伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

今回はJ.S.バッハ:ヴァイオリン無伴奏ソナタ&パルティータ全曲について大御所の演奏を聴き直し検証した。

2025年01月29日 | J.S.バッハ制作音楽

さて本日で筆者も喜寿を迎えたわけだが、喜寿は「㐂」と書き、字を分解すると十七の上に七が付いたような文字となることに由来とされているそうだ。

先日の続きであるが、アンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP)を聴き味を締め、今回エネスコのバッハ無伴奏ソナタは是非聴きたい処であり、調べると2024年に再録している事が判明した。
名器が真の名盤と連関するのは、人間の社会、思想、芸術、文化の奥深いところの根源的なるもの、 本質的なるものを捉え、それを明日に照らしだそうとする信念、哲学が内在しているが故に、 現代の新奇なものを越えて、なお魅力的なのであろう。 軽薄な時代が終焉し、精神性のある社会が、一刻も早く到来することを希求してやまぬ。勿論此処で掲載する古典タンノイ群(レッド/シルバー)と遭遇するならば、聞き手に音楽には神秘的な彼岸の響が内在し、天球のハーモニーが人間の魂を磨き、癒してくれることに気付くのであるのであろう。
筆者所有のタンノイはTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットである、一応色々工夫し自作のインシュレーターを装着し粗筆者としては合格に近い仕上がりにしているつもりであるが、アンプ群については少し違うアンプも仕入れたいのだが貧困老人には現状維持が懸命である、コスパも良いとは思っているのであるが・・・正式には「IIILZ in Cabinet」というのが正しいスピーカーシステム名らしいですが、一般的にはきっとIIILZで通じる思います。



搭載ユニットは初代がmonitorRED(IIILZ)、2代目はmonitorGOLD(IIILZmk2)、3代目はHPD295(日本では「IIILZ in cabinet」でしたが英国では「CHEVENING」として販売されていたそうです)と3代にわたるモデルなわけですが、筆者はIIILZと言えば2代目がお気に入りです!
初代のREDは未だ聴いた事がありません。にでまずは外観ですが、サランネットが貼られていて確認しづらいですが、このエンクロージャは密閉型です。(初代も密閉型ですが、3代目はバスレフ型になります)聞き手に音楽には神秘的な彼岸の響が内在し、天球のハーモニーが人間の魂を磨き、癒してくれることに気付くのであるのであろうが、筆者所有のタンノイはAXIOM80の箱にTANNOYユニットを移植した、TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetのセットである、一応色々工夫し自作のインシュレーターを装着し粗筆者としては合格に近い仕上がりにしているつもりであるが、アンプ群については少し違うアンプも仕入れたいのだが貧困老人には現状維持が懸命である、コスパも良いとは思っているのであるが・・・



筆者がオリジナルの箱に拘った原因は当時の五味先生の本の文中にあった様です。オーディオ巡礼より・・・

家庭でレコードを楽しむのに、この程度以上の何が必要だろう、と私は思った。友人宅のIII LZでは、たとえばボリュームをあげると欠陥があらわれるが、Wさんのところのはそれがない。カートリッジはエンパイアの九九九VEだそうで、〈三位一体〉とでも称すべきか、じつに調和のとれた過不足のないよい音である。
 畢竟するに、これはラックスSQ38Fがよく出来ているからだろうと私は思い、「ラックスもいいアンプを作るもんですな」と言ったら「認識不足です」とW氏に嗤われた。そうかもしれない。しかしIIILZと38Fさえ組合わせればかならずこううまくゆくとは限らないだろうことを、私は知っている。つまりはW氏の音楽的教養とその生活が創造した美音というべきだろう。W氏は、はじめはクォードの管球アンプで聴いていたそうである。いくらか値の安い国産エンクロージァのIIILZでも聴かれたそうだ。そのほかにも、手ごろなスピーカーにつないで試した結果、この組合わせに落着いた、と。
 私事ながら、私はタンノイ・オートグラフを鳴らすのにじつに十年を要した。それでもまだ満足はしていない。そういうオートグラフに共通の不満がIIILZにもあるのは確かである。しかし、それなら他に何があるかと自問し、パラゴン、パトリシアン、アルテックA7、クリプッシ・ホーンなど聴き比べ(ずいぶんさまざまなアンプにつないで私はそれらのエンクロージァを試聴している)結局、オートグラフを手離す気にはならず今日まで来ている。それだけのよさのあることを痛感しているからだが、そんな長所はほぼW家のIIILZとラックス38Fの組合わせにも鳴っていた。
出費は一時、鑑賞は一生読者諸賢に言っておきたい。三十年にわたる私のオーディオ体験で、タンノイIIILZとラックス38Fは、もっとも好ましい組合わせのひとつである、と。音イジリを楽しむなら別だが、音楽を――家庭で、レコードによるそれを――楽しむなら、何十万円もの高価なエンクロージァやアンプは必要ない。IIILZとラックス程度で十分だ。ただし、多少値は張ってもかならずキャビネットはオリジナルを購めるべきである。出費は一時のものだが鑑賞は何年間もの歳月にわたるのだ。わずかな出費ではかえられぬ豊かなものをあなたは入手するのである。
だから各パーツの組合わせで、何を主体に考えるべきかと問われたら、これも言いふるされた言葉だが、まずスピーカー・エンクロージァに意を注ぎなさいと私はすすめる。経済事情のいかんを問わず、音を決定づけるものはスピーカーである。スピーカー・エンクロージァだけは許されるかぎり、いいものを購めなさい、と。
グレード・アップはスピーカーを向上させるだけで十分である。

此の文章にまだ話され続けたが、此の様な文面を読むとタンノイのユニットと他のスピーカーボックスへの移植はやってはいけない事と思い続けていたが、以前ステレオサウンド誌でタンノイコーネッタの工作記事を読んだが当時の筆者は既にオーディオ熱は冷め但し季刊誌のステレオサウンド誌だけは読み続けていたのですが、誠に残園ではあるが興味はあったがコーネッタの音は未だ聴いたことの無い、一つの憧れの音であろうか等思った。
そして現在はアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に出会うわけである。そしてIIILZ Monitor Goldユニットを移植して聴いているのが現在である。落ち着いた佇まいもお気に入りでもある。



今回の話題は以前挙げたアンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP)同様二匹目の泥鰌を狙い、ジョルジェ・エネスクのバッハ無伴奏ソナタ(CONTINENTAL / 3LP)この辺りは一度じっくり試聴し慕ってみたい演奏家でもあるのだが2024年復刻したので早速CDを取り寄せてみた。

バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータは1720年頃バッハの30代半ば頃の作品で古今東西の名ヴァイオリストをして幾度となく挑戦させる名曲にして何曲でもある、構成は教会ソナタ形式を取り2楽章ではフーガを加え、室内ソナタの形式を取る。また舞曲で構成され、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジークと言う構成も取り入れ、バッハはいろいろな様式を取り入れ特に第2番の終局、シャコンヌは演奏する側もその規模と言い、複雑さは想像を絶すると言うより空前絶後の名曲でもあろう、ソナタ第2曲の3曲フーガは4本の弦と1本の弓から多いとには4声部を同時に演奏しなければならないと言われている。番号が重なるごとに難しい演奏が強いられることで、感動を与えている演奏と思われる様でもある。ジョルジュ・エネスコの録音して以来、多くの演奏者が堰を切ったように全曲録音が始まる、大戦を境にレコード音楽は音質改善がなされ、1948年以降LPの登場となる、勿論此の当時からテープレコーダーも品質向上した事も起因するのであろう。今回購入のCDは1949年/ニューヨーク(モノラル)のソフトをニューリリースした物の様です。勿論以前からジョルジュ・エネスコのバッハは聴きたかったが中古しか無くそれも相当高額でためらっていた事が事実である。聴けば分かりが多分此のレコードは1950年にLPで発売されたが、当時68歳のエネスコの体調は万全とは言えず衰えもあったのであろう、しかしじっくり聴けばバッハの音楽性の豊かさは感じるのであった。



