北国の地に春の到来を知らせるスズラン。我が家の庭でも一斉に咲き出した。例年であればGW直前ころだが最近の陽気に急いで顔を見せたようだ。純白の花と控えめな香りは、この小さな庭でも特別な存在。30年以上も前に母が遊びにきたおりに数株持参し、植えた花だ。十代後半まで過ごした故郷を忘れさせないようにとの母の思いがあったのかどうか。だが毎年、北の野に一面に咲く景色とその頃を思い出す。もう渡すことのない母の日も近い。
北国の地に春の到来を知らせるスズラン。我が家の庭でも一斉に咲き出した。例年であればGW直前ころだが最近の陽気に急いで顔を見せたようだ。純白の花と控えめな香りは、この小さな庭でも特別な存在。30年以上も前に母が遊びにきたおりに数株持参し、植えた花だ。十代後半まで過ごした故郷を忘れさせないようにとの母の思いがあったのかどうか。だが毎年、北の野に一面に咲く景色とその頃を思い出す。もう渡すことのない母の日も近い。
去年4月から引き受けた地域の仕事をやっと終えた。まだ上部組織の仕事が5月初めまで残っているものの今日の空のように気持ちはスッキリ。以前、近所の年長者の方からの「いやだいやだとやる1年より、せっかく引き受けたのだから思い切りやる1年のほうが気持ちいいよ」の言葉どおりだ。例年のように楽しめなかったこの春。でも今日は街路にハナミズキが早めに咲き、公園の新緑も心癒してくれる。続く遊歩道の花やまだ咲き残っている桜も。
庭の梅が例年より早く満開となった。そして数日の高温と春風のせいか、あっという間に散ってゆく。いつもは連日、メジロがやって来て花びらの蜜を吸い、聴かせてくれた美声。ほとんど見ることも聴くこともなく終わりそう。街路に咲くモクレンも店じまいの気配。2か月先の陽気に今年の桜も相当早まるとのこと。のんびり構えていた仕事を片づけて、春の野山めぐりのプランづくりを急ごう。
2日続きの東京は霞が関にある東京高等裁判所。友人の娘さんが病院で亡くなったのは医療過誤であると訴えての控訴審。提訴から6年間も費やした1審判決は訴えの棄却、敗訴となった。麻酔薬投与の量や経過措置に対して病院側の過失を認めたものの死亡との因果関係は無しと断定した。その判決の根拠は、わずか半年前に出てきた自ら権威者と名乗る鑑定人の意見にもとづいたもの。昨年から始まった控訴審では1審鑑定を誤りとする友人側医師の鑑定書を取り上げて振り出しの審理に。早速の病院側の反論に再反論の提出することで次回の裁判に。医療過誤の裁判は長いと言われるが今年で7年目となる。亡くなって13年目の墓前に中立公平な結果を、と願う友人を応援し続けたい。
にわか雨で人影もまばらな夕方近い湯島天神。久しぶりの東京での会合、その経路で途中下車して孫の合格祈願。2週間後に高校受験を控えているので通り過ぎは出来ない。学問の神様に是非とも応援をお願いしよう。そして、もう一つはこの時季に咲く紅白、薄紅色の梅。全体的にはまだ咲き始めながら周辺に甘酸っぱい香りを放つ。予想外に長居をしてしまった。銀座へ急ごう、今日は退職した仲間の慰労会だ。
先日、免許更新センターで手にした一枚のチラシ。事故のその後を新聞の県内版で1年に一度くらい目にしている。頭の隅に残っており、気になっていたが未だに解決していない。14年もの間、我が子をひき逃げした犯人を追い求めているご家族の心痛を思う。年数を越えても望みを託しての訴えに何とか応えてあげたい。もう一度、薄れる記憶を巡らせてみたい。夏の選挙で勝利した民主党の政権が発足した9月の末のことである。少しでも思い当たることがあれば手をあげてほしい。自分に出来ることは、こうして一人でも多くの人の目にふれてもらうしかないが。
