
平均律クラヴィーア曲集は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した鍵盤楽器のための作品集。1巻と2巻があり、それぞれ24の全ての調による前奏曲とフーガで構成されている。第1巻 は1722年、第2巻 は1742年に完成した。平均律クラヴィーア曲集は、バッハの音楽の真髄を感じることができる作品です。 まず、プレリュードとフーガの構成的な組み合わせによる美しさです。 プレリュードは自由な即興的な性格を持ち、フーガは厳格な対位法の技法が駆使されています。 これにより、バッハの多様な音楽表現が存分に味わえます。
ところで、この曲の紹介はつい先日も行っていますが、聴けば聴くほどバッハの音楽の深さに嵌るようでもある、でも最初に「平均律クラヴィーア曲集」からバッハの音楽に入ったという人は、どのくらいいるだろう。わりと少ないかもしれない。というのも、「平均律」という日本語タイトルにあるこの言葉が、なんとなく謎めいているというか、近づきがたい印象を持たれるように思うからだ。
バッハはクラヴィーア、すなわちクラヴィコードやチェンバロのような(ピアノが作られるよりも前の)鍵盤楽器のために作った作品は数々あるが、「イタリア協奏曲」や「フランス組曲」や「イギリス組曲」など、お国名を冠した楽しい感じのする作品に比べたら、「平均律」と言われても、ちょっとどうしたら……という気持ちにはならないだろうか。
「平均律」とは、調律方法の一つである。曲の中で、つぎつぎと調性を変化させても、違和感なく美しく響いてくれる便利な調律の仕方だ。バッハは1オクターブの12音を主音とする長調・短調、つまり24の調性を網羅した曲集を書こうと思った。全調がほどよくきれいに響く調律方法があるなら、ひとつのまとまった曲集を作ることが可能なのだ。
ただし、バッハがこの曲集につけたドイツ語のタイトルを注意深く見てみると、Das Wohltemperirte Clavier、つまり「うまく調律されたクラヴィーア」としか言っていない。「平均律」なんて書いていない。当時はまだ「平均律」が現在ほど一般的ではなかったようなのだが、少なくともバッハは「全調に対応できるように“うまく”調律された」鍵盤楽器を想定していたと思われる。この曲集が日本にもたらされた時、だれかが「だったら当然“平均律”でしょ」ということで、このように翻訳してしまったのだろう。それが定着したことになる。

ここでタチアーナ・ニコラーエワが語る平均律の参考意見を伺いましょう。
確かにJ.S.バッハはメンデルスゾーンがマタイ受難曲を楽譜を発見する100年は忘れられた音楽家でありバッハの演奏技法も未定であり多くの楽譜を発見し当時の演奏方法と違いいていたのであろう、全体的に自然な演奏法、勿論当時はチェンバロ楽器ではなくピアノ演奏が主流でペタルも使わずごく自然に平均的演奏がバッハの演奏と理解し始めたようであった。
これはJ.S.バッハの鍵盤楽器を教える教授の話であるが、曲は平均律クラヴィーア曲集であった、因みに一般的には平均律クラヴィーア曲集(うまく調律されたクラヴィーア/Das Wohltemperirte Clavier)は、バッハの音楽の真髄を感じることができる作品です。 まず、プレリュードとフーガの構成的な組み合わせによる美しさです。 プレリュードは自由な即興的な性格を持ち、フーガは厳格な対位法の技法が駆使されています。
これにより、バッハの多様な音楽表現が存分に味わえる音楽と言えるそうです。この曲の演奏には一番感じな事は和音の変化に対応する鍵盤は平均的に奏でられなければならなく、始まりはごく自然に始まり同様に自然に終わる演奏が良いと言われる、勿論音楽マニアは単に音楽を享受して自然な心で聴く事こそがバッハの音楽であるのかもしれないとも思う。

