最近後期高齢者運転免許書き換えに伴う教習を受けた、来年早々免許証書き換えである、生憎筆者の免許は大型のため視力0.8の制約があり50歳台頃までは近視・乱視の為眼鏡仕様での免許書は発行でしたが遠視が進み眼鏡不要になり、この度の教習では歳の為か遠視が強まり一度検査を受ける必要がある様と言われたのです、簡単に処理しようと近所のメガネ店行くと話すと、ワイフ曰く病院での検眼を進める。何故か、と言うのは歳と共に白内障の弊害、それと筆者の視力には昔から両眼とも違う度数と乱視が入っており、医師の処方箋が必要でもあると言うのだ、そこで近くの白井聖人会病院に訪れる。
午前中は色々白内障を含め診察し、午後から改めて視力の検眼である。
ドクター曰く視力0.8を維持するには眼鏡が必要である、勿論同時に遠視も若干進んでいるので、そして一番悪い原因は両目の視力の差があり疲れの原因にもなり、運転専用の眼鏡と乱視を考慮した物、PC対応の遠視と乱視を入れた眼鏡2本を作る事になった。この眼鏡費用は誕生日プレゼントと言われた。
人間とは言え歳と共に入れ歯、眼鏡と付随するパーツが増えロボットに近付く限りである・・・。
それでも感心した事は此の病院では、お値段は高めだが眼鏡のフレームは「鯖江」のフレームが用意されていたのでコバルト合金もものを選んだ。そこで謂れ事は幾ら鯖江のフレームといえぞ現在は支那から材料を持ち込み閉鎖した鯖江の工場再開し支那人で製作しMade in Japanとして格安で販売する品物もあるそうでので十分注意してくださいと言ったました。しかし此の様な支那人が加わり製品は品質を低下させる事は今や世界でも知れわたった物作りが行われる様です。
今年話題になった日本製鉄が社運を賭けて支那に作った宝山鋼鉄もマトモな製品は作れないのである。特に日本の冶金並びに鍛造技術は武家時代から続く玉鋼の鍛造技術は今も優れた技術で他の国では達成できな技術でもある、当時の火縄銃の銃口も玉鋼の技術を用いて製作した製品の命中度は日本製品が実に優れた物であったと言われる、宝山鋼鉄とも2024年度日本も此処に来てやっと合弁事業を解消に相なったそうです。
話はそれたが本日火曜日で病院には眼鏡屋さんが来院する曜日でフレームも沢山あり掛けやすそうなフレームを選び仕上がりは12月24日になる事です。遠視用の眼鏡フレームは写真に近い物を選びPC対応するブルーライトカット PCスマホメガネレンズで対応した。ドクターからの注意は両眼のレンズの度数、乱視の方向が違うので本日注文し眼鏡を使ってください。違う眼鏡を使うと疲れ肩こり等を起こしますよ!と注意された。これで来年早々の免許書き換えは安心して免許書センターにいけそうである。
筆者が思う事は最近我が街に住む人に支那人が増えている、確かに殆どの支那人は声が大きくしかも大変五月蝿い日本の法律は日本人には厳しく外国人には優しい、此処で問題は現在の我が国の総理は問題ではあるが、お隣現在韓国の尹大統領による非常戒厳の宣布で時期大統領は近い将来、疑惑の多い最大野党・共に民主党の李在明代表になる公算が強く最悪の文在寅政権に似た日本叩きが始まるのであろう。此れで韓国民主主義は終了した、隣国とは友人にはなれない事は明白であり、同時に支那も同時に敬遠する事が出来るであろう。
今後の日本は憲法改正を行い真に独立を目指し均衡の取れた国を目指すことが肝心であろう。
筆者がなぜ隣国が嫌いか、特に未だPC機材のメモリーが高額の時代韓国製のメモリーを使っていた頃があり、当時20インチの液晶モニターは相当高額な時代、PC関係に強いグループの人達と知り合い当時ハードデスクも相当高額で特に20インチを超えるモニターは韓国製が安定し価格も安く良いと言っていたが、どうも韓国製が嫌いでソニーのブラウン管の20インチのモニターを使っていた時代もあったが、当時の日本の技術者は韓国企業に全て流れ安価な製品が出回る時代であったのであろう。当然のことながら支那、韓国企業は製品を安価にする事は上手いが製品を向上させるは下手と言うより出来ないのだ。
昔から言われることは日韓関係と美味しいビール同様、冷やす程美味しいと言われる!実に上手い表現である冷ついた環境が正常なのである。