【曲目】
 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲
Disc1
 (1) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
 (2) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
 (3) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003
Disc2
 (4) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
https://www.youtube.com/watch?v=od_sBicH4Kw
 (5) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV1005
 (6) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006
【演奏】
 ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
【録音】
 1949年/ニューヨーク(モノラル)
 録音時期:1949年
 録音場所:ニューヨーク
 録音方式:モノラル
 LPからの復刻
 掲載: 2024年10月16日 00:00
 更新: 2024年12月04日 00:00
  


超稀少な米コンチネンタルCLP-104/6からの復刻。バッハ無伴奏全6曲は没後200年にあたる1950年にアメリカのマイナーレーベルCONTINETALから発売されました。豪華な3枚組アルバム入りのセットはエネスコ最晩年の心血を注いだ演奏で、演奏家や心あるレコード愛好家が絶賛しましたが数年でカタログから消え、クラシックLP最高のコレクター・アイテムになっていました。
新忠篤氏がかつて日本コロムビアで行った復刻とは別のオリジナル盤からのもので、そこに秘められたエネスコ芸術の全貌が真の姿で蘇ってきたようです。



「J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」は、1952年に演奏された全曲無伴奏のCDで、ハイフェッツの唯一の全曲無伴奏アルバムです。
無伴奏ですので、ハイフェッツのヴァイオリンソロが他の演奏に邪魔されず心ゆくまで楽しむことができます。その演奏テクニックは正確で、美しく輝かしい音色を楽しむ事ができます。
J.S.バッハのシャコンヌは、クラシック音楽の中でも最も象徴的で愛されている曲の一つです。
元々は独奏ヴァイオリンのために書かれたもので、バロック時代に書かれた独奏ヴァイオリンのための単一楽章の曲です。この曲は、その技術的、感情的な要求から、ヴァイオリンのために書かれた作品の中で最も難しいものの1つとされており、バッハの最高傑作の一つと言えます。ヤッシャ・ハイフェッツによるシャコンヌの演奏は、この作品の最も決定的な解釈のひとつとされており、その卓越した技術と表現力で有名です。
ハイフェッツの演奏は、この曲の感情を引き出すことに長けており、バッハ本来の音楽性に忠実でありながら曲の持つ情緒的なパワーを強調したもので、リリカルで表情豊かな演奏とルバートや装飾音を駆使して曲の美しさを引き出しています。このハイフェッツの演奏はヴァイオリニストの指標となり、その後のシャコンヌの解釈に多くの影響を与え、クラシック作品の中で最も偉大な演奏のひとつとされています。
改めて聴いたがハイフェッツの無伴奏ヴァイオリンが、こんなに素晴らしいものとは思わなかった。ショックを受けた。というのは、この録音があることは、学生の時から知っていたが、当時はシゲティが一番だった。我々はレコードで何を聴いていたのかと思う。50年聴いてきて音楽を聴いていたのかと反省しなければと思う。



【収録情報】
 Disc1 JSバッハ: 1.  無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV.1001 
         2. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調 BWV.1002 
         3. 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調 BWV.1003 
         4. ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調BWV.1041 Disc2 
         5. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番二短調 BWV.1004 
         6. 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調 BWV.1005 
         7. 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調 BWV.1006 
         8. ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV.1042 

   ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン) 
   ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団(4,8) 
   アルフレッド・ウォーレンスタイン(指揮:4,8)
録音年月日/初出レコード番号:
   1952年10月21,29日/LM1976( 1)
   1952年10月23,29日/LM2210(2)
   1952年10月24,25,29日/LM2115(3)
   1952年10月23日/LM1976(5)
   1952年10月22,29日/LM2210(6)
   1952年10月22,29日/LM2115( 7)
   1953年12月6日/LM1818(4,8)
録音場所:
   ハリウッド、RCAビクター・スタジオ(1-3,5-7)
   リパブリック・ピクチャーズ・スタジオ(4,8)
   復刻プロデューサー:エリック・ウェン
   復刻エンジニア&マスタリング:Rick Torres



ヤッシャ・ハイフェッツ / Jascha Heifetzのヴァイオリンの音は鋭い運弓と力強いヴィブラートによって創り出されるその音色は非常に特徴的である。演奏家それぞれの個性などという次元ではなく、ハイフェッツがヴァイオリンを奏でることで、別質の新しい楽器がそこにあるかのごとく錯覚を起こしそうになる。その余りに強烈な個性故に、好みが別れることもあるだろう。だが、その演奏スタイルは協奏曲から小品に至るまで他に得難い魅力に溢れている。
ハイフェッツは1917年にRCA初録音を行い、以降55年にわたりヴァイオリンのおよそ主要なレパートリーをほとんど録音している。この中には、ハイフェッツが紹介することで再評価された作品や、ハイフェッツに感化されて作曲されたもの、またハイフェッツ自身により演奏会用に編曲されたものも多く含まれている。どの曲の録音も素晴らしいが、スコットランド幻想曲はこれまでに彼と比肩するほどに消化できている演奏は多くはない。またコルンゴルトの協奏曲も、20世紀中はほぼハイフェッツによる演奏・録音のみが孤高の存在であった。小品もまた、カミソリのような技巧の切れ味と歌い回しの粋さが同居しておりハイフェッツのソロ・ソナタ&パルティータは、一般的にそれほど高い評価を得られているわけではありません。シェリングやグリュミオー、最近ではクレーメルやテツラフの方が、バッハらしい演奏かもしれません。ですが、ハイフェッツの演奏でフーガを聴くと、各声部がはっきり浮かび上がって聞こえます。これが、他の演奏に無い特徴です。もちろんシャコンヌをはじめとして、フーガ以外も曲の構造がよく分かる演奏です。音色は素っ気ないし、テンポの速さが気になる面もあります。解釈的にも古めかしい面もあります。
chaconne. スペインに起源する野性的,官能的な4分の3拍子の舞踊。 民俗舞踊としては現存していない

この曲は「シャコンヌ」という題名で広く知られていますが、正式な題名は「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の中の「パルティータ第2番BWV. 1004」の中の第5楽章です。
Johann Sebastian Bach:パルティータ第2番ニ短調 BWV1004 第5楽章Partita in D minor for solo violin(BWV1004)5.Chaconne

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV.1001 
ヴァイオリンの音色についての不思議、ひとつのヴァイオリンを違う人が演奏した時に、楽器の音は変わるのでしょうか?結論から言うと、変わります。演奏方法で楽器の音量も音色も変わるはずです。その変化を起こす技術が演奏者に必要です。 ヴァイオリンで言えば、弓の張り方ひとつで音色が変わります。 弓の毛を当てる弦の場所が、数ミリ変わるだけで音色が変わります。圧力がほんの少し変わっても音色が変わります。弦の押さえ方でも音色が変わります。ピッチがほんの少し変わっただけで、音色が変わります。いつも決まったピッチで、それぞれの音の高さを演奏していると、ヴァイオリンが共振しやすくなります。此の様にデリケートなことで音色の違う音色でヴァイオリンの美音とはハイフェッツの神懸り的なテクニックには他に比類がなく、すべてのヴァイオリン奏者は彼のことをおいそれと批判をすることはできないだろう。20世紀初頭頃までのクラシック音楽の演奏には曖昧さが許され、またかえってそれを良しとする風潮があったと言えるのかも知れない。ブラボー!

