ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「ハムレット」

2023-03-18 09:26:58 | 芝居
3月6日世田谷パブリックシアターで、シェイクスピア作「ハムレット」を見た(翻訳:河合祥一郎、構成・演出:野村萬斎)。



父である先王の亡霊から死の経緯を知らされたハムレットは、その死を仕組んだ叔父クローディアスへの復讐を誓い狂気を装う。
この復讐計画により、ハムレットを慕うオフィーリアやその兄レアティーズ、王妃である母親ガートルードをはじめ、彼の周りの人々は
その運命の歯車を狂わせていく(チラシより)。
ネタバレあります注意!

今回、野村萬斎は戯曲を構成し直し、クローディアスと亡霊とを演じ、息子野村裕基がハムレットを演じる。
そのプレビュー公演の日に、若村麻由美のガートルードと、たぶんホレイショー役の采澤靖起目当てで足を運んだ(予想は当たった)。
構成というのでカットが多いかと思ったが、休憩を含めて3時間半かかるという。
ではしっかりやってくれるのかと期待したが・・・。

冒頭、「誰だ!」という言葉がこだまして何度も響き渡り、舞台から張り出した階段にハムレットが倒れている。
ここで早くもいやな予感。その後も、やたらと余計なことをつけ足し、肝心の原文のセリフはカットし・・。

亡霊は甲冑姿どころか能のお面と衣装をつけている。音楽も和(笛や太鼓)。
新王クローディアスと王妃登場。王は変な金の頭飾りをつけていて、それが和というより無国籍風で、実に奇妙だ。
二人の衣装も和風。妃は真紅。王は紫と赤。
王のしゃべり方は癖があって妙だが、亡霊の方は(同じ萬斎だが)悪くない。異形のものだからか。
ポローニアス役の村田雄浩がうまい(この人は墓堀り1も兼ねる)。コミカルで面白い。
彼はハムレットがオフィーリアに宛てた恋文を王と妃に読んで聞かせる時、思い切っておかしな読み方をする。

芝居の順序を変えたりしているので、所々矛盾している。つまり破綻あり!

劇中劇がいい。
座長(河原崎國太郎)が王と妃の二役をやり、黒子が衣装を半分つけたり脱がせたり着替えさせたりと慌ただしいが、
河原崎が声音を見事に変えるのでまったく問題ない。
  
 ~休憩~

<2幕>
クローディアスが一人神に祈るシーンでも、セリフをだいぶつけ加えている。これではもはや翻案ではないか。腹立たしい。
王妃の間の、いわゆる「クローゼットシーン」で、妃は白とブルーのドレス。
ポローニアスを殺した後のハムレットのセリフも、原文とだいぶ違う。
その後の追っかけっこを、軽快な音楽を流しながら長々とやる。かりにも人一人殺されたというのに、その神経が理解不能。

王宮前で、民衆が「レアティーズを王に!」と騒ぎ出した時、王は妃に状況を説明するが、同じセリフを二度繰り返したりして危なっかしい!
聞いていてハラハラドキドキ。プレビューだからか。

オフィーリア狂乱の場で歌われるのは、ちゃんとした歌でなく断片的なもの。
ここでもまたセリフが少し違う。

妃がオフィーリアの死を語る時、二階にオフィーリアが現れ、水に飲まれるシーンを表現する。

ホレイショーのところに船乗りが来てハムレットからの手紙を渡すシーンで、王宛ての手紙と王妃宛ての手紙も差し出す。
この2通を、なぜかそこに置いたまま二人は去り、王妃がそれを見つけて読むという場面がつけ加えられる。なにゆえ?

墓堀り二人が客席側に退場する時、口を覆って「飛沫が・・」とか時事ネタで笑いを取る。

決闘。途中で剣が入れ替わるはずが、なかなか替わらずドキドキ。
王妃は王がワインの盃に毒を入れる時、じっと見ている!なに?!
彼女はその盃を王の手から取って飲もうとし、王が止めようとすると真顔で「飲みます!」などと強く主張する・・なに?
彼女は自殺しようとしているのか??

ハムレットが「どうした、みんな、顔青ざめて」と言う時、それまで周りを取り囲んでいた廷臣たちは一人もいない。
それでは困るでしょうが!
彼が王に毒杯を突きつけて「飲め!」と言うと、王は周りを見回し、困ってニヤニヤし、「乾杯」と言って飲み、ハハハと笑いながら
階段を降り、倒れている妃のそばに近づいて自分も倒れる。
こんなカッコ悪いクローディアスは初めて見た。
ハムレットの死後、フォーティンブラスが軍を率いて来る。
そのシーンがまた、うんざりするほど長い。

主演の野村祐基は好演。声が父親そっくり。セリフの言い方もそっくり。
ただ、状況によって、もっと違う言い方もできるようになると、なおいい。

この日の演出には失望のひと言。
萬斎の演出・主演の「マクベス」を見たことがある(2010年3月)が、その時の自分のブログを読み返してみると、絶賛していた(笑)。
主に彼の声の美しさ、日本語の美しさを褒めていたのだが、萬斎はその時、戯曲を驚くほど大胆にカットしていた。
何しろたった5人で「マクベス」をやったのだから当然だが、そのため、芝居の筋にとって不可欠な要素すら無くなっていた。
たとえばマクダフ一家皆殺し。
あの事件がなかったら、マクベス夫人は気が狂うことはなかったかも知れないのだから、カットすることで芝居に無理が生じる。
その他、バンクォー殺しもない、フリーアンス省略、逃亡する王子たち省略、医師と侍女もいない。
これでは、この芝居のおいしいところ、深い味わいが、まるでなくなってしまう。
そして、ただひたすら魔女たちの存在を強調して、全体をそれで押し通している。
しかもラストでは、絶望しているはずのマクベスが「おれは明日を信じるぞ」と言う。
実は、これが一番いけないのだが。

この人がシェイクスピアのどこを面白いと感じているのか、が今回ようやく少しわかった。
今回も、亡霊が出てくるのが面白いと思ったのだろう。
それと、全体を和風にしたら面白かろう、オリジナリティが出せるだろうとも。
もちろん日本趣味を前面に押し出し、わが国の伝統とシェイクスピアを絡めたのは面白かったが。
幼い頃から日本の伝統芸能の中で厳しく育てられてきた彼は、神とか罪とか良心の呵責などという概念には、あまり関心がないのだろう。
シェイクスピアの芝居の根底には、そういうものががっしりとあり、そこを無視しては一番面白いところが抜けてしまうと思うのだが。
そこでは人間がこの世で経験するありとあらゆる感情、心情が描かれていて、見ている私たちも、それらを共に経験できるのだ。
それが観劇の醍醐味だろう。
例えば、クローディアスは悪い奴だが、彼だって、2008年に RSC でパトリック・スチュアートが演じたように、演じ方次第で胸が締めつけられるほど
観客の同情心をかき立てることもできるのだ。
だが萬斎にとっては魔女だの亡霊だのというのが演劇として面白いというだけのことのようだ。
まあ、何を面白いと思うかは、人それぞれだからかまわないが。
彼は、これを持って「世界に打って出る」と言っているようだが、少なくとも、順序を変えたために破綻しているところだけは直した方がいい。





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