昔支那で製品製造をオーダーする場合は支那の国の会社は使わず、必ず台湾のクッションを入れて台湾出資の支那の会社で物作りをさせなければ期限には間に合わない、商品の基準に達しない物が多く中間で管理しても不良品が多く発生した、特に時計の中に入れる酸化銀ボタン電池は粗不良品であった。今だにこの様な事は続いているのであろう、思えば今から20〜25年以上も前の話である。
先日久しぶりにバイワイヤリングに使用するジャンパーケーブルを製作し現在取り付け後は徐々に音質が安定し特に中音の解像度が若干ではあるがました感じである、新しいFYNE AudioF500のケーブル取り付け金具も汚れを落とし清掃した結果であろう、思うは最近オーディオ熱は徐々に冷めている様に感じる、音質も程良く聴ければ良いと思い、益々興味がJ.S.バッハ音楽の興味に移行している様でもある。但し同じバッハの作品でもミサ曲 ロ短調(BWV 232)等を聴くには圧倒的にTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetでの試聴が良くFYNE AudioF500では敵わない事は分かった事である。
確かにオーディオにハマる事は其々の思いがあるが、ある程度の音量で重低音を感じる様は曲によっては良い気分になり爽快な感覚になるが、自分一人で楽しむ物でもあり、その様な大音量は対して重要でも無い場合もある、特に晩年作った曲などは指定楽器無しで鍵盤楽器のみの演奏でも楽しめる事がバッハの所以でもあろう、後期作品の平均律クラヴィーア曲集第2巻、ゴルドベルグ変奏曲等を聴けば理解できるであろう、この曲は一般的にはピアノ演奏を進める。
その様に突き詰めると自分の好みに合った、部屋に染み渡る様な音が聴こえればそれ以上何が必要なのであろうか?と自分に問いかける様です。所詮オーディとはその様なものだったのか知れません。
今まで随分バッハの音楽を楽しく聴き続けて来ましたか、歳と共にバッハの作曲した晩年の音楽に興味が移った共言えよう。
筆者の若い頃大変興味深い絵に出会った2作品は今も思い出す、双方共何処までも歩き続ける、又、水が流れ続ける、正に人間に例えれらば不老不死の世界の様である、ヨーロッパの修道院を思わせる建物です。その屋上には階段。階段を登る人下る人。頭巾をかぶった修道士のような人々の表情は見えません。そして彼らはまるで修業のように、ひたすら階段を登り続け、降り続けているように見えます。一体階段の一番上はどこなのでしょうか。エッシャーの代表作のひとつ、「上昇と下降」です。「不可能図形」として有名な「ペンローズの階段」の概念を応用したもの。ずっと上り続ける(下り続ける)階段になっているため、現実(3次元)には不可能である。階段のイメージを用いた不可能図形・矛盾図形・逆理図形。わかりやすい様にピンクの色を添えた。
錯視の一種で、トリックアートになっている。ヨーロッパの修道院を思わせる建物です。その屋上には階段。二つの塔をつなぐ水路を水が流れ、滝となって落ちていく。一見普通の絵に見えますが、どこかおかしいと思いませんか?この絵もわかりやすい様に水色を追加した。
手前の滝注目してみましょう。滝が流れ落ちたところから、水路はジグザグに画面奥へと流れ下りている…はずなのに、いつのまにか水は一番手前の高いところに。なんと元の滝に戻っているのです。「滝」と題されたこの作品は、マウリッツ・エッシャーの代表作です。滝の底からの水が、水路に沿って下り坂を流れるような見た目で滝の頂上に到達するという永久機関を表している。 ほとんどの2次元の画家が相対比率を利用して奥行きの錯覚を作るのに対し、エッシャーはここなどで矛盾する比率を利用して視覚的なパラドックスを作る。滝の底からの水が、水路に沿って下り坂を流れるような見た目で滝の頂上に到達するという永久機関を表している。 ほとんどの2次元の画家が相対比率を利用して奥行きの錯覚を作るのに対し、エッシャーはここなどで矛盾する比率を利用して視覚的なパラドックスを作る。
此れを音楽の世界で展開したのがJ.S.バッハでもあろう。筆者が想像するにこの様な動きをオルガンの内部構造三次元的な動きから発展させカノンの世界に溶け込んで行ったのかもしれない。
バッハは音楽者と言うより物理学者だったのかも知れない、思うに数字を音に変換し後世に残した数字学者かも知れない・・・?
