5月25日ピット昴(サイスタジオ大山第一)で、イモジェン・スタッブス作「われら幸運な少数」を見た(劇団昴公演、演出:千葉哲也)。
第二次世界大戦下のロンドン。実在した女性だけのツアー劇団「オシリス・プレイヤーズ」をモデルに女たちの奮闘を描く。
シェイクスピア、バーナード・ショウ・・イギリス演劇を観てもらうため、どんなに遠くても、野宿をするような悪条件でも、約1500回の
公演を遂げたパワフルな女性たちがいた。彼女たちを駆り立てた情熱と涙とそれぞれが持つドラマ(チラシより)。
本邦初演。ネタバレあります注意!
開幕前に流れていたピアノ曲はブラームスの間奏曲。中で弾かれるのもブラームスのピアノ協奏曲第1番。
枠構造。冒頭は現代。15年前にこの倉庫を引き継いだという女性と一人の男性とが、懐中電灯を手に入って来る。
彼らが出て行くと、亡霊たちが出て来る。話を聴いていたらしく、「失礼ね」とか言いながら。
時代は第二次世界大戦前夜。
男たちが戦地に駆り出され、芝居の上演ができなくなったため、ヘティ(高山佳央理)とフローラ(湯屋敦子)は女だけで劇団を結成して全国を回ろうと考える。
役者を募集し、オーディションするが、来たのは全くの素人ばかり。
そこに、ユダヤ人の親子がドイツから逃れて来る。母親ガートルード(磯辺万沙子)はドイツ語しか話せず、息子ヨーゼフ(町屋圭祐)が片言の英語で通訳する。
プロの俳優ヘレン(林佳代子)も加わり、政府の助成金を申請するが、大臣はなかなか認めない。
それでもめげずに工夫して、ようやく認められ、いよいよ公演が始まるが・・・。
オーディションが始まり、一人ずつ自分の好きなシェイクスピア劇のセリフを口にし出した時は、シェイクスピア・フリークにとって
これほど楽しい芝居があろうか!?と胸が高鳴ったが・・。
この戯曲の難点はと言えば、翻訳した芦沢みどり氏が書いている通り「とにかく長い」「ロンドンでの上演時間は3時間だったというから、
日本語上演だと4時間近くかかるはずだ」
翻訳すると、それくらい長くなるのです。
ただ今回、演出の千葉哲也氏がだいぶカットしているので、何とか3時間に収まったが。
それでも、まるで大河ドラマを見たような印象。
そしてその中に、あまりに多くを詰め込み過ぎ。
ざっとあらましを書くと、
「マクベス」上演、劇団内でカップル誕生、ヘレンのせいであわや解散か!?、ヘレンと娘の確執、妊娠騒動、
ヘティの過去(息子の存在)が明らかに、ヨーゼフが前線に、息子の結婚に反対する母、女性2人が恋に落ちる、
爆撃で妊婦が・・、義母が赤子を・・、
終戦、砂浜で「ヘンリー五世」上演、新聞の戦死者の欄に・・、聖クリスピンの例の演説・・、
乳母車に赤ん坊、その子の名前・・
・・・とまあ、盛り沢山の内容。
この作品は、作者が初めて書いた戯曲だというから、あれもこれも入れたい気持ちはわかるが。
これだけ盛り沢山だと、面白くはあるが、せっかくの名場面の印象が拡散してしまう。
次に問題なのは、とにかく感傷的過ぎること!