一般的にTANNOY IIILZ Monitor Goldのユニットの持つ特性は誰もが納得できる音質は弦楽器の再現性であろう、このユニット以降スピーカーエッジにエッジはコーン紙がそのままエッジとして使われているフィックスドエッジが大きな違いでもあります補修はブレーキオイルの塗布でダンパー部分を敏感に修復が寛容です。 音の特徴は擦って奏でる再現性は実に美しいが、これが生の音かと問われれば生とは違うと言わざるを得ない、何故ならTANNOYの奏でるユニットの中央で視聴すれば装置のセンターで目の前での演奏会上の一番良い席で聴けるTANNOYマジックを味わうことができるユニットである。
但しこれらの条件を満たすことは使用アンプは三極管アンプの使用を勧める、TANNOY IIILZ Monitor Goldユニットのインピーダンスはトランジスター対応の8Ωではあるが、音質の相性は真空管が圧倒的に相性は良かった。
ここで筆者が思うは何故今頃ピアノの演奏奏法を申し上げるかといえば、音響装置にも大変影響のあること理解でき始めたと思う、確かに上記写真のTANNOY IIILZ Monitor Goldは実に優れたユニットではあるが、特にバッハ演奏の平均律の演奏等は特に明記として相応しい音を奏でてくれます。
平均律の演奏は自然に演奏が始まり自然に演奏が終わり無から無の繰り返しバッハの音楽の制限性は実に見事なユニットと思える、またペタルも使わず流れのままに演奏する音を聴かせるユニットは矢張り銘機なのであろう、またバッハの鍵盤音楽の極みは右手左の力加減を均一に自然な力を加えることにより一層深いバッハの音楽を体験できるようにおもいます。兎に角バッハ作曲の鍵盤楽器の音楽は全ての曲にこの方式な当てはまる演奏であることが解るのである。正に無の境地の演奏でもあり晩年のBWV1079・BWV1080等を聴けば納得頂けるともおまいます。
確かにTANNOYのユニットで視聴する、ジャズピアノ等の鍵盤を叩きつけるような刺激的な音は苦手であるが、バッハのような鍵盤楽器演奏には実に良い自然な重なりを見せる音楽を聴かせるようなピアノの音なのです。
確かに音響機材所謂オーディオ機材の真空管の違い、接続ケーブルの違い、また使用コンデンサーの違いにより音質の違いを追求する事もオーディオの醍醐味でもあり面白い所でもあろう、色々あるパーツを使い音質を楽しんだが或程度の機材が安定して音楽を聴くうちに勿論懐事情の都合も大きく、一番肝心なことは矢張り各々演奏家の違いでの音楽を享受する違いが大きく関わることが徐々に明らかになったことでもある。
筆者は昔はバッハの鍵盤曲の試聴はチェンバロ演奏が多く聴いたが、最近聴くはやはり手軽に入手できるピアノ演奏する側も視聴者側もお互いに作曲者を意図を理解する事で大きな幸運を得られるのであろうと承知しております。
今まで特に筆者の聴く音楽の演奏家にはロシア系統の演奏家情報もは少ない、NHK放送では何度も放映しているようだが、後輩たちの教育も熱心に実行し何度も来日してしかもバッハの演奏を続ける、今まさに定評のある女流ピアニスト「タチアーナ・ニコラーエワ」を取り上げてみます。

タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)はロシアのペジツァ生まれの生涯現役を貫いた名ピアニストです。3歳からピアノを始めると、幼くしてその才能の片鱗を見せ、モスクワ音楽院ではピアノと作曲を修めます。卒業後にライプツィヒで開催されたバッハ200年祭記念コンクールで見事優勝を果たし、以後バッハ弾きとしての名声を確立しました。
コンクールの審査員のひとりだった作曲家のショスタコーヴィチは、ニコラーエワの演奏にインスパイアされ「24の前奏曲とフーガ」を作曲。1952年にレニングラードで行われた栄えある公開初演はニコラーエワが演奏を務めました。 この作品はトッカータ、ソナタ形式、幻想曲などさまざまな要素が取り入れられ、ショスタコーヴィチの力量が遺憾なく発揮されたものとなっており、それゆえに難曲が多く、現在でもステージやレコーディングなどで取り上げられることは少なくなっています。
ショスタコーヴィチ :24のプレリュードとフーガ Op.87
(Shostakovich, Dmitry Dmitrievich:24 Preludes and Fugues Op.87)
ショスタコーヴィチが《24の前奏曲とフーガ》 の構想に至ったのは、親友イサーク・グリークマンの回想によると、1950年7月23日〜8月11日にライプツィヒで行われたバッハ没後200年記念祭へのソ連代表団の代表としての派遣がきっかけだという。彼女の注目はOp.87 発報後注目されたとも言われているようです。