最初音楽の捧げ物を聴いた時感じた事は、カノンの異様な音にコレを聴くのは暫く先に聴こうと放置したか、何故かあのカノンの調べが気になるのであった。
~パズルの種類(平行・蟹・反行・無限・謎・曲順・楽器) 「カノン」というのは輪唱のような構造を持っていて、(似た形式のフーガとは違って)主旋律と厳格に同じ形 をとる声部が繰り返され、積み重なって行く楽曲です。しかし同じ形といっても、そのまま元の姿で行くもの(「平行カノン」)だけでなく、加える方を後ろから楽譜を逆読みにする 「逆行(蟹形)カノン」や、上下がひっくり返された形で重ねる「反行カノン」、終わりなくどんどん追いかける「無限カノン」など、種類があります。そしてそれに加えて「謎カノン」という形もここでは出て来ます。何かというと、例えば四人用なのに二人分しか楽譜がない、といったものです。じゃあどうするか。ヒントが記号で書かれてる場合もあるものの、楽譜がないパートは、開始点や音の高さ、和音構成など、奏者が謎を解くように考えて演奏するのです。これは議論を呼びます。また、曲同士の順番が決まっておらず(出版されている特定の楽譜に従えば固定されたものとなります)、指定されていない担当楽器を何にするかというパズルもあり、この「音楽の捧げ物」全体が謎解きの判じもののような性質を持っているのです。演奏者によっては同じ曲とは思えない仕上がりになっていることもあり、具体的に個々の楽章というか、曲ごとに、そのあり方と根拠を見て行く必要があるでしょう。
残った部分だけ、つまりハード面には触れずに、聞いた印象のみを記すことにしようと思うのです。それは評としては屋台骨のない家のスケッチ、乗り心地で評価するスポーツカーのようなものであり、あるいはまた飛行機の喩えに戻るならば、エンジン推力や旋回性能、スピードブレーキの効きといったものを測定装置なしに感覚で試験するような事態でしょう。
カノンの大きな特徴、それは同じメロディを重ねて演奏することです。 なんだかフーガと少し似ていますね。 カノンとフーガのもっとも大きな違いは、メロディーの扱い方にあります。 フーガはメロディの形を若干変えてもいいのですが、カノンのメロディーは厳格に同じ形でなければいけません。カノンとフーガは、どちらも複数のメロディを織り交ぜるので似ているように見えるかもしれませんが、重要な違いがひとつあります。
カノンでは「それぞれの声や楽器は異なるタイミングで入るが、そのメロディは忠実に再現(模倣)される」という大きなルールに従っています。その一方で、フーガでは主題(テーマ)と呼ばれるひとつのメロディから始まるものの、多くの声部が加わるにつれて、そのメロディはそのまま繰り返されるだけではなく、変化したり、別の声部がそれに反応したり、さらには「転回」と呼ばれるプロセスでメロディがひっくり返るなど、メロディの展開にさまざまなバリエーションがあります。
つまり、フーガはカノンよりも自由度が高く、メロディのバリエーションと複雑さが追求される形式なのです。最初に出てくる主題のメロディが、多層的な音楽へと変化していきます。カノンもフーガでも、相互に連動していくようなメロディを聞くことができますが、カノンではその「反復と反響の性質を強調する」のに対し、フーガ
1600年から1750年までのバロック時代、音楽は目覚ましい発展を遂げました。これまで解説したとおり、「ひとつのメロディを用いて、異なるタイミングでそのメロディの模倣を1つ以上重ねていく」というのがカノンという形式でしたが、これは対位法に基づく作曲技法のひとつで、豊かな層と調和のとれたテクスチャーが生まれます。ここにバロック音楽の特徴である複雑さと感情的な深みを見てとることができます。
この時代、ヨハン・セバスティアン・バッハのような作曲家たちは、カノンを巧みに利用して、深遠な美しさと洗練された技術を持つ作品を生み出し、作曲の技術だけでなく、音楽の構造および和声に対する理解も示しました。
メビウスの輪とは 紙の表をなぞっていくと裏につながったり、裏をなぞっていくと表になったりと、表と裏が同時に存在しているという不思議な特徴があります。
