「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「首塚大明神」(くびづかだいみょうじん)

2008年01月17日 12時46分50秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京都の国道9号線、明智光秀が織田信長を討ちに本能寺をめざして進軍した「老ノ坂峠」のトンネルに入る手前の細い道を心細く進むと、山陰街道の古道に出る。背筋がゾクゾクする怪奇な気配を感じながら、木の根がむき出しになった杜の古道を進むと、ほどなく酒呑童子の首を祀る社「首塚大明神」へ出る。

 当社の説明の前に酒呑童子伝説を簡単に紹介しておこう。

 平安時代初期(西暦800年頃)の話である。
 「昔、丹波の大江山に酒呑童子という鬼が住んでいて、都の娘達をさらっていた。そこで帝は、公家や大臣を集め相談したところ、『源頼光(みなもとのらいこう)に命じて、退治させるほかあるまい』という事になった。
 頼光は命を受け屋敷に帰ると、四天王と呼ばれた家来達を呼び、『相手は、神をも恐れぬ鬼だ。我々の武勇をもってしても及ばぬこともあるかも知れぬ。神仏の加護をおろそかにしてはなるまいぞ』

 そこで、頼光と保昌は「石清水八幡宮」へ、綱と金時は難波の「住吉明神」へ、季武と貞光は「熊野権化」へ参籠し、主従は山伏に姿を変え、丹波の国をめざして出立した。
 頼光一行は、大江山に向う途中、3人の老人(石清水・住吉・熊野の化身)に神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)という酒と星甲(ほしかぶと)を貰い受けた。

 頼光達は、道に迷った山伏だと言い何とか酒呑童子の棲家に潜入。
 そして、神便鬼毒酒を取り出し、酒呑童子の盃に、とくとくと注ぐ。
 酒呑童子は『これは美味しい』と飲み干し、酔いが回って寝てしまった。
 頼光達は、笈(おい)の中に隠してあった鎧を身に付け、老人からもらった星甲、それに「ちすい」という太刀を持ち、みごとに首を打ち落としたが、首は空中に舞い上がり、大きな口を開けて牙をむくと、頼光めがけて飛び掛ってきたが、星甲に守られ、鬼は息絶えてしまった。」

 さて、頼光が酒呑童子の首を都まで持って帰ろうとすると、老ノ坂峠にくると急に首が重くなり持ち上がらなくなった。しかたなく、この場所に首を埋め首塚としたのが首塚大明神である。
 社前に建っている石碑によると、酒呑童子が源頼光に首を切られるとき、今までの罪を悔い、これからは首から上に病を持つ人々を助けたいと言い残したと伝えられ、首より上の病気に霊験があらたかであると記されている。
 「首から上の病にきく」「酒の神さま」などとあがめられ、4月15日の祭日には、付近からの参拝者の列が続く。
 彩られた丹後伝説展 (酒呑童子)の錦絵は必見。

 所在地:京都市西京区大枝。
 交通:京都交通バス「老の坂」下車、国道9号線・老の坂トンネル入口手前の旧道を400メートル。
 

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