「わが思う心のうちは六(むつ)の角 ただ円(まろ)かれと祈るなりけり」(御詠歌)
六角堂は、「姉三六角蛸錦」の数え歌に出てくる、三条と四条の間にある六角通りに面している。烏丸通りから読売新聞京都ビルの交差点の六角通りを東に入ると、すぐ左手に門が見える。それをくぐるとすぐ正面に本堂があり、その回りを、しだれ柳が取り囲んでおり粋な感じを漂わせている。
本堂が宝形造の六角堂であることから、一般に六角堂の名で呼ばれるが、正しくは紫雲山頂法寺とう。用明天皇2年(587)に聖徳太子が創建したと伝えられている。西国33ヵ所第18番札所。建仁元年(1201)、比叡山延暦寺で修行していた親驚が、百日間毎夜当寺に通い、霊夢によって浄土真宗開創の根源を得たとも伝えられる。この時親驚が奉納したという六字名号が寺宝として残されている。寺務所は池坊とよぱれ、創建の際、太子沐浴の泉と伝える池の傍に堂を営み、朝夕仏前に花を供えた。これが今日の華道のはじまりとされ、池坊流の起源でもある。
本堂の敷石中央には、「へそ石」と呼ばれる中央に穴のあいた石がある。延暦13年(794)の平安京造営の際、六角堂が道のまん中になるため、六角堂は北に16cmほど動いたため、このへそ石が残ったという。古くから、この石が京の都の中心とされていた。また六角堂は、観音寺・蓮華王院(三十三間堂)・六渡羅蜜寺・清水寺・長楽寺・新長谷寺とともに洛陽七観音のひとつに数えられている。
応仁の乱後、京の町と寺院が復興整備された際、六角堂は庶民信仰の場として再興される。以後は「町堂」の性格を持つ寺院として、町構成の中心的役割を果した。天文法華一揆の結集地ともなったこともでも知られている。
寛永8年(1641)に、内裏造営に際し余材を受けて本堂・四脚門を建立したといわれ、規模も、多聞院・不動院・住心院・愛染院などの寺家があった。しかし、宝永・大明・元治の大火に焼失。寺家も廃絶したり分離して現存せず、現在の堂宇は明治8年
(1875)に再建されたもの。
当寺執行の住居は本堂後方にあり、池坊といわれて、華道家元としても著名。12世専慶は草木自然を愛し、文明年間(1469~87)に花の名手として世に知られていた。これより立華が起こり、23世専好は後水尾天皇に招かれ宮中の花会を指導したという。連歌の作者として名高い26世専順は更に華道を発展させたと伝わる。
通りをへだてた南側に鐘楼があり、豊臣家の家臣、横尾忠氏が寄進したと伝えられており、動乱時や鴨川の洪水のときに庶民この鐘を鳴らして急知らせるものでもあった。
六角堂の幾何学的造形を見るためには、西の池坊のショールームに行き、ガラス越しにエレベータから寺の形を見てみると、正に「六角」が確認できる。
所在地:京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248。
交通:地下鉄烏丸御池駅出口5番下車3分。阪急烏丸駅から徒歩約6分。
六角堂は、「姉三六角蛸錦」の数え歌に出てくる、三条と四条の間にある六角通りに面している。烏丸通りから読売新聞京都ビルの交差点の六角通りを東に入ると、すぐ左手に門が見える。それをくぐるとすぐ正面に本堂があり、その回りを、しだれ柳が取り囲んでおり粋な感じを漂わせている。
本堂が宝形造の六角堂であることから、一般に六角堂の名で呼ばれるが、正しくは紫雲山頂法寺とう。用明天皇2年(587)に聖徳太子が創建したと伝えられている。西国33ヵ所第18番札所。建仁元年(1201)、比叡山延暦寺で修行していた親驚が、百日間毎夜当寺に通い、霊夢によって浄土真宗開創の根源を得たとも伝えられる。この時親驚が奉納したという六字名号が寺宝として残されている。寺務所は池坊とよぱれ、創建の際、太子沐浴の泉と伝える池の傍に堂を営み、朝夕仏前に花を供えた。これが今日の華道のはじまりとされ、池坊流の起源でもある。
本堂の敷石中央には、「へそ石」と呼ばれる中央に穴のあいた石がある。延暦13年(794)の平安京造営の際、六角堂が道のまん中になるため、六角堂は北に16cmほど動いたため、このへそ石が残ったという。古くから、この石が京の都の中心とされていた。また六角堂は、観音寺・蓮華王院(三十三間堂)・六渡羅蜜寺・清水寺・長楽寺・新長谷寺とともに洛陽七観音のひとつに数えられている。
応仁の乱後、京の町と寺院が復興整備された際、六角堂は庶民信仰の場として再興される。以後は「町堂」の性格を持つ寺院として、町構成の中心的役割を果した。天文法華一揆の結集地ともなったこともでも知られている。
寛永8年(1641)に、内裏造営に際し余材を受けて本堂・四脚門を建立したといわれ、規模も、多聞院・不動院・住心院・愛染院などの寺家があった。しかし、宝永・大明・元治の大火に焼失。寺家も廃絶したり分離して現存せず、現在の堂宇は明治8年
(1875)に再建されたもの。
当寺執行の住居は本堂後方にあり、池坊といわれて、華道家元としても著名。12世専慶は草木自然を愛し、文明年間(1469~87)に花の名手として世に知られていた。これより立華が起こり、23世専好は後水尾天皇に招かれ宮中の花会を指導したという。連歌の作者として名高い26世専順は更に華道を発展させたと伝わる。
通りをへだてた南側に鐘楼があり、豊臣家の家臣、横尾忠氏が寄進したと伝えられており、動乱時や鴨川の洪水のときに庶民この鐘を鳴らして急知らせるものでもあった。
六角堂の幾何学的造形を見るためには、西の池坊のショールームに行き、ガラス越しにエレベータから寺の形を見てみると、正に「六角」が確認できる。
所在地:京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248。
交通:地下鉄烏丸御池駅出口5番下車3分。阪急烏丸駅から徒歩約6分。