メビウスの輪で視覚化されたJ.S.バッハの「カニのカノン」の天才メビウスの輪」とは、メビウスの帯、またはメビウスのループは、細長い紙の端を半ねじって次に形成されることで形成される面である。数学的な対象としては、1858年にヨハン・ベネディクト・リスティングとアウグスト・フェルディナンド・メビウスによって発見されたが、紀元後3世紀ローマのモザイクにはすでに登場していた。メビウスの帯は向きを変えることができない面であり、その中では回転時計と反時計回りの回転を一貫して区別することはできない。できない面にはすべてメビウスの帯が含まれる。帯状の長方形の片方の端を180度捻り、他方の端に貼り合わせた形状の図形です。
J.S.バッハは、このような曲構成になることが分かっていて作曲していたなんて、天才としか言えないですよね。最初にこの曲を聴いた時は感動の一言であった。
この曲名にある「カノン」の語源は「規則」を意味するギリシア語の「カノーン」という言葉ば語源だそうです。「カノン」とは模倣による対位法によって書かれた曲のことで、筆者は日本人にもわかりやすく例えると、「かえるのうた」追いかけっこの変化を楽しむ歌なのです、逆に歌って追っかけっこし、半丁あげたり下げたりし最後は元に戻る永遠に続く音楽でもあるのです。
一枚の肖像画の手に持った楽譜から発見されたと言われる、それと次に興味あるJ.S.バッハの曲を近年発見されたと言われる:ゴルトベルク変奏曲の主題に基づく14のカノン BWV 1087である。
ゴールドベルク変奏曲のアリアの最初の8つの基本音に基づく14のカノン(Verschiedene Canones über die ersteren acht Fundamental Noten vorheriger Arie aus den Goldberg-variatio)
この記事は、J.S.バッハの14のカノンBWV 1087に焦点を当てています。このカノンは、作曲家によって、クラヴィーア練習曲第4番(ゴルトベルク変奏曲)の印刷版に「前のアリアの最初の8つの基礎音による様々なカノン」という題で書かれています。この記事では、このサイクルをゴルトベルク変奏曲のカノンと比較します。特に、カノンに付随する情報について検討します。ゴルトベルク変奏曲は3つごとにカノンと呼ばれています。この最初のグループのカノンは、完全にオープンで固定された音楽テキストによる模倣的な連続形式の変奏で特徴付けられます。2番目のグループの14のカノンは、特定の暗号化で特徴付けられます。ここでは、記譜には完全な旋律素材は含まれていません。与えられた旋律素材は、とりわけタイトルと、読み方のガイドとなる一連の記号によって、作品の全テキストを導き出すための基礎となります。
14 の暗号化されたカノンにはそれぞれ、ゴルトベルク変奏曲のテーマであるアリアのベースメロディーの初期構成として 8 音のソジェットがあります。全体として、部分的に、または
定旋律としてカノンを形成する声として、8 音のテーマは、問題となっているすべてのカノンの可聴かつ可視的な基礎となります。その簡潔さと構成上の孤立により、テーマは完全に、そして一度に知覚されます。暗号化されたカノン BWV 1087 の分析により、エンブレムの 3 つの構成要素との類似点が明らかになりました。単語 (モットー) はソジェット、イメージは解読の対象となる膨大で多義的な実体としてのカノンの音楽テキスト、そして最後に、「描かれたものを読む」ことを可能にする署名です。カノンの場合、後者は、解読された全体を聞き、付随する記号と説明を理解することを意味します。
14 の暗号化されたカノンにはそれぞれ、ゴルトベルク変奏曲のテーマであるアリアのベースメロディーの初期構成として 8 音のソジェットがあります。全体として、部分的に、または
定旋律としてカノンを形成する声として、8 音のテーマは、問題となっているすべてのカノンの可聴かつ可視的な基礎となります。その簡潔さと構成上の孤立により、テーマは完全に、そして一度に知覚されます。暗号化されたカノン BWV 1087 の分析により、エンブレムの 3 つの構成要素との類似点が明らかになりました。単語 (モットー) はソジェット、イメージは解読の対象となる膨大で多義的な実体としてのカノンの音楽テキスト、そして最後に、「描かれたものを読む」ことを可能にする署名です。カノンの場合、後者は、解読された全体を聞き、付随する記号と説明を理解することを意味します。