筆者の好きなJAZZピアノ奏者、銀盤の皇帝と異名をとるOscar PetersonのSongbooksを検証する。

2025年01月22日 | JAZZ・ボサノヴァ


昔から言われる名言に「ジャズに名演はあるが、名曲はない」という、ジャズ・ファンにはよく知られた格言があります。これはアドリブこそがジャズの最大の魅力であるということを強調して表わしている部分であって、けっして楽曲の魅力を否定したものではありません。ジャズでも名曲は存在しますし名曲のアレンジはジャズはもっと面白くなるのです。

最近言われるジャズは死んだのか?という疑問は、もう60〜70年代からずっと繰り返されてきた事に控えめに言っても「ほぼ死んでいる」という評価が妥当なのだと思います、ジャズがアメリカ国内で大衆の人気を失っていったのは60年代から、ロックやポップスの台頭からです。ボブ・ディラン、ビートルズ、モータウンなどなどがリスナーをジャズから奪っていきました。

(個人的にも筆者好みのジャズは50〜60年代で粗終了して現在ジャズ系統の音楽はその年代を聴く事が多い)60年代以降は、ジャズミュージシャンがジャズを捨て、リスナーの好みに合わせた演奏スタイルを選択してしまった時代ということなのでしょう。トドメを刺したのはミュージシャン本人だったということ、その時期にルイ・アームストロング(’71)やデューク・エリントン(’74)などの偉人が亡くなっていくということも象徴的です。確かに当時は薬の影響も多く、より若手の名演奏者が早死にして行った事も。

逆にジャズ音楽の効能は、ジャズを聴くとどんな効果があるのだろうか・・?
ジャズには、「Swing Feel(スイングフィール)」という速い曲調でも遅く感じるという特性があります。 ジャズ音楽を聴くと、この特性によって穏やかでゆっくりとした時間の流れを感じられ、よりリラックス空間を作り出すことができ、曲自体はアップテンポで流れるため、まったりしすぎず適度な緊張感も与えてくれ、ジャズ音楽は特に脳に良い影響を与えることが知られています。
これが脳の創造性を刺激し、ストレスを軽減する効果があります。 リラックスと創造性が促進されることが示されています。 また、ジャズは記憶力や言語能力の向上にも寄与し、脳の可塑性を高める効果があるとされています。ジャズ音楽は、スウィングフィールと呼ばれるテンポが速い曲でも遅く感じるという独特のリズム感をもち、適度なリラックス効果をもたらします。 この特性によって、心身を穏やかでリラックスした状態に導き、ストレスを軽減するのであるそうです。
「ジャズ」好きもまた自己評価が高く、クリエイティブさに長けているといえます。 外交的であり、親しみやすい性格なので自然と人に囲まれていることも多いです。此の様に考えれば死んだジャズ音楽も一部の世代の間では浸しまれ、楽しんで頂ける音楽の分野でもあります。と言われるそうです。



久しぶり電線病になった・・・以前購入したWesternElectric 銅単線ツイスト ビンテージケーブル太さは被覆込みの外径で1.3mmで柔軟性が高く、単線があり錫めっきの銅単線にビニル樹脂絶縁体の上に更に白と黒の綿繊維素材の絶縁体で被覆されて物であり意外と音質が良く重宝したが現在のスピーカーケーブルに変え長く使用を続けてが、何故か銅単線ツイストのキレの良い音にダブルで使えば如何であろうと思い、早速以前購入したケーブルの予備があるので慎重に計測すれば4本分ケーブルがあり早速ダブルケーブルでの仕様を試みる。

メーカー:Western Electric(ウェスタンエレクトリック)
材質:芯線 錫めっき銅(単線) / 被覆 ビニル樹脂+綿繊維
被覆込外径:1.3mm
芯線外径:0.65mm
形状:ツイストペアケーブル(単線2本撚り対線)

勿論ケーブルは良く清掃し接続部品も予備の金具を使い製作した。2時間程で出来上がり早速視聴する、現在使用するQED Profile79Strandと同等いやむしろJAZZ音楽にはWEケーブルが力強さがあり、良い塩梅にも思うのでこのまま暫く使用する事にした、単線で使うより何と低域が程よく鳴る様にも思うが如何であろう。
確かにJAZZを聴くのには、このケーブルを使うと生っぽいと低域の感じはある意味、デフォルメされた音に騙されているんだろうとも案じる。それは此のケーブルを使いスピーカーで音楽を聴く時に限ってのことでもある。
暫く使わなければエージングの効果もなく直ぐの評価はできないであろうが、今回使用のものは以前使用してケーブルの利用で済んだので或程度馴染めば本領発揮するであろう。この WE銅単線ツイストケーブルは意外と安価な事とケーブルが細い為なるべく短く使う事が良い結果につながる様です。



先ずは筆者が最近ジャズを聴かないしばらく聴いてないのである、何故かと耐えは簡単で聴きたい演奏者が限られる様である、基本的にピアノトリオ演奏でスイングジャズ系統の演奏を聴く事が多いから、益々聴く範囲が狭まっている状態である様に思う、先ずはLUXMANのA3500に火を入れ準備する、真空管での聴き良さはなんと言いっても演奏者の奥行きを感じることで、ピアノの後ろ側にベースとドラムが並ばなければならない。とは言え以前から思うが音楽再生に一番音を再現が難しいと言えるは音質の奥行感であろう、一般にトランジスターアンプでの再現は此の奥行き感の再現が難しい様でもあるその辺りの再現は真空管が良いと思っている。しかし此のアンプも相当古く火屋(真空管)は新しい物に交換するが、全体のオーバーホールを考えなければならない時期に来ている様にも感じる次第です。

確かに300Bの真空管に比べ若干ではあるがA3500の低域の音が引き締まった様に感じ使うが当時(1960年代)のJAZZ音楽を楽しむには真空管アンプは譲れない、尚多少の力が欲しいのでA3500プッシュプルのパワーアンプに換えています。但し思うは現在TANNOY IIILZのユニットをGOODMANS AXIOM 80の箱に移植して聴くがオリジナルのTANNOY IIILZではPetersonトリオのピアノは低域不足で楽しめないのであろう、此の低域の音を知ってしまえば他に移れないのかもしれない。美味しい珈琲に心地よいスイングジャズは極楽の時間でもある。



The Jazz Legendのオスカー・ピーターソン / Oscar Peterson1970年代末、ウィーンで行われたコンサートでピーターソンは、プロデューサーのノーマン・グランツに、「ちくしょう、ノーマン、このピアノは何処まで行こうっていうんだ? 俺もこんな楽器を手に入れなきゃ!」と呼びかけました。この瞬間、ベーゼンドルファーピアノとの深い友情が芽生えたのです。ピーターソンは個人的に選んだベーゼンドルファーコンサートグランド290インペリアルに特別な思いを持っていただけでなく、ウィーン・ムジークフェラインの黄金ホールで、ベーゼンドルファーの創立175周年を記念して開かれた『ウィーンの夕べ』でも演奏しました。

イグナツ・ベーゼンドルファー(1794 - 1859)イグナツは1794年、腕の良い家具職人だったヤコブ・ベーゼンドルファーと妻マルタの息子として、ウィーンに生まれました。19歳の時、当時最も有名なピアノ製作技術者の一人だったヨゼフ・ブロッドマン(1763−1848)に弟子入りします。若いイグナツは大変な才能に恵まれていたようで、1815年には既に、ウィーン美術アカデミーから表彰されています。ブロットマンの下で貴重な知識と技術を身にたイグナツは1828年、65歳で引退したブロットマンから事業を譲り受けます。
1838年ウィーン:若き作曲家であり、アーティストだったフランツ・リストの激しい演奏に耐えられるピアノは多くないというのは有名な話でした。友人に勧められたリストは、ウィーンで予定されていたコンサートで、ベーゼンドルファーのグランドを演奏しようと決めます。ベーゼンドルファーのピアノが頑丈に作られ、品質も高かったため、リストは、自身驚いたのですが、
ベーゼンドルファーは一夜にして名声を築き、続くコンサートでもベーゼンドルファーが使用されました。これを機に、リストとベーゼンドルファーの間に親交が生まれます。



