼女は妊娠しており、その子の父親は夫ではなかった。
もし彼が死なずに退院したら、子供を産むわけにはいかない(つまり中絶するしかない)、と彼女は考える。
(これは、デカローグ 2 の内容そのまま)
学生らは議論を始める。
しまいにゾフィアが「子供の命が一番大事ということです」とまとめる。
するとエルジュピタが、自分も話をしていいか、と言い出す。
1943年2月、6歳のユダヤ人の女の子は、カトリックであるという証明をもらうために
代父母を世話してもらい、さらに、カトリックだと偽証してくれる夫婦のところに行った。
案内の男と一緒に。
その家の妻が温かい紅茶を出してくれたが、その場になって彼女は偽証を断った・・・。
女子学生が質問する。
十戒に「偽証してはならない」とあるからですか?・・・
ゾフィアはなぜか早目に授業を終える。
「たまには早く終わるのもいいでしょう」
二人きりになると、ゾフィアは言う。「あなたはあの時の・・・生きていたのね」
エルジュピタ「ええ・・」
ゾフィアは迷いつつも、うちで夕食を、と誘う。
食後、ゾフィアが言う。「ダイエットしてるの。つつましい食事で驚いたでしょう」
エルジュピタはそこにあるノートに「〇日、ロメインレタス、〇日、キャロットラペ・・」と
書いてあるのを見て驚く。ゾフィアは毎日野菜しか食べてないようだ。
そこに同僚の初老の男性が切手を見せに来る。
親し気に話す中で、ゾフィアの息子が神父になった、とチラッと話す。
彼が帰ると、ゾフィアは「うちに泊まらない?」
エルジュピタは泊まることにする。
ゾフィアは彼女がひざまずいて祈るところを見かける。
朝、近所でジョギングしたり思い思いに体操したりする人々。
ひょろっとした男が柔らかい体をくねらせている。
エルジュピタはゾフィアとの朝食用に、ベーコンやミルクなどを買って来る。
それを見たゾフィア「たまにはこういうのもいいわね」
エルジュピタはゾフィアの書いた本を読んで、彼女があの時の妻だと気づいた。
ニューヨークで会った時、言おうかと思ったが。
授業で、子供の命の話にならなければ、言わなかったかも、と。
彼女は改めて、あの時なぜ偽証を断ったのかと尋ねる。
ゾフィアは答える。
十戒で禁止されていたからではない。
夫は当時、レジスタンスの組織に属していた。
少女のために偽証したことが周囲に知れると、組織全体に危険が及ぶかも知れなかったから、と。
エルジュピタ「息子さんはどこに?」
ゾフィア「息子は遠くにいるわ。私と一緒にいたくないみたい」
エルジュピタ「私をかくまってくれた人たちは今どこに?会いたいんです」
ゾフィア「今、仕立て屋をやってるわ。・・私は外で待ってる」
一度会ったことがあるけど、ごめんなさいしか言えなかった・・」
彼女はあの日少女を助けられなかったことが忘れられず、その後何人ものユダヤ人を助けてきたのだった。
二人は仕立て屋の店に行く。
ゾフィアは建物の外で待っている。
店の奥では、主人が何人かの職人と仕事中。
主人はエルジュピタを、服の注文に来た客かと思う。
彼女がかつてのことを尋ねても、「戦前のことも戦争中のことも戦後のことも、忘れた」。
彼女が「1943年2月、私は6歳でした」と言うと、彼はまじまじと彼女の顔を見る。
だが次の瞬間、何も聞かなかったかのように、服の雑誌をめくり、「どんなのがいいですか?
最近は布が手に入りにくいので、できれば布地を持ち込んでくれると助かります」
エルジュピタ「ずいぶん古い雑誌ですね」
店主 「外国に行った人にもらったんです」
エルジュピタ「新しいものをお送りしてもいいですか?」
店主 「そりゃあ助かります」
エルジュピタが出て行き、下でゾフィアと話すのを、仕立て屋は上から見ている。
「生きていたんだ・・」
ゾフィアはエルジュピタの肩に手をかける。
二人は手を取り合う。幕。
このしみじみとしたラストで音楽がないのが、まことに有難い。
戦争の傷は深く、多くの人の心に当時もなお暗い影を落としていた。
仕立て屋の主人は、戦争中のことは何も口にしたくないらしく、頑固に押し黙っている。
たとえ、自分が助けた少女が奇跡的に生き延びて成長し、自分に会いに来た、という喜ばしい場面においても。
だが、ここに、長い間の誤解を解き、新しい関係を築こうとする人々がいる。
ゾフィアにとって、エルジュピタが生きていて、会いに来てくれたことは何という救いだったことか。
これから彼女たちは、もっと親密になってゆくことだろう。
見ている我々にも温かいものが伝わって来る、後味の良い戯曲だ。
この世の理不尽さのただ中で、人間の善意を信じることができること、
希望を持てることの喜びを感じさせる。
倫理学を教える大学教授とその聴講生。
聴講生の質問は教授の隠された過去を暴いていく。
スポーツ好きな女性大学教授ゾフィア。ある日、勤務先の大学に、自身の
著作の英訳者である女性大学教授エルジュピタが来訪する。ゾフィアの
倫理学講義を聴講した彼女は、議論するための倫理的問題提起の題材として
第二次大戦中にユダヤ人の少女に起こった実話を語り始めるが、その
内容は二人の過去に言及したものであった・・・(チラシより)。
