国道1号線や24号線を京都市内に向かって北上していくと、こんもりとした丘陵に天守閣が威風堂々とした姿を見せている。太閤様と呼ばれた豊臣秀吉が、初めて築いたこの城は文禄元年(1592)に始まったが、当初は茶会や宴会を催す隠居城として聚楽第の建物の一部を宇治川沿いの丘陵である指月山に移築して屋敷とした。延べ25万人を動員し、わずか5ヶ月で完成したといわれる梯郭式平山城で、文禄3年(1594)より城下町の町割や開発が急速に進められ、武家屋敷、寺社、町家、道路などの区画整理が行われ、現在の町の原型が形づくられた。外堀が城郭の西側に流れ、町の中心部を囲むように掘られており、その土砂でさらに西部の低湿地帯を埋立た記録が残されている。南北に縦貫する京町通と両替町通が町人居住区の中核を成していた。「豊公伏見城ノ図」によれば、石田三成、浅野長政などの武将の屋敷が記されており、全国から有力大名が集められ、また、大名に呼び寄せられた商工業者も住むようになったとある。
慶長元年(1596)の大地震により倒壊した。その10日余りの後、やや離れた桃山(現在の木幡山)の地に新たに築城し直され、城内には舟入御殿や茶亭、茶道の学問所が設けられた。その後も工事は続けられているが、秀吉は全ての完成を見ずにこの世を去った。慶長五年、関ヶ原の戦いのとき、家康の家臣鳥居元忠らが守っていた伏見城は西軍に攻められ焼失した(伏見城の戦い)が、2年後に家康により再建され将軍宣下の儀式に使用している。
江戸幕府の西国支配の拠点となるが、大坂の役の後、伏見城の役割は大坂城へ移り、幕府にとっての重要性は薄れ、徳川家康の隠居に伴い伏見城の廃止が決定され、1623年に徳川家光の将軍宣下を最期に、正式に廃城が決定し、その後一国一城の制度により取り壊された。
天守をはじめ一部の建物は二条城に、また京都の社寺などにも移築、石垣は淀城や大坂城の修築に使用され、城門は大手門が伏見区御香宮神社表門や、西本願寺唐門、二尊院総門、上京区観音寺山門など数棟が現存。櫓は福山城伏見櫓と江戸城伏見櫓等が現存しており、横浜市中区の三渓園には諸侯控え室が移築されて残されている。
廃城後、一帯は「掘内村」として開墾され、桃畑となったため、安土桃山時代の由来とされ、伏見城はこれにより「桃山城」とも呼ばれている。また、開墾にたずさわった一族の末裔は、吉村酒造蔵元・吉村家と伝えられている。
伏見城本丸跡などの主郭部分はのちに明治天皇の陵墓(桃山御陵)とされたため、立ち入りが禁止されているが、1964年、やや離れた伏見城花畑の跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、その目玉として鉄筋コンクリートによって模擬天守「伏見桃山城」が建設された。しかし、キャッスルランドは2003年1月にスポンサーだった近鉄のリストラの一環として閉園したが、伏見桃山城は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることとなり、取り壊しを免れた。平成19年4月1日に伏見桃山城総合運動公園として生まれ変り新たなスタートをきった。
所在地:京都府京都市伏見区桃山町大蔵45。
交通:JR奈良線桃山駅より徒歩10分、京阪、近鉄丹波橋駅から徒歩15分、近鉄桃山御陵前駅から近鉄バス5分伏見桃山城行き、伏見桃山城下車すぐ。
慶長元年(1596)の大地震により倒壊した。その10日余りの後、やや離れた桃山(現在の木幡山)の地に新たに築城し直され、城内には舟入御殿や茶亭、茶道の学問所が設けられた。その後も工事は続けられているが、秀吉は全ての完成を見ずにこの世を去った。慶長五年、関ヶ原の戦いのとき、家康の家臣鳥居元忠らが守っていた伏見城は西軍に攻められ焼失した(伏見城の戦い)が、2年後に家康により再建され将軍宣下の儀式に使用している。
江戸幕府の西国支配の拠点となるが、大坂の役の後、伏見城の役割は大坂城へ移り、幕府にとっての重要性は薄れ、徳川家康の隠居に伴い伏見城の廃止が決定され、1623年に徳川家光の将軍宣下を最期に、正式に廃城が決定し、その後一国一城の制度により取り壊された。
天守をはじめ一部の建物は二条城に、また京都の社寺などにも移築、石垣は淀城や大坂城の修築に使用され、城門は大手門が伏見区御香宮神社表門や、西本願寺唐門、二尊院総門、上京区観音寺山門など数棟が現存。櫓は福山城伏見櫓と江戸城伏見櫓等が現存しており、横浜市中区の三渓園には諸侯控え室が移築されて残されている。
廃城後、一帯は「掘内村」として開墾され、桃畑となったため、安土桃山時代の由来とされ、伏見城はこれにより「桃山城」とも呼ばれている。また、開墾にたずさわった一族の末裔は、吉村酒造蔵元・吉村家と伝えられている。
伏見城本丸跡などの主郭部分はのちに明治天皇の陵墓(桃山御陵)とされたため、立ち入りが禁止されているが、1964年、やや離れた伏見城花畑の跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、その目玉として鉄筋コンクリートによって模擬天守「伏見桃山城」が建設された。しかし、キャッスルランドは2003年1月にスポンサーだった近鉄のリストラの一環として閉園したが、伏見桃山城は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存されることとなり、取り壊しを免れた。平成19年4月1日に伏見桃山城総合運動公園として生まれ変り新たなスタートをきった。
所在地:京都府京都市伏見区桃山町大蔵45。
交通:JR奈良線桃山駅より徒歩10分、京阪、近鉄丹波橋駅から徒歩15分、近鉄桃山御陵前駅から近鉄バス5分伏見桃山城行き、伏見桃山城下車すぐ。