「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「源空寺」(げんくうじ)

2008年01月03日 16時56分47秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京阪電鉄伏見桃山駅を降り大手筋商店街へと入り、その中ほどにあるみずほ銀行の先に、ひっそりと佇む小寺がある。
 寺伝によれば、建久6年(1195)天台宗の「光堂寺」として、三井寺の公胤僧正の弟子の忍空上人が炭山(宇治市炭山)に念仏草庵を創建、その後、上人が法然上人の弟子となり寺ごと宗旨替えをし、「法然房源空」をいただき「源空寺」とした。
 後、慶長年間(1595~1615)徳川2代将軍秀忠、3代将軍家光によって当地に移された。

 本堂には、本尊円空大師坐像(法然)、阿弥陀仏立像が置かれている。二層からなる山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像、朝日大黒天像を祀っている。朝日大黒天像は、豊臣秀吉の持念仏で、伏見城の巽櫓にあったものを、一時京町大黒町に預けた後、当寺に移された。

 法然上人が63歳の時、奈良東大寺大佛殿再建落慶法要の導師をつとめ帰路ここに逗留され村人の教化に勤めた出立の日、別れに際して、村人たちが念仏草庵に像を安置したいとお願いしたところ、上人はかねて書き写された法門や、法語をもってつくった張り貫の
像を安置し、草庵を寺と改めた。

 村人たちに別れを惜しんで、
「なみあむだぶつと いうひとの はちすのうえに のぼらぬはなし」と詠んだという。
 観光寺ではなく、家族でこの古刹を守ってこられたものでほっこりとする良い寺である。ルポをしていると、こういう寺に出会うこともあり、これが楽しみの一つでもある。訪ねたときは境内に芙蓉、ムクゲ、彼岸花がきれいに咲いていた。狭いながらも中庭はよく手入れされている。

 所在地:京都市伏見区瀬戸物町745。
 交通:京阪電車「伏見桃山」より徒歩4分、近鉄京都線「桃山御陵前」」より徒歩5分、JR奈良線「桃山」より徒歩10分。
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