平安時代前期の嘉祥3年(850)に空海(弘法大師)の高弟・堅恵(けんね)により室生寺の南門として創建されたと伝わっているが、それ以前に奈良・興福寺の修円(しゅうえん)が創建したともいわれており、定かなところは判明していない。
仏閣や本尊である十二面観音像(像高約1m)などについての由緒は歴史的評価はなく、もっぱら桜の寺、彼岸花の寺として広く知られている小寺である。
特に桜は「千年桜」と称され、ヤマザクラとエドヒガシの雑種の「モチヅキザクラ」という珍しい種類で。樹齢は900年と言われ、根囲が7.7m、根株から2mのところで十一本に分岐している堂々たる巨樹である。07年4月12日朝のNHK「おはよう日本」の生中継放送で「鳥が飛び立つようだ」と表現していたが、まさにその表現にふさわしい優雅な姿である。
また近くには「高井の千本杉」や「本郷の又兵衛桜」、「大野寺の枝垂れ桜」、「瀧蔵神社の権現桜」と桜の名所も多く、桜花の時節には大勢の観光客、写真愛好家たちが押し寄せている。
また、仏隆寺の辺りは、いかにも山あいの田舎っぽい、日本の原風景のような鄙びた風情があって、いつ行っても雰囲気がいいんです。桜や彼岸花・菜の花などの花が咲いている時はもちろん、稲穂が垂れている姿や、お地蔵さんが夕日に照らされている様子、「大和三名段」の一つとされる197段の石段など、また復元された水車小屋など日本の原風景が心を落ち着かせてくれる。
資料としては、元徳2年(1330)の銘があるやや崩れかかっている「十三重石塔」や、平安時代の「宝形造」という様式の「石室(重文)」があり、その内部に堅恵の墓とされる五輪の塔がある。また、空海が唐から持ち帰ったお茶を栽培した「大和茶発祥伝承地」といわれており、そのとき持ち帰ったとされる「茶臼」が置かれている。
晴れた日には境内に茶席が設けられ、オープンカフェ気分で空海に思いをはせながらお茶をいただくのもいいかもしれない。
所在地:奈良県宇陀市榛原区赤埴1684。
交通:近鉄大阪線「榛原」駅より 上内牧・曽爾村役場前行きバスで「高井」下車 徒歩30分。
仏閣や本尊である十二面観音像(像高約1m)などについての由緒は歴史的評価はなく、もっぱら桜の寺、彼岸花の寺として広く知られている小寺である。
特に桜は「千年桜」と称され、ヤマザクラとエドヒガシの雑種の「モチヅキザクラ」という珍しい種類で。樹齢は900年と言われ、根囲が7.7m、根株から2mのところで十一本に分岐している堂々たる巨樹である。07年4月12日朝のNHK「おはよう日本」の生中継放送で「鳥が飛び立つようだ」と表現していたが、まさにその表現にふさわしい優雅な姿である。
また近くには「高井の千本杉」や「本郷の又兵衛桜」、「大野寺の枝垂れ桜」、「瀧蔵神社の権現桜」と桜の名所も多く、桜花の時節には大勢の観光客、写真愛好家たちが押し寄せている。
また、仏隆寺の辺りは、いかにも山あいの田舎っぽい、日本の原風景のような鄙びた風情があって、いつ行っても雰囲気がいいんです。桜や彼岸花・菜の花などの花が咲いている時はもちろん、稲穂が垂れている姿や、お地蔵さんが夕日に照らされている様子、「大和三名段」の一つとされる197段の石段など、また復元された水車小屋など日本の原風景が心を落ち着かせてくれる。
資料としては、元徳2年(1330)の銘があるやや崩れかかっている「十三重石塔」や、平安時代の「宝形造」という様式の「石室(重文)」があり、その内部に堅恵の墓とされる五輪の塔がある。また、空海が唐から持ち帰ったお茶を栽培した「大和茶発祥伝承地」といわれており、そのとき持ち帰ったとされる「茶臼」が置かれている。
晴れた日には境内に茶席が設けられ、オープンカフェ気分で空海に思いをはせながらお茶をいただくのもいいかもしれない。
所在地:奈良県宇陀市榛原区赤埴1684。
交通:近鉄大阪線「榛原」駅より 上内牧・曽爾村役場前行きバスで「高井」下車 徒歩30分。