1月最後の日、余裕が無く過ぎたこの2週間を振り返る。最初は長野の親戚でも親しくしていたガン発病3か月めのT君が危篤との連絡、その出かける準備中に亡くなったとの報。葬儀日に合わせて出発の変更。冬タイヤは装着済みだが、念のためのスコップやフロントガラスの凍結対策や衣服・靴も含めて雪国ドライブモードに。その途中、数日前に娘宅で一緒に過ごした孫の高熱続いてコロナと判明。さて濃厚接触だから、どうしようかと悩んだが症状が出ていないので体温計持参で出発。幸いこのご時世、通夜、葬儀とも食事会省略、会話も極力無しでマスク外すことなく3日間過ごして帰宅。やれやれと思ったものの娘宅のコロナが家じゅう感染拡大でまたまた大変。味覚障害などの後遺症が続いているもののやっと最近、落ち着いてきた。久しぶりにカメラ持参で近くの公園へ気分転換に。池に氷が張り、寒々とした景色ながら負けまいと冬の陽射しが精一杯にきらめく。わずかながら咲き始めているロウバイの花。まだ若かったT君が好きだった色が冬空に映える。
今年初回の昨日の真向法で皆勤賞をもらった。一日くらい休んだ気もしたが、昨年1年間は欠席が無かったとのこと。こうした名の賞は遠い日の小学校以来のような感じもする。多少の気恥ずかしさも通っている先輩からの「1年間病気しなかった証拠」と言われて納得。出席の努力をしたわけではないが去年は健康に過ごせたというわけだ。そして翌日、すっかり忘れていたある写真コンクールの主催者から入賞と表彰式の通知が届いた。「優良賞」だから最優秀・優秀賞に続く三番手でそう威張れるものではないが嬉しいことには違いない。この1年も健康で、好きなことが出来る年としたい。できればもう1度くらい何か良いことが、いや欲をかいてはいけない。せいぜい車に当てられないよう気を付けよう。
年が明けて8日。相変わらずの夜明けの寒さには身が震える。正月気分の切り替えもそうだが、日の出時刻も早くなるころだと気が付いた。調べてみたらやはり、今日の06:52を底に明日から早くなる。と言っても、そのスピードは遅く秒単位。6日かかって06:51台に。1ヵ月後の2/8に06:36、梅が咲き始める3月初めに06:12になる。今はまだ暗い6時は薄明るくなり、寒さもやわらぐ。そんな春が待ち遠しい。久しぶりに荒川土手の夕陽が見たくなった。力強い落日までの時間、そして明日からの早出を予告するかのような残光の余韻にしばし浸った。
初詣は昨年に続き、さきたま古墳公園近くの前玉(さきたま)神社に。埼玉県名の発祥となったともいわれる神社である。奥手にある急階段を上った拝殿でお賽銭のわりにはたくさんの願い事を。階段下にある石灯籠の説明板を読んで万葉の時代に少しだけ浸り、花手水の写真を撮って古墳公園へ。せっかくなので丸墓山古墳に登る。わずか19mの高さ、しかし眺めは遠くに富士山、そして雪の浅間山と行田市内の忍城。連日の冷たい北風に初登山はまだだが、もう少しの辛抱だ。
恒例の初日の出。今年は市内吹上の荒川堤防、水管橋の近くで待ち構える。雲ひとつない東の空の地平線が赤みを帯び始め、上空の藍色にむかってグラデーションをつくる。と間もなく赤い点が灯り、見る間に大きさを増して光条とともに顔を見せた。近年になく力強く、昇る初日のショーを寒さも忘れて見入った。その後は水管橋のそばで遠く富士山を。先日、精進湖畔でまじかに眺めた景色を思い出しながら荒川堤防を歩く。そして思うことは来月の東京高裁での控訴審のこと。医療過誤を訴えて7年目を迎える友人の裁判。一審から続くそのゆくえはまだ見えないものの希望の小さな灯り。今朝のように大きく、光り輝いて届くことを願いたい。