エルジュピタ(岡本玲)はニューヨークから、ゾフィア(高田聖子)の講義を聴講するためにやって来た。
ちなみにエルジュピタというのは英語のエリザベスに当たるらしい。
ゾフィアは講義で、ある男性患者の身に起こったことを紹介する。
彼が死ぬかどうかを、彼の妻が医者にしつこく尋ねる。
彼女は妊娠しており、その子の父親は夫ではなかった。
もし彼が死なずに退院したら、子供を産むわけにはいかない(つまり中絶するしかない)、と彼女は考える。
(これは、デカローグ 2 の内容そのまま)
学生らは議論を始める。
しまいにゾフィアが「子供の命が一番大事ということです」とまとめる。
するとエルジュピタが、自分も話をしていいか、と言い出す。
1943年2月、6歳のユダヤ人の女の子は、カトリックであるという証明をもらうために
代父母を世話してもらい、さらに、カトリックだと偽証してくれる夫婦のところに行った。
案内の男と一緒に。
その家の妻が温かい紅茶を出してくれたが、その場になって彼女は偽証を断った・・・。
女子学生が質問する。
十戒に「偽証してはならない」とあるからですか?・・・
ゾフィアはなぜか早目に授業を終える。
「たまには早く終わるのもいいでしょう」
二人きりになると、ゾフィアは言う。「あなたはあの時の・・・生きていたのね」
エルジュピタ「ええ・・」
ゾフィアは迷いつつも、うちで夕食を、と誘う。
食後、ゾフィアが言う。「ダイエットしてるの。つつましい食事で驚いたでしょう」
エルジュピタはそこにあるノートに「〇日、ロメインレタス、〇日、キャロットラペ・・」と
書いてあるのを見て驚く。ゾフィアは毎日野菜しか食べてないようだ。
そこに同僚の初老の男性が切手を見せに来る。
親し気に話す中で、ゾフィアの息子が神父になった、とチラッと話す。
彼が帰ると、ゾフィアは「うちに泊まらない?」
エルジュピタは泊まることにする。
ゾフィアは彼女がひざまずいて祈るところを見かける。
朝、近所でジョギングしたり思い思いに体操したりする人々。
ひょろっとした男が柔らかい体をくねらせている。
エルジュピタはゾフィアとの朝食用に、ベーコンやミルクなどを買って来る。
それを見たゾフィア「たまにはこういうのもいいわね」
エルジュピタはゾフィアの書いた本を読んで、彼女があの時の妻だと気づいた。
ニューヨークで会った時、言おうかと思ったが。
授業で、子供の命の話にならなければ、言わなかったかも、と。
彼女は改めて、あの時なぜ偽証を断ったのかと尋ねる。
ゾフィアは答える。
十戒で禁止されていたからではない。
夫は当時、レジスタンスの組織に属していた。
少女のために偽証したことが周囲に知れると、組織全体に危険が及ぶかも知れなかったから、と。
エルジュピタ「息子さんはどこに?」
ゾフィア「息子は遠くにいるわ。私と一緒にいたくないみたい」
エルジュピタ「私をかくまってくれた人たちは今どこに?会いたいんです」
ゾフィア「今、仕立て屋をやってるわ。・・私は外で待ってる」
一度会ったことがあるけど、ごめんなさいしか言えなかった・・」
彼女はあの日少女を助けられなかったことが忘れられず、その後何人ものユダヤ人を助けてきたのだった。
二人は仕立て屋の店に行く。
ゾフィアは建物の外で待っている。
店の奥では、主人が何人かの職人と仕事中。
主人はエルジュピタを、服の注文に来た客かと思う。
彼女がかつてのことを尋ねても、「戦前のことも戦争中のことも戦後のことも、忘れた」。
彼女が「1943年2月、私は6歳でした」と言うと、彼はまじまじと彼女の顔を見る。
だが次の瞬間、何も聞かなかったかのように、服の雑誌をめくり、「どんなのがいいですか?
最近は布が手に入りにくいので、できれば布地を持ち込んでくれると助かります」
エルジュピタ「ずいぶん古い雑誌ですね」
店主 「外国に行った人にもらったんです」
エルジュピタ「新しいものをお送りしてもいいですか?」
店主 「そりゃあ助かります」
エルジュピタが出て行き、下でゾフィアと話すのを、仕立て屋は上から見ている。
「生きていたんだ・・」
ゾフィアはエルジュピタの肩に手をかける。
二人は手を取り合う。幕。
このしみじみとしたラストで音楽がないのが、まことに有難い。
戦争の傷は深く、多くの人の心に当時もなお暗い影を落としていた。
仕立て屋の主人は、戦争中のことは何も口にしたくないらしく、頑固に押し黙っている。
たとえ、自分が助けた少女が奇跡的に生き延びて成長し、自分に会いに来た、という喜ばしい場面においても。
だが、ここに、長い間の誤解を解き、新しい関係を築こうとする人々がいる。
ゾフィアにとって、エルジュピタが生きていて、会いに来てくれたことは何という救いだったことか。
これから彼女たちは、もっと親密になってゆくことだろう。
見ている我々にも温かいものが伝わって来る、後味の良い戯曲だ。
この世の理不尽さのただ中で、人間の善意を信じることができること、
希望を持てることの喜びを感じさせる。
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