カノン (14)、不特定の楽器またはキーボード用、ゴールドベルク変奏曲 BWV 1087 のアリアの最初の 8 つの基本音:
1. カノン シンプレックス
2. すべてのロヴェルシオ
3. ベーデ フォリゲン カノン ツーグレイヒ、モトゥ レクト エ コントラリオ
4. モトゥ逆張り
5. キヤノン両面印刷 4
6. キヤノン片面印刷Fundament à 3
7. Idem à 3
8. Canon simplex à 3、il soggetto in Alto
9. Canon in Unisono post semifusam à 3
10. Alio modo, per syncopationes et per ligaturas à 2 [1]
11. Canon duplex übers Fundament à 5
12. Canon デュプレックス ユーバー ベサグテ基本的なノート5
13. キャノン トリプレックス à 6
1. カノン シンプレックス
2. すべてのロヴェルシオ
3. ベーデ フォリゲン カノン ツーグレイヒ、モトゥ レクト エ コントラリオ
4. モトゥ逆張り
5. キヤノン両面印刷 4
6. キヤノン片面印刷Fundament à 3
7. Idem à 3
8. Canon simplex à 3、il soggetto in Alto
9. Canon in Unisono post semifusam à 3
10. Alio modo, per syncopationes et per ligaturas à 2 [1]
11. Canon duplex übers Fundament à 5
12. Canon デュプレックス ユーバー ベサグテ基本的なノート5
13. キャノン トリプレックス à 6
JS バッハ – ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲のゴルトベルク変奏曲 BWV 1087 のアリアの最初の 8 つの基本音による 14 のカノンを、リコーダー、トラヴェルソ、2 つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、チェンバロ用に編曲。編集と編曲は Javier Lupiáñez が担当。
Transfigurations : Les Esprits Animaux
日本でも人気出ること間違いなしと思われるが実に聴きやすく丁重な演奏も好感を持てた。 視聴したが詳細を調べたがよく分からない事が多くあった。ヨーロッパで話題の異端オリジナル楽器アンサンブルオランダを拠点に活動し、今ヨーロッパで最も期待・注目されている若手バロック・アンサンブル「レス・エスプリ・アニモ」。日本人ヴァイオリニスト、バディアロヴァ朋絵を含む7名で構成され、昨2012年に日本初公演を行ない話題となりました。
ストーリー性のあるプログラムと躍動感あふれる演奏に定評のある彼ら、2枚目のアルバムとなる当ディスクも非常に凝った作りを見せてくれます。テーマはずばり「変身」。流行歌や名作が第三者の手を経て新たな作品となったものを、その素材と結果の両者を披露してくれます。
ミシェル・コレットのコミック協奏曲第25番『未開人』も「変身」の典型例。第1楽章はラモーのオペラ『優雅なインドの国々』のアリアによる技巧的変奏、第2楽章は思想家ジャン=ジャック・ルソーの作曲したオペラ『村の占い師』のアリアの編曲、終楽章はイギリス起源の有名なフランス民謡が用いられていて、その原型ポンティエルの『セント・マーティン・レーン』も収録されるという周到さ。また、当時のイギリスの流行歌を採り入れたジェミニアーニのソナタや、現在のイスラエル国歌の一節にもなっているジュゼッピーノ・デル・ビアボの『逃れよ』も興味津々。レス・エスプリ・アニモのフレッシュな演奏、なかなか聴き応えあります。
1.ヨハン・クリストフ・ペツ:パッサカリア~パストラール協奏曲ヘ長調より
2.J.S.バッハ:コントラプンクトゥス14~『フーガの技法』より
