「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「無鄰菴」(むりんあん)

2006年11月09日 10時28分57秒 | 古都逍遥「京都篇」
京都五山の別格と位置づけられた南禅寺の参道沿いの水路を永観堂に向かって、北に上がって岡崎の方向に西に歩を向けると、人目につきにくい「無鄰菴」としるした表示板が目に入る。やや入り組んだところにあるため、ほとんどの観光客が通り過ぎてしまうほどの隠れた名所となっているのが、明治の元勲、山県有朋の別荘であったこの庵である。
 元々は高瀬川を開削した豪商角倉了以が建造した別邸であったが、後に山県有朋が買い取り、無鄰庵と名付けたものである。

 無鄰菴を名高くしたのは、ここの洋館で1903年に、日露戦争直前の外交方針を決めるため山県有朋をはじめ、政友会総裁伊藤博文、桂太郎首相、小村寿太郎外相が集まり、世にいう「無鄰菴会議」が開かれた所からである。
 庭内には母屋、茶室、洋館が並び、その洋館の2階にある「無鄰庵会議室」は見学が許されているが、窓は閉め切られ、薄暗く、写真撮影も許可されているがフラッシュは禁止されている。
 作庭は、疎水を取り入れた庭づくりには定評がある小川治兵衛の手によるもので、曲線を描いて疏水の水を引き入れた池泉廻游式である。1941年に京都市に寄贈され、51年には明治時代の名園として国の名勝に指定された。
 京都の古い作庭法を嫌っていた山県は、全体の構成をはじめ、かなりの細部にわたって指示を出したと伝えられている。その1つに、小川治兵衛を主屋1階の(茶室は非公開)
部屋に呼び、「正客になったつもりで床の前に座りよく庭を見るがよい」と
言ったとか。

 小堀遠州が好んで作庭した、枯山水や蓬莱山をいただく池泉廻游式の宗教的な印象はなく、どちらかというと日本の原風景を漂わせるのどかな田園風景のような作法がとられている。東山を借景とし、その山すそから小川のせせらぎとなって、田畑の間を流れてきた光景を醸し出している。おおらかで飾り気のない自然美に溢れている。新緑の頃か紅葉の時節に訪ねられると一層、その作庭の意図を偲ぶことができるであろう。

 所在地:京都市左京区南禅寺草川町31。
 交通:地下鉄東西線蹴上駅より北西へ徒歩7分。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「嵐山」(あらしやま) | トップ | 「宝筐院」(ほうきょういん) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古都逍遥「京都篇」」カテゴリの最新記事