世界的に見ると、日本人はかなりウェットで情緒的な方だと思うが、その日本人もびっくりなくらい。
みんなよく泣くし。
だが舞台上で泣くのは難しい。
下手すると役者だけが感動していて、客席は置いてきぼりにされ、白けてしまう。
今回も、劇中劇の上演中だというのに、個人的なショックのため、勇ましい名演説の途中で絶句してしまう主人公には驚いた。
きついことを言うようだが、プロ意識に欠けるのではないか。
これは役者のせいでも演出家のせいでもなく、原作の戯曲の失敗だと思う。
タイトルは「ヘンリー五世」の有名な演説からの引用。
英国軍はフランスに進軍したが、兵の数では圧倒的に多いフランス軍を前に、厭戦気分が蔓延していた。
その時、若き国王ヘンリーが語り出す。
我々は人数は少ない。だが、少ないことが、かえって我々の名誉となるのだ。
今日の戦いに勝って国に帰り、家族や友人たちに戦場でのことを話して聞かせよう。
今日の戦いと勝利のことが、親から子へ、子から孫へと何世代にもわたって語り継がれるだろう。
その時、この戦いに参加しなかった者は、地団駄踏んで悔しがるだろう・・。
この演説が兵士たちの心に火をつけ、ついに信じられないような奇跡的な勝利を勝ち取るのだ。
ここは、そのままやっても十分感動的なシーンなのだが。
そこに、ヘティの悲劇的な運命を重ね合わせると、さらにいいかも、と作者が思って相乗効果を狙ったのだとしたら、逆だった。
かえって相殺されてしまい、せっかくの最高に感動的なシーンが、気の抜けたものになってしまった。
それと、いくつか冗長な部分があるので、そこもカットした方がいい。
老人が幕間の挨拶をするシーンや、恋人たちをみんなで祝福したり励ましたりするシーンも退屈だった。
演出については、他にも腑に落ちないところがいくつかあった。
たとえば劇中劇「マクベス」のラストで、マクベスとマクダフの一騎打ちの際、マクベスは、すでに戦う気力を無くしているはず。
なのに彼は、わりと元気に戦い続けるし、逆に、復讐心に燃えているはずのマクダフが弱くて何度もやられそうなのは変だ。
あちこちにシェイクスピア好きを喜ばせるものが散りばめられている。
最初の方で「マクベス」第5幕の「女から生まれたのではない」についての問答を聴かせておいて、ラスト近くで妊婦に対して義母がそれと同じことをしたり。
ガートルードが小道具の天使の羽根をちぎって息子の妻の顔に近づけるのは、「リア王」のラストシーンから。
シェイクスピア劇からの引用は劇団昴の大先輩である福田恆存の訳を使った由。
ヘティのモデルとなったナンシー・ヒューインズという人について、翻訳した芦沢みどり氏が詳しく書いてくれている。
この人と彼女たちの劇団のことは、この戯曲が書かれるまで忘れられていたという。
埋もれていた彼女たちの功績を甦らせてくれた作者には、大いに感謝したい。
ただ、本国の英国でもこの作品があまり上演されないのは、やはり長過ぎて、感傷的過ぎるためだろう。
第二次世界大戦下のロンドン。実在した女性だけのツアー劇団「オシリス・プレイヤーズ」をモデルに女たちの奮闘を描く。
シェイクスピア、バーナード・ショウ・・イギリス演劇を観てもらうため、どんなに遠くても、野宿をするような悪条件でも、約1500回の
公演を遂げたパワフルな女性たちがいた。彼女たちを駆り立てた情熱と涙とそれぞれが持つドラマ(チラシより)。
本邦初演。ネタバレあります注意!
開幕前に流れていたピアノ曲はブラームスの間奏曲。中で弾かれるのもブラームスのピアノ協奏曲第1番。
枠構造。冒頭は現代。15年前にこの倉庫を引き継いだという女性と一人の男性とが、懐中電灯を手に入って来る。
彼らが出て行くと、亡霊たちが出て来る。話を聴いていたらしく、「失礼ね」とか言いながら。
時代は第二次世界大戦前夜。
男たちが戦地に駆り出され、芝居の上演ができなくなったため、ヘティ(高山佳央理)とフローラ(湯屋敦子)は女だけで劇団を結成して全国を回ろうと考える。
役者を募集し、オーディションするが、来たのは全くの素人ばかり。
そこに、ユダヤ人の親子がドイツから逃れて来る。母親ガートルード(磯辺万沙子)はドイツ語しか話せず、息子ヨーゼフ(町屋圭祐)が片言の英語で通訳する。
プロの俳優ヘレン(林佳代子)も加わり、政府の助成金を申請するが、大臣はなかなか認めない。
それでもめげずに工夫して、ようやく認められ、いよいよ公演が始まるが・・・。
オーディションが始まり、一人ずつ自分の好きなシェイクスピア劇のセリフを口にし出した時は、シェイクスピア・フリークにとって
これほど楽しい芝居があろうか!?と胸が高鳴ったが・・。
この戯曲の難点はと言えば、翻訳した芦沢みどり氏が書いている通り「とにかく長い」「ロンドンでの上演時間は3時間だったというから、
日本語上演だと4時間近くかかるはずだ」
翻訳すると、それくらい長くなるのです。
ただ今回、演出の千葉哲也氏がだいぶカットしているので、何とか3時間に収まったが。
それでも、まるで大河ドラマを見たような印象。
そしてその中に、あまりに多くを詰め込み過ぎ。
ざっとあらましを書くと、
「マクベス」上演、劇団内でカップル誕生、ヘレンのせいであわや解散か!?、ヘレンと娘の確執、妊娠騒動、
ヘティの過去(息子の存在)が明らかに、ヨーゼフが前線に、息子の結婚に反対する母、女性2人が恋に落ちる、
爆撃で妊婦が・・、義母が赤子を・・、
終戦、砂浜で「ヘンリー五世」上演、新聞の戦死者の欄に・・、聖クリスピンの例の演説・・、
乳母車に赤ん坊、その子の名前・・
・・・とまあ、盛り沢山の内容。
この作品は、作者が初めて書いた戯曲だというから、あれもこれも入れたい気持ちはわかるが。
これだけ盛り沢山だと、面白くはあるが、せっかくの名場面の印象が拡散してしまう。
次に問題なのは、とにかく感傷的過ぎること!