オスカー・ピーターソンとレイ・ブラウン
トリオといっても、3人が同時に演奏する場面はほとんどなく、ブラウンがバッキングをする際にはペデルセンがプレイをやめ、ペデルセンがソロをとるところではブラウンは弦に触れない。だから、このライブ盤はほぼピアノとベースのデュオ作であるとも言える。ピーターソンのデビュー作はベースとのデュオ・アルバムであり、それをプロデュースしたのはノーマン・グランツであった。それから27年の時を経て、再びグランツ・プロデュースによって原点に返った作品。それが『オスカー・ピーターソン・アンド・ザ・ベーシスツ』であった。

戦後の日本人が最初に生演奏に触れたモダン・ジャズのピアニストは、オスカー・ピーターソンであった。J.A.T.P.のメンバーとしてピーターソンが来日したのは1953年11月、日本の占領期が終わっておよそ半年後のことである。
ジャズ・プロデュサーのノーマン・グランツが、名の知られたジャズ・ミュージシャンを集めてセッション・コンサートを開催したのは1944年だった。ロサンゼルスのフィルハーモニック・オーディトリアムが会場であったことから、そのイベントはJ.A.T.P.(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)と名づけられた。以後、J.A.T.P.のコンサートは出演メンバーを変えながら断続的に行われ、海外にも巡業するようになった。日本公演もそのような巡業活動の一環であった。デビュー時から17年続いたパートナーシップオスカー・ピーターソンとノーマン・グランツはある時期まで一蓮托生の関係にあって、カナダ出身のピーターソンをアメリカに紹介したのも、彼のデビュー・アルバムをプロデュースして自分のレーベル、クレフから発売したのも、その後のマネジメントを一手に引き受けたのもグランツである。
特に最近聴くのは欧Solarが11年にリイシューな本盤の土台は"Plays The Richard Rodgers Songbooks"。59年7月14~8月9日に行われた、オスカー・ピーターソンの録音の一環でリリースされた。この半月ばかりで、ピーターソン率いる黄金トリオは以下10枚ものLP音源を吹きこんだ。
"The Jazz Soul of Oscar Peterson"
"Plays the Duke Ellington Song book"
"Plays the George Gershwin Songbook"
"Plays The Richard Rodgers Songbooks"(本盤)
"Plays the Jerome Kern Songbook"
"Plays the Cole Porter Songbook"
"Plays the Harry Warren Songbook"
"Plays the Irving Berlin Songbook"
"Plays the Harold Arlen Songbook"
"Plays the Jimmy McHugh Songbook"



中でもPlays the Cole Porter Song Bookは筆者のお勧めアルバムでもある。
Plays The Cole Porter Songbook
こちらはオスカー・ピーターソンによるコール・ポーター作品集です。ジャズ・スタンダードナンバーを数多く残したコール・ポーターをまとめて聴きたいという方には嬉しい一枚です。2分程度の短い曲が多く、軽快なリズムと共に気軽に楽しめる作品で、コーヒーブレイクなどにぴったりです。



収録情報
 1: 夜の静寂の中で(In The Still Of The Night)
 2: 私にとっては大丈夫(It’s All Right With Me)
 3: 愛を売る(Love For Sale)
 4: そういったことの一つ(Just One Of Those Things)
 5: 君に夢中(I’ve Got You Under My Skin)
 6:別れを告げるたびに(Every Time We Say Goodbye)
 7: 夜と昼(Night And Day)
 8: 愛しやすい(Easy To Love)
 9: なぜ行儀よくできないのか(Why Can’t You Behave)
 10: パリが大好き(I Love Paris)
 11: あなたに集中します(I Concentrate On You)
 12: それは愛らしい(It’s De-Lovely)



パーソネル
 Oscar Petersonオスカー・ピーターソン(P)
 Ray Brownレイ・ブラウン(B)
 Ed Thigpenエド・シグペン(DS)
1959年7、8月シカゴにて録音

オスカー・ピーターソンによる、コール・ポーター作品集。かなり前の作品でもあるが、音質は良いと思います、“鍵盤の皇帝”と言われたオスカー・ピーターソンがお馴染みのトリオで、ミュージカルや映画音楽のジャンルで数多くのスタンダード・ナンバーを生み出した偉大な作曲家コール・ポーターのナンバーを、煌びやかな演奏で聴かせる。
ピーターソンがコール・ポーターの作品に取り組んだ作品は、52 年に録音されたレイ・ブラウン、バーニー・ケッセルとのトリオによる作品に続き、これが、2 作目。本作はギターのバーニー・ケッセルから、ドラムのエド・シグペンへと、楽器編成、メンバーがチェンジし黄金トリオと言われる状態になって行った。この辺りでいわゆるモダンなピアノ・トリオによるピーターソンの可憐なフレーズが粋に響く。
それとピーターソン愛用のベーゼンドルファーの魔法とも言える、現存する最古のピアノメーカーであるベーゼンドルファー社は、創業から200年近く経った現在も、オーストリアの職人たちが経験とノウハウを積み重ねながら世界中に最高のピアノを届けています。そしてその熟練の技は今もなお世代を超えて受け継がれているのです。ブラボー!

相変わらず接続ケーブルのメンテナンスも一年に一度くらは清掃も必要ですのでこの際全てのケーブルの清掃を行う。最近日課の如く聴くJ.S.バッハ:インヴェンションの検証。

2025年01月18日 | J.S.バッハ制作音楽

前回スピーカーケーブルのソケット等の部分をピカールで清掃したが、以前購入した和光テクニカル(株)のチタン オーディオ オイル を探した、このオイルの特徴はよく磨き後に接続端子は綺麗なようでも、酸化皮膜がいつのり間にか出来てしまい接触抵抗が増えるので、以前購入後余り使わないで此のオイルを使用したことを思い出し物臭故置き忘れた様である。

今回テストを含み同様な状態になるかを確かめる意味も含め接点回復剤の変わりにチタン オーディオ オイル を使用したのである。兎に角このオーディオ関係に関する部品並びにメンテナンス器具についてはオカルト的な事も多いのだが、少しても音質向上するのであれば、しかも安価に出来る商品は試したくもなる。



筆者の接続ケーブルの金具はロジウムメッキ品が多く使用するが、音質的にはエッジの効いた音が特徴ですが、金メッキとくらべて効果がピーキーで使い所の難しいマテリアルでもありますが筆者仕様のスピーカーユニットが古いタイプの物を使用するには特に高い音については、金メッキより具合良く試聴出来ましたので全てロジウムメッキの接続金具を使っています。
勿論今回はパワーアンプ等の真空管のソケット部分並びにRCAケーブル部分も、よく磨きチタン オーディオ オイルを綿棒で薄く塗布してセットした、と言うのは前回取り付け後より1日経過後が音質は音源に近付いた様に感じたので、注意深く接続部分を点検しながら修復した、労力で済ませるアップグレードは貧困老人でも出来る事である。

現在部屋に放置しているスピーカーはKEF Q300、LS3/5a、SPENDOR SP3/1P、Fyne Audio F500と何故か全て欧州製ではあるがメインのTANNOYと合わせ5セットあるが一番古いIIILZ Monitor Goldの音には敵わない様である、それには定期的なメンテは必要でもあり重要なポイントである。

