「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「梨木神社」(なしのきじんじゃ)

2007年04月21日 21時32分17秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京都御苑の東側、寺町通りに面して建つこの神社は、明治維新の功労者として知られる三条実萬(さねむつ)とその子・実美(さねとみ)が祀られている。
 三条実萬は菅原道眞公の生まれかわりと崇められ、当時「今天神」と人々から尊称されとある。光格・仁孝・孝明三天皇に仕え、皇室の中興に尽し王政復古の大義を唱えた。
 安政4年、内大臣に昇り、日米修好通商条約調印問題の勅許拒絶や将軍職に一橋慶喜擁立をはかり、安政の大獄で、幕府より圧迫を受けて一乗寺村に幽居の後、58歳で死去した。
 実萬の子・実美(さねとみ)は、父の遺志を継ぎ、朝威回復・攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物として活躍。しかし、文久3年8月18日の政変で尊皇攘夷運動に加担したとし頓坐、同志の七公卿と共に長州西国に赴かれ(「七郷落」)た。後、維新を果たし、明治新政府において、右大臣・太政大臣・内大臣等を歴任した。NHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」では、実美は表向きの朝廷代表として、線の細い調整型の人物として描かれていた。
 実萬は明治2年その功績が称えられ、天皇より「忠成公」の諡を下賜された。同18(1885)年10月、三条家旧邸の地名にちなみ、実萬と実美(さねとみ)共々を祀る梨木神社が創建された。

 当社は歴史的には新しく文化財的なものはないが、境内に湧き出る「染井の水」は、醒ヶ井(さめがい)、県井(あがたい)とともに京都3名水の1つとして知られており、その中でも唯一現存している名水である。当社は、9世紀後半に栄えた藤原良房の娘明子(清和天皇の母染殿皇后)の里御所の跡地で、この良房の屋敷を染殿と称し宮中御用の染所とし、染井の水が用いられいわれていた。
 環境庁の選定した「日本の名水100選」には、京都では伏見の御香宮(ごこうのみや)神社の湧き水が選ばれているが、ここの水もなかなか美味しい。
 また当社は萩の名所としても名高く、長い参道や境内に萩が咲き乱れる。毎年9月第三土・日曜には「萩まつり」が催され、賑わいをみせる。境内には、上田秋成と湯川秀樹の歌碑がある。

 所在地:京都市上京区寺町通広小路上ル。
 交通:JR京都駅から市バス17・205系統で府立医大病院前下車、徒歩3分。

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