令和3年4月29日(木)
昭和の日
日本の国民の祝日の一つ
2006年(平成18年)迄は「みどりの日」であったが、
国民の祝日に関する法律(祝日法:昭和23年制定)の
一部改正に依って、2007年(平成19年)に制定され
た祝日である。4月29日の昭和天皇の誕生日を充てた。
ゴールデンウイークを構成する祝日の一つとなる。
あの頃の商店街、ミゼット(軽三車)が奔っている。
昭和の日の趣旨は、「激動の日々を経て復興を遂げた昭和
の時代を顧み、国民の将来を想い正す」と、している。
1926年(大正15年)12月25日、大正天皇の崩御
に伴い、昭和に改元された(裕人皇太子が即位された)
1989年(昭和64年)1月17日に昭和天皇が崩御され
時の皇太子繼宮殿下が天皇に即位、平成と改元された。
昭和天皇
昭和は激動の時代、世界大戦による敗北後、米国の占領下
の困窮を経て目覚ましい戦後復興を果たした。
主な年表を辿ってみると、
昭和2年 : 昭和の金融恐慌、南京事件
昭和4年 : 世界金融恐慌、満州事変(昭和6年)
昭和7年 : 満州国建国宣言
昭和9年 : ロンドン軍縮会議脱退、二・六事件
日独防共協定、西安事件
昭和13年 : 東京オリンピック中止決定
昭和14年 : 独、ポーランド侵攻により第二次世界大戦
昭和16年 : 真珠湾攻撃により太平洋戦争へ突入、
昭和20年 : 東京大空襲から名古屋、大阪、神戸等の大
都市へ米軍の空襲開始。
4月、沖縄へ米軍上陸(本土決戦)
8月6日、広島へ原子爆弾投下、8月9日
長崎へ原子爆弾投下さる。
8月14日、ポツダム宣言。8月15日終戦
これより、米軍の占領下に入った。
昭和26年 : サンフランシスコ講和条約(日米安保条約)調印
昭和39年 : 10月、東京オリンピック開催、新幹線開通
昭和47年 : 5月、沖縄返還。札幌オリンピック開催
昭和48年 : オイルショック
昭和51年 : ロッキード事件
昭和60年 : 電電公社、専売公社の民営化。
それぞれNTT、日本たばこ産業(株)となる。
昭和62年 : 国鉄(日本国有鉄道)の民営化。JRとなった。
昭和64年 : 1月7日、昭和天皇が崩御され、令和となった。
昭和の時代は、
前半金融恐慌から戦争へと突入、世界中が戦争に巻き込まれた。
昭和2年、日本の金融恐慌の中、4年に世界金融恐慌が始まり
いよいよ行き詰まり、追い詰められた日本は大陸へと進出し、
満州事変等の侵略戦争を始めていった。満州国建国(昭和7年)
に飽き足らづ、遂には国連脱退、同じような夢を追ったドイツ
、イタリアと「日独伊三国同盟」、第二次世界大戦へと進んだ。
奢る日本軍部は怖いもの知らず、「ハワイ真珠湾攻撃」を強行
米国と太平洋戦争へ突入した。 虎の尾を踏んだ日本はその後
敗戦への道を一気に駆け降りる、、、、。
昭和20年3月には東京を始めとする日本の大都市、軍備施設
を米軍が急襲し、8月4日には沖縄上陸、6日広島へ原爆投下、
9日には長崎へ原爆投下されて日本はやっと無条件降伏をした。
米軍のマッカーサー最高司令官が着任後、日本はその統治下の
基、戦後の混乱の中貧困生活を強いられる、、、、。
私の小学生時代は正に貧困そのもので、物資が無く米国からの
援助?で給食(脱脂粉乳、硬いパン等)を、それでも皆貧乏で、
耐える事が出来た様である、、、、。
やがて朝鮮戦争が起き、日本にも軍需景気が押し寄せ戦後復興
の手助けとなった。
昭和39年の東京オリンピック開催は、戦後復興の起爆剤とな
り、目覚ましいばかりに発展を遂げる。新幹線、高速道路、ビル
建設ラッシュ、ホテルや宅地開発が進んで行った。
こんな頃の経済を支えたのは、地方出身の若者達が大量に都市部
へ集団就職列車に乗り送り込まれた。彼らは金の卵と呼ばれ、
その労働力が戦後復興の源となっている。
都市部への人の流入で、周辺に団地が次々建ち、人口増加が
進んでいく。それに伴い家庭消費も進み「三種の神器」等と、
家電や車の購入等の売上が上昇していく。
三種の神器
昭和47年奄美大島、沖縄が米国から返還されたが、旧ソ連
ロシアとの北方領土問題は交渉が進展せず、先は見えぬ儘。
戦後の経済復興は目覚ましく、神武景気(昭和30年代)、
所得倍増計画(30年~40年代)、オリンピック景気、
いざなぎ景気等々といわれた。昭和45年には日本で初めて
万国博覧会が大阪で開かれ、内外から多くの人が押し寄せた。
芸能、娯楽なども海外からの流行をいち早く取り入れる様に
なっていく。
昭和47年には、今太閤と呼ばれた田中角栄首相が「日本列
島改造論」を発表、大型公共事業計画を実施し国中で建設
ラッシュ、インフレを招いた、、、、その後田中角栄氏は
ロッキード事件で逮捕、戦後最大の疑獄事件に発展した。
景気も長続きはせず、オイルショック等で日本経済も下火
となっていった。
昭和の時代は、戦後復興の為に皆が共に汗水流して働いた。
今の様にきらびやかな派手な流行は余りなかったが、、、
何故か懐かしく、もう一度苦労してもあの時代へ戻りたい、
色褪せた、セピア色の世界はハッキリ記憶の中にある、、
名古屋駅、駅前ロータリー、
あの頃の市バス、
名古屋市電、最後の日、
今日の1句
永らへて未だ愛おしむ昭和の日 ヤギ爺