「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「下御霊神社」(しもごれいじんじゃ)

2007年08月15日 17時48分10秒 | 古都逍遥「京都篇」
 寺町通りを丸太町からすぐ南へ入った場所にある神社で、大同2年(807)藤原仲成の陰謀の犠牲となり、川原寺に幽閉され自殺した桓武天皇第3皇子伊予親王と、その母藤原吉子の霊を慰めるため、承和6年(839)出雲路に創建された。

 上御霊神社(上京区)とともに皇室の産土神として崇拝され、現在地に移ったのは豊臣秀吉の都市改造によるもので天正18年(1590)。
 本殿は、寛政2年(1790)宮中の賢所御殿を移築したもの。また表門は皇居の建礼門を移したものという。

 歴史の長い京都には多くの怨霊が存在し、それらを鎮める祠(ほこら)も数多い。下御霊神社の祭神は、長岡京遷都に関連して起こった藤原種継暗殺事件に関わったとして幽閉され死去した廃太子早良親王。平城天皇即位に際して謀反の疑いを受け自殺した伊予親王と、その母の藤原吉子。皇太子恒貞親王を擁して謀反をはかり、伊豆に流された橘逸勢。これに続いて謀反の罪に問われ同じく伊豆に流された文室宮出麻呂。九州に左遷後反乱を起こして殺された藤原広詞。以上六座の祭神と吉備真備と菅原道真の二座神を勧請した八祭神が、八所御霊として今も祀られている。

 神門を入れば檜皮葺きの舞殿が中に御幣を立てて静である。向拝を出す中門を挟んでの本殿は瑞垣までも檜皮葺きで歴史が止まる感がする。本殿横には内宮に外宮を置き両脇に八幡神と春日神が祀られている。本殿は江戸時代の天明大火後の仮皇居内侍所を下賜され、京都市指定有形文化財の指定を受けている。

 境内には、下御霊名水が井戸からくみ上げられており、人々が水を汲みに来ていた。鎌倉中期、ここは西園寺実氏の屋敷常盤井殿があった。屋敷内には「常盤井」という水が湧いていたと伝えられ、その名水が今も絶えず湧き出でているという。私も1口、命の霊水をゴクリと飲み込み、無病息災を祈った。

 所在地:京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町。 
 交通:地下鉄丸太町駅より東へ徒歩10分。京阪丸太町駅より西へ徒歩8分。

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