世界的に見ると、日本人はかなりウェットで情緒的な方だと思うが、その日本人もびっくりなくらい。
みんなよく泣くし。
だが舞台上で泣くのは難しい。
下手すると役者だけが感動していて、客席は置いてきぼりにされ、白けてしまう。
今回も、劇中劇の上演中だというのに、個人的なショックのため、勇ましい名演説の途中で絶句してしまう主人公には驚いた。
きついことを言うようだが、プロ意識に欠けるのではないか。
これは役者のせいでも演出家のせいでもなく、原作の戯曲の失敗だと思う。
タイトルは「ヘンリー五世」の有名な演説からの引用。
英国軍はフランスに進軍したが、兵の数では圧倒的に多いフランス軍を前に、厭戦気分が蔓延していた。
その時、若き国王ヘンリーが語り出す。
我々は人数は少ない。だが、少ないことが、かえって我々の名誉となるのだ。
今日の戦いに勝って国に帰り、家族や友人たちに戦場でのことを話して聞かせよう。
今日の戦いと勝利のことが、親から子へ、子から孫へと何世代にもわたって語り継がれるだろう。
その時、この戦いに参加しなかった者は、地団駄踏んで悔しがるだろう・・。
この演説が兵士たちの心に火をつけ、ついに信じられないような奇跡的な勝利を勝ち取るのだ。
ここは、そのままやっても十分感動的なシーンなのだが。
そこに、ヘティの悲劇的な運命を重ね合わせると、さらにいいかも、と作者が思って相乗効果を狙ったのだとしたら、逆だった。
かえって相殺されてしまい、せっかくの最高に感動的なシーンが、気の抜けたものになってしまった。
それと、いくつか冗長な部分があるので、そこもカットした方がいい。
老人が幕間の挨拶をするシーンや、恋人たちをみんなで祝福したり励ましたりするシーンも退屈だった。
演出については、他にも腑に落ちないところがいくつかあった。
たとえば劇中劇「マクベス」のラストで、マクベスとマクダフの一騎打ちの際、マクベスは、すでに戦う気力を無くしているはず。
なのに彼は、わりと元気に戦い続けるし、逆に、復讐心に燃えているはずのマクダフが弱くて何度もやられそうなのは変だ。
あちこちにシェイクスピア好きを喜ばせるものが散りばめられている。
最初の方で「マクベス」第5幕の「女から生まれたのではない」についての問答を聴かせておいて、ラスト近くで妊婦に対して義母がそれと同じことをしたり。
ガートルードが小道具の天使の羽根をちぎって息子の妻の顔に近づけるのは、「リア王」のラストシーンから。
シェイクスピア劇からの引用は劇団昴の大先輩である福田恆存の訳を使った由。
ヘティのモデルとなったナンシー・ヒューインズという人について、翻訳した芦沢みどり氏が詳しく書いてくれている。
この人と彼女たちの劇団のことは、この戯曲が書かれるまで忘れられていたという。
埋もれていた彼女たちの功績を甦らせてくれた作者には、大いに感謝したい。
ただ、本国の英国でもこの作品があまり上演されないのは、やはり長過ぎて、感傷的過ぎるためだろう。
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