朝から接続部分を丁重に磨きオーディオ オイルを塗布したが既に3時間以上経過し昼食になってしまった。



簡便な昼食後の珈琲を飲みながら、YouTube配信を見て驚くはフジテレビは東京の表参道駅近くに地獄絵図をモチーフにした巨大な看板を掲示しましたそうだ。

正月早々この看板には、閻魔や鬼、罪人などが描かれており、テレビがお隣(韓国)の地獄でも視聴できるというコンセプトでした。しかし、この看板のデザインはその悪趣味さや韓国の民族衣装を思わせる要素から、ネット上で大いに批判されました。
考え様には今フジテレビが非難を浴びる(元SMAPの中居正広)制裁図の様に思えるのは筆者だけなのであろうか?勿論民法放送局ではあるが、それ以前に公共の電波を使い報道しているキー局としての立場は如何なものであろう、一刻も早い解体が必要であろう。まあフジテレビ以外の局も同様だはあるが、HNK含めテレビ局は全て解体で正解であろう。全く自虐的な図柄でもある。

この様な有様では、国民はマスコミから益々逃げ出すのであろう、日本国民もまともな報道は信用しなくなる事は恐ろしい事である。またフジテレビ港浩一社長が記者会見後明治安田生命や日本生命、トヨタ自動車、NTT東日本が自社のコマーシャルの差し止めや差し替えを相次いで明らかにしたそうです。
此れで一つの大手マスゴミが衰退もしくはオーナー交代等で本来の忖度の二文字を使わない公平な報道事業の正当化が行われば、嘘のないマトモな政治家が多くなるのでは無いかとも思い次第である。



《インヴェンション》と《シンフォニア》という2つの曲集は・・・バッハが序文に明記しているように・・・「正しい手引き」という教育的目的で成立した。

J.S.バッハの『2声のインヴェンションと3声のシンフォニア』は、難しいバッハの曲の中でも比較的初心者向けということで、ピアノを習っている人が必ず挑戦する曲です。そう様な事もあり基本は大切でもあり、2声のインヴェンションも好きでもあり最近の日課のように聴き初めに流すことが多い。今も初心者の練習に使われるこの曲を、息子の教育のために作りました。1720年、長男フリーデマンが9歳になった頃から、5、6年かけて1冊の楽譜帳を編んでいったのですが、それが『フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集』です。

そう様な背景も伴うこの曲を筆者は曲を聴く前に午後から早速試聴したが、メンテナンス以降と比べ音源が近付いた印象が強い、最近は音楽の聴き始めはJ.S.バッハ:2声のインヴェンションを流してからたの曲に進む事が日課の様になっている。粗毎日の日課言え全曲は聴かない事が多いが、気分に合わせピアノ演奏とチェンバロ演奏と交互に楽しむ場合が多い。



今回は先ずはチェンバロ演奏から述べます。筆者が思うに現代のバロック音楽の愛好家はメンデルスゾーンとワンダ・ランドフスカに感謝しないといけない、 驚くべきことに音源は残されている。 この演奏が後世のチェンバロ奏者の源だと思うと感慨深い。
ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska、1879-1959)は、ポーランド出身のチェンバロ奏者、ピアニスト。ランドフスカは4歳のころからピアノを始め、ワルシャワ音楽院に進学しピアノの勉強を続け、13歳の時にバッハの作品を連ねたリサイタルでデビューした。
後にチェンバロに関心を持つようになり、やがてチェンバロの復活と普及に力を注ぐことになる。24歳になった1903年にチェンバリストとしてデビュー。1904年にはチェンバロによるバッハ演奏会を開き、以後チェンバロでのバッハ演奏のスペシャリストとして名を挙げることとなる。まさに忘れられた楽器となっていたチェンバロを20世紀に復活させた功労者である。
ドイツ軍による強奪によりアメリカに疎開する、ランドフスカとレストウは、1941年12月7日にアメリカに到着しますが、移民受付のエリス島には、当時、すでに数千人の日本人が抑留されており、座る場所を探すのも困難な状態で2日間が経過。しかし到着の遅れを心配したニューヨークの知人が関係者たちの署名を集めて当局に連絡したために手続きが開始、煩雑な審議と、さらに1人500ドルの保証金を預けることでようやく入国が許可され、ニューヨークに居を構えることとなります。
1942年、ランドフスカは、1年半に及ぶ逃避行の疲れも感じさせない勢いで演奏に復帰、入国2か月後の2月21日にはニューヨークのタウン・ホールでバッハのゴルトベルク変奏曲でリサイタルを開き、作曲家で批評家のヴァージル・トムソンが激賞するなど大きな成功を収めます。



ランドフスカのソフトはいろいろ多岐に渡り多くありますが、筆者が思うは此のワンダ・ランドフスカの芸術(24CD)のセットで粗全て賄える様である。
この24枚組には、1923年10月29日(44歳)、ラッパ吹込みのモーツァルト「トルコ行進曲」から1959年(80歳)に亡くなる直前に録られたバッハの「3声のインヴェンション」まで、彼女の録音を36年間にわたって幅広く収めており、戦前のヨーロッパでのセッション録音や、戦中戦後のアメリカでのセッション録音とライヴ録音により、彼女の芸術にとことん浸る事が出来ました。

1954年、ニューヨークでラスト・リサイタル。その後も亡くなる半年前までレコーディングや教育活動などは継続。同年、RCAビクターの平均律クラヴィア曲集第2巻の録音を完成。2声のインヴェンションとシンフォニアを録音とある。
 [CD20]
 1.バッハ 15の2声のインヴェンション BWV 772-786
  Recorded on 1954-1955
 2.15の3声のインヴェンション(シンフォニア) BWV 787-801
  Recorded on 1958-1959  
 3.カプリッチョ「最愛の兄の旅立に寄せて」 BWV 992
  ecorded on 11 & 12 September 1957  
 4.パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
  Recorded on 4 &5 February 1957
 5.幻想曲 ハ短調 BWV 919
  Recorded on 2 May 1946
  
当時忘れられていた楽器チェンバロ、を蘇生させたランドフスカのバッハ・アルバム。60歳代後半から80歳にかけての録音。ここに聴くチェンバロの音色は、67年前の演奏で当時はモノーラルで録音機材も悪く音質は悪くメタリックで奇妙な感じがするが、それでもランドフスカの演奏は、活き活きとしていて未だ新鮮に聴こえる。以前と比べ聞き取りやすく感じる、この程度に鳴れば充分堪能できると思います。



続いてピアノ演奏では、ドイツの女流ピアニスト、ディナ・ウゴルスカヤ(Dina Ugorskaja)2019年9月17日、がんで亡くなった。46歳だった。父親はピアニストのアナトール・ウゴルスキ。母親のマヤ・エリクはシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のソビエト初演で朗読を担当した音楽学者。1973年、父親が活動していたソビエト時代のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルク)で生まれた。ウゴルスキは1982年から1990年までレニングラード音楽院の教授を務めた。父親からピアノの手ほどきを受けた後、1980年からレニングラード音楽院に所属する特別音楽学校で学んだ。7歳でレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団フィルと共演して注目を集めた。しかし、1980年後半からの体制改革運動「ペレストロイカ」の流れの中でソビエトでは反ユダヤ主義的な動きが表面化。脅威がウゴルスキと家族に及んできたことから、1990年に一家でドイツ・ベルリンに亡命した。
亡命後、ハンス・アイスラー音楽大学に進み、その後、デトモルト音楽大学へ。そのまま大学に残り、2002年から2007年まで講師を務めた。その後、ソロ活動のかたわら、2016/17シーズンからウィーン国立音楽演劇大学で、亡くなるまでピアノ科の教授を務めていた。



それと後一人はディーナ・ウゴルスカヤ(P)J.S.バッハ:2声のインヴェンション、ショパン:24の前奏曲を交互に聴く、このアルバムの特徴はショパンの演奏もあり随分楽しめる事間違い無い。一粒で二度美味しいとは此のことでもある。