日本には何度も来日していて、ご存知の方も多いと伺っていますが、筆者はあまり馴染みが無くタチアーナ・ニコラーエワの演奏する「イタリア協奏曲」を聴き改めて聴き直した、印象は当時バッハがイタリア音楽を研究していた頃に仕上がり、勿論イタリヤ形式での作曲で実に明るい演奏は心地よい。演奏は、一言で言うと「泰然自若」。悠然たる歩みで、堂々とわが道を歩むといった雰囲気。これらの楽曲は、編曲者によって、ヴィルトゥオーゾ的な要素が加味されていて、演奏によっては、スピードやスリルで、その華やかさに演出を加える感があるのだが、当演奏はそのような背景とはまったく無縁に、バッハの音楽そのものを語るような雰囲気がある。
今回視聴するJ.S.バッハ:イタリアンこんちぇるとのニコラーエワの演奏は、くっきりした明るさを伴いながら、ゆったりしたテンポを主体とし、ペダルや重々しい低音も存分に使用する。このような演奏スタイルは、バッハが作曲した時代のクラヴィーア奏法では前提とされていなかったものであるようだが、しかし、その響きは説得力があり、総ての音に、音楽的な蓋然性があって、とても心地よく響いてくるのである。現代ピアノの能力を如何なく発揮し、それでいて聴き味においては決して装飾過多にならず、バッハらしい厳かな空気が連綿と続く。なるほど、これがソ連国内で、長くバッハ作品のピアノ演奏における権威とされてきた人の演奏なのだ、と思わされる。ニコラーエワという芸術家の揺るがない矜持のようなものに触れた気がする演奏だ。
1735年、バッハは『クラヴィーア練習曲集』第2巻を世に送り出した。二段鍵盤のために書かれたその第1曲が「イタリア趣味による nach italienischem Gusto」、こんにち通称《イタリア協奏曲》とよばれる作品である。 明朗快活な両端楽章と優美な緩徐楽章、急-緩-急の3楽章からなり、これら3つの冒頭の音型は明確な関連を持っている。
バッハのクラヴィーア練習曲集は4巻から
『クラヴィーア練習曲集』第1巻 パルティータ BWV825‐830
『クラヴィーア練習曲集』第2巻 フランス組曲BWV831 イタリア協奏曲BWV971
『クラヴィーア練習曲集』第3巻 前奏曲とフーガ 変ホ長調『聖アン』 BWV552 · 21のコラール前奏曲 BWV669‐689 · 4つのデュエット BWV802‐805
『クラヴィーア練習曲集』第4巻 ゴルトベルク変奏曲BWV988
この作品はイタリア趣味によるというよりも、イタリア的な音型や語法をふんだんにちりばめたものと言うべきだろう。第1楽章冒頭のリズムは、18世紀前半にハンブルクに活躍した著述家J. マッテゾンによれば「最新の流行」であり、第2楽章におけるオスティナート(同じリズム型や旋律型を繰り返す伴奏)に支えられた装飾豊かなアリアは、ヴィヴァルディの作品そのものを髣髴[ほうふつ]とさせる。だが、やはりバッハと同時代の美学者J. A. シャイベが「外国人たちにとってほとんど模倣すべくもない」と賞賛したように、作品の本質は、ドイツ的な主題労作と図式的な形式の克服にある。その精神はやがて、初期古典派のクラヴィーア・ソナタへと結実する。

当時先輩から勧められ筆者が最初に彼女の演奏を聴いたのは、彼女がザルツブルク音楽祭で弾いたフランス組曲でした。ザルツブルク音楽祭というのは、世界有数の音楽祭で名だたるピアニストたちが集います。その時の録音を聴く機会があり、何気なくCDをかけてみたところ、あまりの素晴らしさに言葉を失いました。見た目彼女は小柄な女性でしたが、音楽は壮大なドラマティックな演奏で、彼女のバッハの平均律をきいたショスタコーヴィチが、その演奏にインスピレーションを受け、24の前奏曲とフーガを書いたと言われています。
今回見つけた貴重な初出音源!ニコラーエワ最晩年の『フーガの技法』ライヴ!!この様な見出しにはつい聴きたい欲求には勝てずに取り寄せてしまう・・・。

