「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「行願寺」(ぎょうがんじ)

2007年08月02日 07時26分55秒 | 古都逍遥「京都篇」
 「花を見て いまは望みも行堂の 
      庭の千種も 盛りなるらん」(ご詠歌)

 行願寺(革堂)は、寺町通りの東側と竹屋町通のと南北の突き当たりにあります。京都の古い民家や商店と軒を連ね、寺町は現在でもお茶や筆墨、古書、古道具を扱う老舗が多く、商店街から足を踏み入れると落ち着いた雰囲気の本堂がある。賑やかな通りの内に建っており、通りを歩いても塀に囲まれた御堂は見えず、山門に来て初めて寺院と判る。京都の七福神めぐりの寿老人の札所にもなっている。

 寺伝によると、開山の行円上人はもと猟師。山中で射止めた雌シカの腹から子ジカが生まれたのを見て、殺生を悔い仏門に入った上人は、諸国の霊山を修業して京都に来往し、平安中期の寛弘元年(1004) 、一条小川(上京区)あたりで一宇を設け千手観音菩薩を安置したのが行願寺の起源。一条小川にあったことから「一条北辺堂」と呼ばれていたという。西国観音霊場の第19番札所として全国に知られる名刹。度々の戦火で焼失し、都度、再建され、宝永5年(1708)現在地に移転している。

 上人が鹿の皮で法衣を作り、裏に先手陀羅尼経を書いてこれをいつも身につけ、経文をとなえながら市内を歩き、人にも読経を勧めました。人々が革聖(かわのひじり)とか皮上人と呼んだことから一条北辺堂(現在は中京区)を革堂と呼んだ。

 上人は出家以前から観音を信仰していたが信仰が深めるにつれ、先手観音像を刻みたいという思いがつのり、夢の中で賀茂社の境内にふさわしい霊木があるというお告げを受けた。
  早速これをもらい受け、高さ2㍍半の先手観音像を作り上げ、これを本尊とし安置した。
 
 所在地:京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町。
 交通:京阪電車 丸太町下車徒歩10分、市バス「河原町丸太町」下車徒歩3分。


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