令和5年2月10日(金)
飛騨高山、祭屋台会館
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高山市街散策中、街の西部に在る「桜山八幡社」へ、、
八幡社の大きな鳥居を潜り直ぐ左手に、高山祭屋台会館」
の案内表示が在り、早速家族で訪れる。
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此処は高山祭に曳き出される山車の実物(23基)が常設
展示されている。
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春の高山祭りは「日枝神社」の例祭、対して秋の高山祭り
は「桜山八幡社」の例祭が執り行われる。
屋台と呼ばれる山車を曳いて街を巡行する事から、京都の
「祇園祭」、埼玉の「秩父夜祭」と並び、日本三大曳山祭
の一つとされている。
高山祭屋台会館は、1960年(昭和35年)に高山山車
(23台)重要有形民俗文化財に指定された事から、その
後1968年(昭和43年)に桜山八幡社境内に竣工し、
山車23台を通年で見られるようになった。
飛騨の国は、古く大和朝廷へ毎年匠を送り出して、奈良の
都の寺社仏閣の建築に従事し腕を奮っていたようである。
飛騨の匠は長い伝統技術が受け継がれて、江戸時代になり
高山祭の屋台を造った。(国指定重要有形文化財)
この屋台会館では、年3回(3月、7月、11月)屋台の
入れ換えを行っている。
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私達が訪れた2月には、
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大八基(車輪直径1.56mあり、大八と呼ばれている。)
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宝珠台(棟飾りには雌雄の大亀を乗せ、屋根を和紙と漆で
軽量化、高山祭屋台で最も美しいとのこと)
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行人台(人家が無かった頃、この屋台に行者が住み、それ
以来人家が建つ様になり、屋台に行者を祀った)
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神 輿(日本一の大神輿で重さ2.5t、担ぎ手は80人
を擁する。神輿の精巧でも日本一といわれる)
以前、会社の慰安旅行で北陸へ行った際、帰路で高山祭
を見学した。秋の大祭の折りで、大勢の見物客の後から
遠目に屋台を眺めていたのだが、、、、、、
今回の旅は2月、まだまだ寒い時節であるが気を付けれ
ば蕗の薹が顔を出し、木の芽は膨らみ春の気配は着実に
今日の1句
浅き春山車揃ふ日の待ち遠し ヤギ爺
春浅しは、早春とほぼ同じ季節感であるが、春浅しの方
が語感が柔らかく、表現でやさしく感じられる。