以前、↓の記事で
失われた30年っていうのは、さなぎの時期で
表面的には変化はなかったけど、
内面では大きく意識が変わって、
その前(昭和)には、
権力のある人や金持ちが良いと思われていたけど、
その後(令和=今)は
能力の高い人、さらには存在自体が高波動な人が好い
と思われるようになった
と書いた。
で、その理由をスピ的に説明しようと思ったけど、
(アセンションにより、国民全体の意識が高い波動に変わった)
それだと、一部の人にしか共感もらえなさそうな気がするので
今回は、一般的に説明してみたいと思います。
■失われた30年は、「さなぎの時期」
失われた30年
(1990年ごろのバブル崩壊から2020年過ぎのコロナ明けまで)
は、まさに「さなぎの時期」だと思います。
・失われた30年よりも前の時代は
日本が貧しいところから、豊かになる
「成長の時代」
欲に任せて、お金儲けて、いい生活する。
そのためには、いい大学行って、いい企業に就職する
という、一つの価値感が出来上がっていた時代。
なので、大量生産、大量消費、マスメディアが普及した。
みんながいい思いをすることを目指した。
そして、権力のある人や金持ちが良いと思われていた。
蝶のたとえでいうと、毛虫の時代。
成長が重要で、どれだけの体長になったかが問題
(どれだけのGDPか、世界何位かが問題)
まさに That’s 昭和 っていう感じ
・失われた30年よりも後の今は
もう、豊かになって、このままの状態を持続したい
「安定の時代」
豊かになって、貧しくはないのだけれど、
なにか自分のアイデンティティがないので、それを求めていく
なので、個性が大事という時代。
なので、カスタマイズ生産、こだわり・プレミア消費、SNSが普及した。
個性的という意味では、各種能力の高い人、
さらには存在自体が高波動な人が好いわけだ。
ただ、それよりも、今の状況を失うことのほうが怖い
今後は、個性から、今のものを失わないため、
目立たないことに変わりつつある
蝶のたとえでいうと、蝶の時代。
成長はもうしなくていい。
あとは死ぬ前に、子孫を残すことが重要で、
そのためには個性が必要だが、
あまりにも個性的だと、子孫が残せないので、
そこまでは目立ちたくない。
とにかく生きていることが大事
な時代に変わった。
結果、失われた30年より前の人は、
失われたのは成長で、
もう一度成長する(日本はてっぺんを目指す)
と思っている
だけど、失われた30年より後の人は、
失われたのはその昭和の考え方で、
令和の時代は、もう欲望はある程度満たされているので、
まずは、安定を求めている。
全く考え方は違うのだ
今まで自民党は「成長」ばかり言っていて、今度の総裁選でも
「成長」を目指しているけど、それは昭和の政治家の考え方で、
一般の人は、今の生活が安定すること、現状を守りたいと思ってる
GDPを上げるには、仕事量を増やせばいい。
給料を上げるには賃金を上げるより、残業すればいいことはわかっている
それはわかっているが、それはしたくない。
それが現在なのだ・・・
…考え方は、大きく違う!