3..S.バッハ/ルピアニェス編:14のカノン BWV.1087~ゴルトベルク変奏曲のアリアの8音のバスに基づく
4.伝承曲『コーデンノウのエニシダ』
5.伝承曲『ボニー・クリスティ』
6.ジェミニアーニ:ソナタ第1番『コーデンノウのエニシダ、ボニー・クリスティ』
7.伝承曲『トランケールの茂みで』
8.ジェミニアーニ:ソナタ第2番『トランケールの茂みで』
9.伝承曲『この前に沼越えてやって来た時』
10.ジェミニアーニ:ソナタ第3番『この前に沼越えてやって来た時』
11.ポンティエル:セント・マーティン・レーン
12.レット:コミック協奏曲第25番『未開人』
13.マリーニ:4声のパッサカリア
14.メルーラ:チャコーナ
15.ジュゼッピーノ・デル・ビアボ:逃れよ
16.マリーニ:『逃れよ、悲しい心よ』によるソナタ
17.伝承曲:ジョン、今キスしに来て
演奏:レス・エスプリ・アニモ Les Esprits Animaux
録音時期:2013年8月
録音場所:フランス、ジュジュリュー礼拝堂
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
下記の様に解説してありました。
14 ( B [2] A [1] C [3] H [8] = 14 )* は、ゴルトベルク変奏曲のアリアの最初の8音のカノンの正確な合計です。ゴルトベルク変奏曲はバッハの謎めいた作品で、1975年にフランス国立図書館がバッハ自身の所有していた変奏曲の初版を入手したときに再発見されました 。 その 裏表紙には音楽パズルの形で書かれた興味深いカノンがいくつかありました。これらのカノンのうち、1975年より前に知られていたのは11番と13番だけでした。バッハは、彼の完璧で優雅な数学でなければ不可能に思える対位法で、反転と逆行の動き、音価の増減を用いて、ゴルトベルク変奏曲のアリアのベース音の最初の8音を唯一の基盤として、前代未聞の世界を描き出しています。
しかし、これらの作品の意味は、高度に洗練された数学的な音符の連続を超えています。カノン11は、友人で神学者でアマチュア音楽家のヨハン・ゴットリープ・フルデの自筆帳にバッハ自身が書き込んだ最初のバージョンのおかげで、その歴史をもう少し教えてくれます。そこには、同じカノンに2つの碑文が添えられています。Symbolum : Christus Coronabit Crucigeros (モットー: キリストは十字架担ぎ手に冠を授ける) と Domino Possessori commendare notulis hisce se volebat JS Bach (J.S. バッハは、この本の所有者に、これらの数少ない音符で自分を推薦したかった)。つまり、この小さなカノンは、その数学的な完璧さの中に修辞的なメッセージを含んでいます。
ゴルトベルク変奏曲は1741年に出版されたが、44年前一枚の写真から解き明かされた発見でJ.S.バッハ作曲のゴルトベルク変奏曲 BWV 1087 のアリアの最初の 8 つの基本音に基づく 14 のカノンのオリジナル原稿である。
今日では学者の研究によって「ロ短調ミサ曲」がバッハの最後の作品ではないかと言われるようですが、少し前までは「音楽の捧げ物」と「フーガの技法」が 並んでその地位を得ていました。晩年、という意味では今でも正しいのだと思います。そこで、音楽の捧げ物のお話をする前に、それと関連性があると言われるフーガの技法についても少し触れてみます。といっても、曲の内容的なことではありません。 フーガの技法と似たところ まず、その二つはどうして関連性があると言われるのでしょうか。それはどちらも「カノンやフーガという循環する形式を使っていて、その性質を追求するような姿勢が見られ、一つのテーマから展開して対位法的作品を作り上げているから」ということになります。カノンは主題を同一形状で繰り返すがフーガは違う様です。