《曲目》
 J.S.バッハ:2声のインヴェンション BWV.772-786
https://www.youtube.com/watch?v=rO-8gAjE3Pc
 ショパン:24の前奏曲 Op.28
《演奏》
 ディーナ・ウゴルスカヤ(ピアノ)
 使用楽器:ベヒシュタイン D-280
《録音》
 2004年3月
 デトモルト(ドイツ)
 Bach & Chopin
 Dina Ugorskaja
バッハのインヴェンションとショパンのプレリュードを組み合わせた稀少盤がC'Aviからリリース!
ロシアの名ピアニスト、アナトール・ウゴルスキの娘であり、自身も国際的なコンサート・ピアニストとして活動したディーナ・ウゴルスカヤ。
バッハのインヴェンションは、残念ながら未だ単なる練習曲と見なされていますが、特に2声のインヴェンションは信じられないほど洗練された豊富なアイディアのおかげで、ウゴルスカヤのことを子どものころからずっと魅了していたといいます。そして対照的に、音楽性と技術の両面で、ピアノ音楽でもっとも挑戦的な曲集の1つであるショパンのプレリュード。その深い感受性と冷静なパフォーマンスから、「ピアノの哲学者(philosopher at the piano)」と呼ばれたウゴルスカヤが、バッハの率直さとショパンの複雑さを見事に対比させた名盤の1つです。

此の様なコメントも目を引きました(1959年に彼女が亡くなったとき、RCAビクターが追悼アルバムを出し、私は彼女はチェンバロの女神であり、一人でチェンバロへの関心を復活させ、それを主流の楽器にした女性です。彼女が終わったところで、ラルフ・カークトリック、シルビア・マーロウ、その他の数名がランドフスカに感化され、彼女の足跡をたどっていましたが、ランドフスカはエベレスト、他の山はブルーリッジ山脈程度と言われ、ほぼ常識でした。)

何年も変わったのは、ランドフスカの演奏や素晴らしいレコード(不思議なことに、どれもステレオではなかった!)ではなく、クラシック音楽業界のチェンバロに対する姿勢だった。奏者の一部)が、ライプツィヒにあるヘルムート・ヴァルヒャが自分の小さなゼイゼイ音のオルガンでバッハの曲を演奏していることを賞賛していた時代に、私たち、ランドフスカが使っていたのは劣化した楽器、つまりグランドピアノのように作られた重いフレームのチェンバロで、移動中に視察彼女の第二次大戦前のバッハとスカルラッティの録音を絶賛したBHハギンのような見解家でさえ、監視のプレイエルでの彼女の「無意味な反省音」に苦悶の不満を漏らした。
クープランとバッハの時代には確かに 8 フィートと 12 フィートの巨大なフランス製のチェンバロがあり、バッハ自身もライプツィヒの外へ時々外出した際にこれらの楽器のいくつかを(喜んで) 演奏していたと言われる。ブラボー!

J.S.バッハ:6 Cello Suites フランスのチェリスト、アンドレ・レヴィ(Andre Levy)を聴く。

2025年01月13日 | バロック音楽・オーディオ一般

この写真は現在筆者が愛用するTANNOYのIIILZ Monitor Goldユニットの写真で遊んで見ました写真の工夫でアンテーク風に見えませんか・・・?。

本日も早朝モジャ君は元気よく6時から遠吠えで目覚め散歩に出かける、外は非常に寒く感じる、元気に何時もの散歩コースを小走りに駆け回る、異常な寒さを感じながら散歩を続ければ、何やら白いものが落ちて来るのを感じた、小雪である早朝ラジオ体操をしている皆さんも早々体操終了後は急いで帰宅する風景を見る、確かに小雪舞い散る景色は何故か寂しそうにも感じた。
帰宅後暖かいシャワーを浴びモジャ君をドライヤーで濡れた毛を乾かし寛ぐ、朝の珈琲を挽きドリップコーヒーを淹れる。淹れたての珈琲は実に美味い!

勿論TANNOYと言えばガイ・R・ファウンテン氏が1953年に設計したコーナー型バックロードホーンシステムのTANNOY Autographはマニアの夢であり目標でもあったが設置する部屋も考慮しなければならず、夢の世界であった!



正直昔ステレオサウンド誌で見た内容はあまりよくわからなかったけど、その広告ページは毎号、詩情溢れる只ならぬ気配を発していた。扱っている機器の多くはMarantz#7や#9、TANNOY GRF、TNNOY Autograph(レッドやシルバーユニット) などで筆者にはまるで縁のないと思っていたが。今は神戸 ガス燈のアメリカTNNOYに思いを寄せている。かなり頑丈な箱に入れた形式をとっている形状にはイギリスTNNOYとは違う考察である。

それから自分の部屋に籠る。最近はオーディオ機器の興味は確かに薄れている、でも以前から興味深く一度ゆっくり覗いてみようと探ってみた、35年以上前から神戸元町にてヴィンテージオーディオとジャズレコードを輸入販売している専門店「ガス燈」のHPの音楽ソースである。

オーディオ機器は、それにはスレットもあり、頭が逝かれた信者が多いダメスピーカー タンノイ オートグラフ・・・。このコメントは何故かよく分かる様な気がする、確かにマニアは一種、頭が逝かれた信者は思い当たる、熱病に犯された異常者であろう、これは一種、惚れた弱みのような気持ちでもあろう・・・、しかもその辺りは大人である限り自分のできる範囲と自制する気持ちであろう、少なくとも残り短い人生になって、此れ以上は入ってはいけない世界であろうしかしじっくりと聴けばそこには現在の録音には無い重厚な響きが香る様だ。

しかし続きがある、オートグラフをステレオで使うのが間違い。音がボケるに決まってる。本来の使い方である、良質の蓄音機と思いモノラルで使用が良い。五味康佑さんのとりこになった『モニター・レッド』をオートグラフかGRFの箱に入れて、管球アンプでしみじみと聴けば、そこにタンノイの音の故郷が聴こえるのだろうか。タンノイのお話タンノイの音は、音それ自体にタンノイが有るわけではない。まずせせらぎの音やバイオリンの音が先に有って、それを録音したものを、タンノイのスピーカーで再生すると、ほんのりタンノイの音が加味されて「タンノイの音は良いね」となる。まあ色々と言われるタンノイの音でもあり、その全ては15吋のシルバー、レットと言ったヴィンテージ物の音質であった。
誠に残念に思うは筆者はシルバー、レットは未だ聴いたこともないのでMonitor Goldとどの様に違うのか全く解らないのが事実である。



しかし思えば確かに筆者も納得はするが頭が逝かれた信者かも知れない。
後は筆者の興味はアメリカタンノイの魅力・・・でもある。 以下の文言があり引用する。
「アメリカ東海岸のサウンドを希求する人間にとっては、見逃すことのできない存在であろう。 1954年ロングアイランド(ニューヨーク州)に設立されたるアメリカタンノイ社は、1973年まで数々の魅力あるスピーカーを産みつづけた。 日本上陸が遅れたが為に、当時殆どの人々は関心をもつことなく(出合いなく)現在に至っているのだが・・・、 オートグラフプロフェッショナル(15インチレッド各2入り)、インペリアル(15インチレッド各2入り)を頂点として、ボザーク、KLHの音色に魅了されたる人間にとっては、アメリカタンノイのサウンドにすばやく反応されることでしょう。 オートグラフプロは別として、他は英国タンノイに比べ、低域は締りぎみで重く暗く(陰けいが深く)その上箱の響きが押えぎみのため、 JAZZが”いき”に鳴るのである。 中域から高域にかけては、タンノイユニットの特徴である金属的な肌合を有しているが故に、管楽器、ピアノがイメージ良く且上品に鳴り響く。