北国からは本格的な冬の便り。雪こそ降らないが、今日のような雨や曇りの日は南関東に区分されている当地も寒い。例年どおり、冬タイヤに履き替えることにした。ガソリンスタンドで前輪がすり減っていると言われた夏タイヤは23000㎞、後輪と位置交換すれば来春以降もまだ大丈夫。それを物置に収納、選手交代で冬タイヤの登場。2シーズン使用して5300㎞のタイヤ、近場での雪道を僅かに走行しているのみ。カーブの続く雪の山道の登り、下りや厳しい凍結路は未経験だ。本来はその用途での冬タイヤの装着。低山でも冬の朝のアクセス路は凍結していることがある。もちろん霧氷の赤城山へ走るときなどの強い味方だ。
12月に入ってとたんの師走の寒さ。平年並みらしいが、11月が暖かったせいか身体にしみる。気温だけでなく、この時季を教えてくれるのが色づいてきた庭の柚子とミカン。去年は不作だった柚子が鈴なりに実っている。ミカンは逆に数少なく、今年は20個ほど。よく言われる隔年ごとの収穫量の多少、表・裏年。二つしかない果樹だけに異なっていてよかった。今年は酸っぱくても少ないミカンを食べつつ、柚子湯にたっぷり浸かって年を越すことにしようか。
天候不順が続いて今日も時折り雨がぱらつく。初冬のような寒さの中、初めて東京高裁の建物に入る。手荷物検査はこれまでの地裁入口と同じだが、周囲が広々として威圧感は感じない。ロビーの立ち話の人たちや忙しげにエレベーターへ向かう男女など、普通のオフィスビルと同じ光景だ。でも友人にとっては、気を奮い立たせて踏み入れたに違いない。一審で敗訴した娘さんの死を医療過誤と問う控訴審がいよいよ始まった。傍聴していた身として一審判決は、数年に及ぶ審理の核心から外れた医学論説を引用、中立公平の理念からかけ離れたものと思わざるを得ない。法廷では争点をあらためて整理、審理を尽くすとの裁判長の話。その言葉に、本来の秋のような澄んだ青空と希望を感じた。
先日、ふたつの貴重な話を聞いた。一つ目は米軍基地拡張反対の砂川闘争を経て国家賠償請求訴訟を行なっている土屋氏の講演。一審で無罪となった基地内立ち入りが最高裁の差し戻しで破棄、罰金2,000円の有罪が確定。その後、米国公文書により裁判過程において最高裁長官と駐日米大使との間で日米安保条約に配慮する旨の密談がなされていたことが判明した。氏は今、憲法で保障された”公正な裁判を受ける権利を侵害された”として国家賠償請求訴訟を行なっている。88歳の老活動家の平和希求の原点は、自宅を空襲で焼け出されこと、終戦で灯火管制が無くなって家も外も電灯がついて明るくなったことだと言う。そして闘いを振り返りながら長続きのコツは、あきらめないこと、粘り強く闘うこと、明るく楽しくやることだと。友人が医療過誤裁判で提訴して6年、一審判決を不当として高裁の控訴審を今週に控えている。この話はぜひ傍聴支援を終えた後に伝えたい。次に登場した松元ヒロ氏は以前、テレビで一度だけ見た記憶があり、気になっていた政治風刺を得意とする芸人。最近の国葬、統一教会問題等で低空飛行中の岸田政権をはじめ、安倍・菅の歴代首相、自民党を滅多切り。面白おかしく、そして真面目に会場内を沸かす。テレビ局が出演させるはずがないことを生で実感。圧巻は、自らが「憲法くん」になり切ったコントと憲法前文を朗読するところ。国民主権と平和主義を高らかにうたった、あの全643文字をよく覚えたものと感服する。同時に、今さらながらの勉強不足、切々と訴える「憲法くん」に何が出来るのかを自問した。『<憲法前文>日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』