フィリップ・ピエルロ率いるリチェルカール・コンソートによる《音楽の捧げもの》。この作品は、バッハがフリードリヒ大王に招かれた際に、王から与えられた主題を用いて即興演奏することになり、その演奏を元にフーガ2曲と4楽章からなるトリオ・ソナタ、ならびに10曲のカノンを含む、1つの主題に基づく16の作品からなる曲集を完成させたというのがその成り立ち。ピエルロは遅かれ早かれこのバッハ晩年の傑作に挑まなければならないと考えていました。作品の偉大さはもちろん、王への献辞の頭文字をつなぐと彼らのグループ名に由来する「RICERCAR(リチェルカーレ)」となるからです。また楽器編成や、曲順についても議論されることが多い作品でもあります。このアルバムでの曲順は、1747年の初版譜に基づいています。初版は3部に分かれており、トリオ・ソナタは4楽章ではなく、無窮カノンを含む5楽章編成としています。楽器編成はヴァイオリン、フルート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロの各パート1人。音楽の精髄を極めたこの作品を、格調高く演奏しています。チェンバロを担当するのは、ピエール・アンタイに学んだフランスの若手モード・グラットン。冒頭の3声のリチェルカーレでは、厳格に、後半の6声のリチェルカーレでは精緻かつ多彩に聴かせます。
此処でフィリップ・ピエルロ率いるTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetに変更して聴く弦楽器等も入り単一楽器とは違う演奏はTANNOYユニットの鳴り方が誠に冴える、様々の楽器のバランス音の混じり合いは抜群である、もちろんハープシコードの音の深みを感じバッハの音楽が近くなる、4.無限カノン等は圧巻である。これぞ条件の適合した見事なタンノイトーンなのであろう。
J.S.バッハ:音楽の捧げものBWV1079
1.3声のリチェルカーレ
2.王の主題による無窮カノン
3.トリオ・ソナタ
4.無限カノン
5.王の主題による各種のカノン
6.上方5度のカノン風フーガ
7.6声のリチェルカーレ
8.謎のカノン
2.王の主題による無窮カノン
3.トリオ・ソナタ
4.無限カノン
5.王の主題による各種のカノン
6.上方5度のカノン風フーガ
7.6声のリチェルカーレ
8.謎のカノン
リチェルカール・コンソート
モード・グラットン(チェンバロ)
モード・グラットン(チェンバロ)
マルク・アンタイ(フルート)
フランソワ・フェルナンデス(ヴァイオリン)
フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
録音:2011年11月、フランス、ルールマラン教会
フランソワ・フェルナンデス(ヴァイオリン)
フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
録音:2011年11月、フランス、ルールマラン教会
このように”カノン”には「永遠に続く」という意味も込められています。
カノン進行のコード並びは「C→G→Am→Em→F→C→F→G」が基本のコードです。
ピアノは右手と左手で別の音を弾いて演奏します。
楽譜にはト音記号の段とヘ音記号の段があり、「ト音記号=メロディー、右手で弾く部分」「ヘ音記号=伴奏・ベース音、左手で弾く部分」という役割を果たしています。
右手と左手で別々に弾くというのは初心者の方には難しいかもしれませんが、その場合は最初にメロディー(右手)を練習してからそこに伴奏(左手)を追加する形にすると練習しやすくなります。
また、コードではなくドレミで表記してあったり、使う指の番号がふってあったりする楽譜もあるので「楽譜が全く読めない!」という方にはそういったものがおすすめです。
また、コードではなくドレミで表記してあったり、使う指の番号がふってあったりする楽譜もあるので「楽譜が全く読めない!」という方にはそういったものがおすすめです。
後日J.S.バッハの作品は終焉を迎えるがこの辺りから考える音楽に進化している様にも感じて止まない、フーガの技法(BWV1080)、ミサ曲 ロ短調(BWV 232)は改めて紹介していくこととなります。何故か後期作品程何度も繰り返し聴かないとバッハ像が見えないかもしれない・・・
やはり偉大なバッハも不老不死を音楽に於いて考えていたのであろう。此処でバッハがバロック音楽も終了させ、次の100年後の世代に変えていったのであろう。その様な時代の移り変わりにより新しい演奏方法演奏思考を変わって行くのであろう今後も新しいバッハの解釈と演奏に注目したい・・・ブラボー!