 ヨーロッパへの希求性とヨーロッパからの遠心性がアメリカ文明の宿命であるかのようにして産まれたのが、アメリカタンノイ群なのであろう。 透徹されたる英国人の知性が、アメリカという大陸で華(はな)開いたる珍しき逸品と言えよう。 特に、スタンダードオートグラフ(レッド入り)チューダーオートグラフ(レッド入り)、オートグラフプロ(レッド各2入り)、インペリアル(レッド各2入り)の4種類は一聴に値するしろものであるばかりか、イギリスタンノイ黄金の三兄弟に無い魅力が内包されていることに、タンノイファン及びタンノイでJAZZを鳴らしてみたいと考えているファンは、一聴に値する魅力あるスピーカーと言えよう。

通説としてタンノイの弱点と言われてきたピアノ、管楽器、打楽器が気品を失うことなく鳴り切るアメリカタンノイの魅力は、幅広い音楽を楽しむ人間にとって救いの神器となろう。 特に1950~60年代に創られたる名器シルバー、レッド入り大型アメリカタンノイは、豊かな国(1950~60年代)アメリカ人の要望を満足させた英国人の叡知の作であるだけでなく、後生の金字塔となり多くの音楽ファンを楽しませ続けるであろう。 1950年代にLP名盤が続出したごとく、1950年代に歴史的名スピーカー群が誕生した意味は大きい。 オートグラフプロ(レッド入り)及びインペリアル(レッド入り)が無冠の王者ならば・・・、スタンダードオートグラフ(レッド入り)、チューダーオートグラフ(レッド入り)は、流たくの清士であろう。 高貴を弑(しい)し、美を屠(と)り、理想を犯す、荒涼たる今の世にあって、黄金期のタンノイシルバー、レッドを搭載した大型スピーカーでの音楽鑑賞は比類なき精神の高揚となろう。 JAZZをここまで物語り表現しうるスピーカーはそう多くはない。 初期の上質なるマランツ#7と#9とのコンビで聴く大型タンノイ群は、宝珠(ほうしゅ)に似て、燃えたる美の王宮なり、遠来の王を迎えることの出来る人は、至上の歓喜を得ることのできる稀世の人となりえよう。 タンノイの固定観念に縛られている輩、行動を興さない輩には未来のイヴとの出合いはない。
いろいろなる名盤(名演)が誕生したのが50年以上前である。 例えば、アンドレ・レヴィのバッハ無伴奏ソナタ(LUMEN / 3LP) パリのモーツアルト(仏PATHE / 7LP) TRIO OF FRANCE(仏PRETORIA / 1LP)



ジョルジェ・エネスクのバッハ無伴奏ソナタ(CONTINENTAL / 3LP)この辺りは一度じっくり試聴し慕ってみたい演奏家でもある。 イヴォンヌ・ルフェビュールのバッハ(仏FBLP / 1LP)を タンノイ レッド、シルバーが登場したのも50年前である・・・。ここに真理があり符合する。 名器が真の名盤と連関するのは、人間の社会、思想、芸術、文化の奥深いところの根源的なるもの、 本質的なるものを捉え、それを明日に照らしだそうとする信念、哲学が内在しているが故に、 現代の新奇なものを越えて、なお魅力的なのであろう。 軽薄な時代が終焉し、精神性のある社会が、一刻も早く到来することを希求してやまぬ。」

以上のコメントがあり筆者などはアンドレ・レヴィは知らないフランスのチェロ演奏者でもあり、パブロ・カザルス、ヤーノシュ・シュタルケル、ピエール・フルニエと比べいかがであろうか?是非聴きたくなった。



しかし今回は筆者所有のIIILZ Monitor Goldの接続部分の清掃を行う、勿論ピカールで丁寧に綿棒がぐろずむのが無くなるまで丁寧に磨き揚げた、終了後接点回復剤を塗布し再度繋ぎ音出しをする、気分的に若干キレが増した様にも感じた。この部分はIIILZの接続部分は塩梅が無くトラブルの多い箇所でもあり、ピカールで丹念に磨くは初めての試みでもある。まだまだこの先愛用したい10吋のIIILZ Monitor Goldユニットは筆者のお宝でもあり現在程良く鳴り続けているところでもある。今出来る対応は接続部分の繋がりを良くする事でしか無い。

現在の愛用するTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetで聴くチェロのブーミー音は実にリアルに聴ける、昔からJ.S.バッハのヴァイオリン曲よりチェロ曲が好んで聴き、出会った事が原因であろうか、今思えばこの様な音を聴くにはAXIOM80の箱使用しなければ再現不可能かも知れない。



話は戻るが、アンドレ・レヴィ(Andre Levy)フランスの男性チェリスト。1894年生まれ。1982年没。
パリ出身。パリ音楽院で室内楽をカミーユ・シュヴィヤールに、チェロをジュール・ロエベに学び、1912年に最高位を取得して卒業。第二次世界大戦前は、パリのいくつかの小さな音楽院で教鞭をとった。終戦後はパリ・エコール・ノルマル音楽院でチェロのクラスを教える。1952年、ジュヌヴィエーヴ・ジョイ(ピアノ)、ジャンヌ・ゴーティエ(ヴァイオリン)とピアノ・トリオ「トリオ・ド・フランス」を結成する。1970年代まで指導と演奏活動を精力的に行った。彼は 1970 年代まで積極的に指導と演奏を続けました。



CDは6 Cello Suites : Andre Levy (2枚組)
収録内容
 第1番 ト長調 BWV1007
 第4番 変ホ長調 BWV1010
 第5番 ハ短調 BWV1011
 第3番 ハ長調 BWV1009
 第2番 ニ短調 BWV1008
 第6番 ニ長調 BWV1012

 演奏者:アンドレ・レヴィ(チェロ)
 録音:1960年

確かにTANNOYのIIILZ Monitor Goldユニットで聴けば、雄弁に歌い上げるレヴィの個性的な歌い回しによるJ.S.バッハは十分満足出来る。取り分け濃厚な味わいと香り高き音色に酔いしれることが出来ました。TANNOYが良いのかアンドレ・レヴィの演奏も相当に良いのである。
確かに昔TANNOYのオリジナル箱で聴く頃と違い程よい大きさのGOODMANS AXIOM 80の箱にIIILZ Monitor Goldに移植した後の音楽の感じ方の違いはオリジナルを勝る様にも感じ今は前のオリジナルの箱での試聴は考えられない。



1950年に録音された3枚組LPの復刻版でありモノーラルである。速い舞曲が長く求める心力の強いフレージングが特徴的で、どの曲にも内的な芯の強さがうかがえる。歌いまわしや強弱のつけ方にいくつかの独特なものがあるが、全体的に颯爽として流れるような演奏です。聴き始めこの演奏に心地よさも感じる、むやみに重くなりすぎない落ち着いた演奏も良好です。録音も想像以上に優れている、切れ味の良い最近の演奏と相対と時代を感じるが、それは一時時代遅れという意味ではない。



上記写真は別途に180グラム重量盤のレコードも販売している模様である。現在取り寄せは出来なく中古では価格も高額である。

「バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲」[グリーンドア音楽出版]を聴く。
グリーンドア・レーベルはまず朝比奈隆のLP期名演のCD復刻でスタート、2003年以降はSPやLP復刻のシリーズを開始、朝比奈のシリーズも大フィルとのヨーロッパ公演をシリーズで発売するなど、旺盛なリリースを続けている。


フランスのチェリストでエウィット四重奏団のメンバーだったアンドレ・レヴィ(1894~1982)がLP初期の1950年頃に「LUMEN」なるレーベルに録音した、J・S・バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲である。このLPは最も高価な初期LPからの復刻だそうですが、オリジナル音源そのものの録音が良かったのと、復刻が丁寧になされているようで音質面での不満はほとんど感じさせない。また現在と作品と比較してもスタイルの古さを感じさせない所は流石でもあり、改めてチェロリストを知ったことに感謝する。次にフランスのピアニストヴラド・ペルルミュテールVlado Perlemuterもじっくり堪能したいピアニストでもある。ブラボー!

