『病[やまい]は市[いち]に出せ』
これは、かつて徳島県にあった海部町[かいふちょう]に伝わる言葉です。
市町村合併により現在は海陽町の一部となった海部町は、徳島県の南東に位置する小さな町でした。この町は、日本で最も自殺率の低い町として注目された町です。旧:海部町の自殺率の低さの理由を探る研究をしたのは、当時、慶応義塾大学大学院の大学院生だった岡檀[おか まゆみ]さんでした。旧:海部町は、なぜ自殺率が低いのか、なにが他の市町村と違うのか、旧:海部町に何があるのか。度重なるフィールドワークの中で見えてきたのは、生き心地の良さを生み出す町のコミュニティでした。そのうちのひとつが『病は市に出せ』という言葉で表される、上手に周りを頼り助け合う考え方です。
ここで言う「病」とは、病気のことだけではなく、家庭内や仕事上のトラブルなど、生きていく上でのあらゆる悩みや困りなどの問題を意味します。もうひとつの「市」とは、市場、マーケットのことで公開の場という意味です。これは、体調がおかしいときは隠さずに公[おおやけ]にすると、誰かがこの薬が効くとか、どこの医者に診てもらうといいとか何かしらの対処法を授けてくれるという意味から、悩んだり困ったりしたときはみんなに相談することで事態の深刻化を避けることができることを表します。
また、この『病は市に出せ』には、やせ我慢や虚勢を張ることへの戒めも込められています。やせ我慢をしているうちに問題が大きくなり、本人が辛いだけでなく、周りも助けてあげることができなくなってしまいます。そうなる前に、周囲に助けを求めなさいというリスクマネジメントの意味もあるのです。
困りごとや悩みごとを誰かに話すこと、辛いときや苦しいときに助けを求めることは、ときに勇気がいることです。「相談したいけれど、相手にどう思われるだろうか…」、「こんなことを相談してもいいのだろうか」。そんな思いがあるときに、旧:海部町の『病は市に出せ』という言葉を思い出してみてください。
青少年なやみ相談室も「市」のひとつです。匿名で相談することもできますので、困っているときや悩んでいるとき、辛いときや苦しいときは、019-606-1722にお電話くださいね。
参考文献
岡檀(2013) 『生き心地の良い町 ―この自殺率の低さには理由がある―』 講談社
河北新報(2023.6.25掲載)「迷い道 [作業療法士 内田加奈さん] 自殺率全国最低の町、飛び出したけれど 理想の職業観は故郷に」