今日は横浜の兄と娘夫妻とこちらは妻と次女と一緒に施設に入所している姉の見舞いに行った。兄たちとは3時に施設で待ち合わせ、羽田からの飛行機も遅延なく伊丹に着き、そこからモノレールで門真駅へ、さらにタクシーで施設へ。
私たちが一歩だけ早くついて施設の玄関で合流できた。姉と会うのは4年ぶりくらいになる。コロナ禍で面会に行けず、その間認知症が進み人別も会話もできなくなっているという。姉に会うのが悲しくて怖かった・・・。自分のことを忘れているだろう・・・。
面会は長時間できないため20分ほどだった。やはり人別できず会話もできない。もう喋れなくなっていた。言語も忘れているようだった。それを見て泣いてしまった・・・。姉は私のことをすごくかわいがってくれた。今年で90歳、上皇后さまと同じ歳だ。
兄も杖をつかないと歩けず、足元もあやしい。認知症はまだないようだが連れ合いをこの春亡くしてからグッと弱くなったという。ガンも抱えており、兄とは今生の別れのような気がしてゆっくり話したかったが、疲れているようだったので駅前からタクシーを拾い大阪帝国ホテルへと走らせた。いつまでもタクシーに手を振って見送っていた。
姉との写真は添付しない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/d5/1a92e903679773edfbf4fea46572651d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/1b/6bbca35d840980db628ee7150526897b.jpg)
私たちが一歩だけ早くついて施設の玄関で合流できた。姉と会うのは4年ぶりくらいになる。コロナ禍で面会に行けず、その間認知症が進み人別も会話もできなくなっているという。姉に会うのが悲しくて怖かった・・・。自分のことを忘れているだろう・・・。
面会は長時間できないため20分ほどだった。やはり人別できず会話もできない。もう喋れなくなっていた。言語も忘れているようだった。それを見て泣いてしまった・・・。姉は私のことをすごくかわいがってくれた。今年で90歳、上皇后さまと同じ歳だ。
兄も杖をつかないと歩けず、足元もあやしい。認知症はまだないようだが連れ合いをこの春亡くしてからグッと弱くなったという。ガンも抱えており、兄とは今生の別れのような気がしてゆっくり話したかったが、疲れているようだったので駅前からタクシーを拾い大阪帝国ホテルへと走らせた。いつまでもタクシーに手を振って見送っていた。
姉との写真は添付しない
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そう遠くないいつか行く道…
胸につまされる思いです!
「いいね」のリアクション、戸惑いました。が、大切なことを投稿なされた事に対する謝意の気持ちです。
有り難うございました!
>コメント嬉しく思います。
姉は施設に入ってかれこれ10年ほどになります。幻想が出始めてから一人暮らしに不安を抱いたので施設へ。それからパーキンソン病にも罹患し次第に認知機能も悪化。コロナさえなければ毎週見舞いに行っていたので私のことを忘れることも無かっただろうにと思うと辛いことです。兄も不自由、この先のことを考えると私が元気でいて見守らなければと心を強くしたところです。でも私もいつかは・・・と思うと寂しい事ですねぇー
胸につまされる思いで拝読いたしました
皆いずれ行く道かもしれない
けれどなるべくなら遠くにある道であってほしいと切に願います
コロナ禍でたくさんの方々が趣味のコーラスをやめられました
そしてそんなふうになられた方もいて、、、
人は一人では生きられなくて
つながり関わりが大切と思い知らされました
お早うございます。アイメロディー様もお母さまが大変なことになりお見舞い申し上げます。高齢になるといろいろありますよね。妻も自転車で転倒し整形外科通いをしましたが、その後自転車は処分し徒歩に換えましたが膝を痛め、かばうものだから腰まで痛めて。自宅でマッサージしたり低周波治療したりして徐々に回復しています。本当に気を付けていても意思と身体は別物のようで。私も同様で…
兄弟姉妹共々同様に高齢者、今生の別れと思いながら無事を祈ってLINEで安否を確かめ合うようになりました。「認知症になりたくない」と言っていた姉、趣味を持ち、トレッキングやヨガにも力を入れて頑張っていたのですが、本人が気づかぬうちに恐れていたことになって心を痛めています。
コロナの4年が憎らしい・・・せめて通い続けられていたらまだ意識は確かだったろうにと切なくなります。
せめて私たちは子供や孫たちに辛い思いをさせないよう健康寿命で生きていきたいと思っております。