解説にはロシアを代表する偉大なピアニストであるタチアナ・ニコラーエワの最晩年の録音が、マスタリングに定評あるFIRST HAND RECORDSから発売されます。1993年11月13日にサンフランシスコでショスタコーヴィチの『前奏曲とフーガ』を演奏中に脳卒中を起こし9日後に亡くなったニコラーエワ。このディスクに収められているのはその半年前、4月26日に行われたヘルシンキでのライヴ録音です。曲目は彼女が得意としたバッハの『フーガの技法』で、これまでリリースされたことのない録音。たいへん貴重な初CD化だそうです!
合計収録時間 | 01:27:46
【曲目】
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080
コントラプンクトゥス1
コントラプンクトゥス2
コントラプンクトゥス3
コントラプンクトゥス4
オクターヴのカノン
コントラプンクトゥス5
コントラプンクトゥス6(フランス風の様式による)
コントラプンクトゥス7(拡大と縮小を伴う)
12度のカノン(5度の転回対位法による)
コントラプンクトゥス8
コントラプンクトゥス9(12度の転回対位法による)
コントラプンクトゥス10(10度の転回対位法による)
コントラプンクトゥス11
拡大と反行のカノン
10度のカノン(3度の転回対位法による)
コントラプンクトゥス13(正像)
コントラプンクトゥス13(鏡像)
コントラプンクトゥス12(正像)
コントラプンクトゥス12(鏡像)
コントラプンクトゥス14(未完のフーガ)
【演奏】
タチアナ・ニコラーエワ(ピアノ)
【録音】
1993年4月26日/ヘルシンキ、シベリウス音楽院

偉大なる名女流ピアニストであり、J.S.バッハの演奏法の先生でもあるタチアナ・ニコラーエワ。今思えばアメリカ公演にて24の前奏曲とフーガ演奏中に倒れ短命な69歳で亡くなられてから既に31年になるようです、亡くなられる約半年前のライヴ録音だそうです。
紛れもないニコラーエワの『フーガの技法』を聴くことができます。彼女が得意としていたと言われるバッハ: フーガの技法。全ての響きとその音色は私たちの心奥底に深く浸透する様に静かに流れ、時には激しさを増す川の流れのような演奏である。時代はかわれどタチアナ・ニコラーエワの演奏はより多くの人々の記憶に残され続けていくことであろう。ブラボー!
バッハ弾きの一人でしたね。
昔はFMで聴くことが多かったです。
多分イタリア協奏曲とか、短めなものを
聞いていた記憶があります。
平均律とか、ゴルトベルクとかこの
フーガの技法とか、セットものは
長時間の聴取を迫られるので、
昔の様に対峙しながら聴くことは
今はできませんので、聴く機会は
激減しました。その中でどの曲が
好きかなど問われると、何番と何番と
答えられる方は本当のバッハ好きなのだな
と思います。
たまたま、時間があったので、配信で
二コラーエワのものを聴きました。
ピアノのレガートを使った演奏は
晩年のものとしてもいいものがありますね。
最後の単音でいくつかの音が鳴って無音になり
なにかいつもここに来ると寂しい感じなってしまう
ので、バッハって・・・。ということになって、
偉大な作曲家であっても絶筆になるのだと、
思ったりすると、頭のなかが、今聴いてきた音楽が
ヘビーローテーションしたりしています。
そうしていると、突然拍手が聞こえてきたりして
2度驚くのですが、これはライブ収録などだと・・・。
それにしては会場が静かすぎ、暗騒音がなさすぎで
スタジオ録音と勘違いしてしまいました。
演奏はもちろん説得力のあるものですし、リピートに
値するものですね。
お叱りを受けますが、我が家のポンコツなプレイヤーの調子の悪く
サエくのアームについたオルトフォンGEが定番ですが
一々レコード盤の交換が面倒で最近はCDからリッピングした装置で
試聴が定番になり、例えばゴルドベルグ変奏曲さえ全曲聴くにも
レコード盤を反対にして立ち上がらなくはならず億劫です
プレイヤーの蓋は埃がかぶる始末で此れでもオーディオマニアかと
反省する始末でさえあります。
最近色々バッハを聴くうちに何故か古い演奏者が登場します。
録音技術も悪い条件と中にはモノーラルの物もあり聴きづらいCDもありますが
以前紹介したヘルムート・コッホ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団
:ブランデンブルク協奏曲ハンス・ピシュナーのチェンバロ演奏も
視聴後思うはやはりヘルムート・コッホ指揮の偉大さを感じたり
20代の頃古楽器演奏でブランデンブルク協奏曲初めてきいたことより
50年以上も過ぎてブランデンブルク協奏曲の深さを知った時代でもあります。
以前五味康祐氏曰く良い音楽は何度も聴くうちに自分の物に浄化されて行く
と言われ五味氏の部屋に飾られた「浄」の字を思い出す次第でもあります。
今後も良い演奏を探し楽しみにしていきたいと思う次第でもあります。
いつも貴重なコメントありがとうございます。