バッハ:インヴェンションの音楽で聴ける、あの特有の装飾音・装飾記号とは・・・についての考察

2025年01月05日 | J.S.バッハ制作音楽

今年はグスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)没後十年になった。筆者が好きでチェンバロ音楽を最初に聴いた鍵盤奏者でもあり指揮者でもある、バロックファンにもお馴染みの演奏者である。鍵盤奏者、指揮者。

1928年5月30日生まれ。オランダ出身。バーゼル・スコラカントルムでE・ミューラーに師事。ウィーン音楽アカデミーでスワロフスキーに指揮を学ぶ。卒業後教鞭をとり、コープマンなどを育てている。55年レオンハルト合奏団を組織。古楽演奏の先駆者として、アーノンクールやクイケン兄弟とともに、バッハのカンタータ全集の録音をはじめとする革新的な活躍を続ける。その功績としてオランダ政府からベアトリクス女王オラニェ名誉メダル、ベルギー政府からベルギー王冠賞などを授けられる。2012年1月16日、アムステルダムの自宅にて83歳で死去。すでに十二年の歳月が流れすぐに命日でもある・・・



筆者が20歳代初め聴いたバロック音楽の魅力とは、何であろうか?何故バロック音楽に興味を持ったのであろうか等考えたが、どうやらそれはこの(バッハ)時代の演奏によるものかもしれない、現在で言われる曲の装飾音にもよるのであろう。



毎日の日課の早朝散歩は日が昇るは徐々に早くなっている、モジャ君は早朝散歩は大好きであるが、我が家の今では電気式毛布の上に鎮座し暖かくしている、この犬は冬は強いはずなのに・・・不思議である。

バッハ(1685-1750)の「インヴェンションとシンフォニア」は調性順に演奏するのが慣例となっていますが、インベンションとは「創意・工夫」のことを指し、その後もヴィヴァルディの協奏曲集作品8には、『和声と創意の試み』という名称がつけられている。 このようにインベンションとは、バッハが『インベンションとシンフォニア』への序文の中でも触れたように、原義を離れて、探究・発見されるべき曲想、といったほどの意味で使われていると言われている。

またバッハは、1723年に完成した15のインヴェンションと、15のシンフォニアの草稿の表紙に次のような文章を載せています。
Auffrichtige AnleitungAufrichtig  正直な、率直な、誠実なAnleitung 手引き、指導、指示、使用説明書、マニュアルクラヴィーアの愛好者、特に学習熱心な者が、J.S.バッハは「クラヴィーアの愛好者、とくにその学習希望者に、(1)二つの声部をきれいに弾きこなすだけでなく、更に上達したならば、(2)三つのオブリガート声部をも正しく、かつ、手際よく処理し、あわせて同時にインヴェンツィオをたんに得るだけでなく、それをたくみに展開し、そしてとりわけカンタービレの奏法をしっかりと身につけ、しかもそのかたわら作曲への強い関心をも養うための明確な方法を教示するところの、正しい手引き。アンハルト=ケーテン侯宮廷楽長ヨハン・ゼバスティアン・バッハ これを完成す。1723年。」

と表題にしている、バッハは完成した曲集の扉に自らこのようにしたためた。《インヴェンション》と《シンフォニア》は、長男フリーデマンのレッスン用の小品を集めて改訂したものであり、その成り立ちから既に教程としての性質を持っている。しかし、ここに書かれていることの真意はいったいなんだろうか?

答えは、多分毎日の日課として右手と左手の対話をさせたのではあるまいか、当時のバロック音楽は演奏の仕方工夫をし楽しい演奏を心がけそれが一番の練習だと伝えたのではあるまいか?



上記楽譜はインヴェンションの楽譜でありこの下に現在に仕上げた楽譜でもあるが、学生時代には教えて頂いた事のない記号が明記されている!

例えばJ.S. Bach: Inventions and Sinfonias, BWV.772~786, BWV.787~801のnventionsの楽譜をのぞいてみよう。上記に示したように装飾音が使われた楽譜であり、楽譜を見やすくするためにプラルトリラーとモルデント記号を入れて仕上げた楽譜でもある。



筆者がバロック時代の音楽に興味を抱き未だ聴き続けるには、この時代特有の装飾音であろう、初めて聴くこの音色は適当に付けられた装飾音だと思ったが、それにはバロック時代特有のルールがあったのです。

以下の様に解説しているのです「装飾音や記号をつかう主な理由は、飾りの音が入ることで演奏やそのフレーズ自体をよりきらびやかにするためです。 装飾音のことを、英語では「Grace Note(グレースノート)」と呼び、Graceには「飾る」という意味以外にも「優美」や「優雅」という意味もあることからもその音が伺えます。 ただ、その細かいニュアンスを、音符で忠実に書き込んでしまうと楽譜がとても見にくくなってしまいます。 そのため、音符や記号を使って五線の中や周りに表記します。 装飾音がついている大きな音符のことを親音符(親音)と呼びます」
より細かい音のニュアンスを具体的に表すために使われる音符や記号です。種類が多岐に渡り、古い時代では作者によって多様な解釈がありました。

プラルトリラーとモルデント



音符の上のギザギザ波打った記号がプラルトリラー(Pralltriller)です。
この記号がつけられた音符は元の音、2度上(長2度もしくは短2度)の音、元の音の順に演奏します。



このようにプラルトリラーに#やb、ナチュラルなどの変化記号がつく場合があります。
その場合は元の音ではなく、プラルトリラーによって付加される音 = 2度上の音を変化記号に則って演奏します。



モルデント(Mordent)はプラルトリラー記号に縦線を加えた記号です。
プラルトリラーが2度上の音と元の音を行き来するのに対し、モルデントは2度下の音とを行き来します。

トリル(trill)



「ド」と、その一つ上の音「レ」をすばやく交互に演奏します。
「ドレドレ」と弾くか「レドレド」と弾くかは、その曲が作られた年代や作曲者または演奏者の表現によって変わりますが、トリルの終わりはどちらも「ド」になります。

以上の様な記号を感じバッハの演奏を聴けばまた一歩バッハに近づく様な気がするは筆者だけであろうか・・・
また、バッハは音楽家を育てるのに、両手を使った鍵盤音楽の演奏技術を身に付けさせることから始めた。手の運動と結びつけることで、より自然な音楽性を習得するためである。ここで用いられるのはしかし、バロック時代特有の通奏低音、すなわち低音に対して適切な和音を右手で補充するという書法ではない。すべての声部が掛け替えのない「オブリガート」パートであり、それぞれを「カンタービレ」に演奏すべく書かれている。そして独立した各声部は、和声の中でひとつに溶け合う。厳格対位法とカンタービレ、旋律と和声。一見すると簡明な2声および3声の作品群は、実は「多様なものの統一」という16-17世紀の大きな美学的命題を負っているのだ。
《インヴェンション》と《シンフォニア》はその範例として書かれており、バッハの持てる鍵盤音楽のきわめて多様な様式を見ることができる。いってみればバッハの音楽世界の縮図である様に感じたのである。



装飾音は良く見ると楽譜には明確に示してもあり、バロック時代の雰囲気を奏でる魅力ある記号だったのかもしれない。その様な事を思い好きなレオンハルトのインベンションを改めて楽しむ事もオツな気分でもある。

J.S.バッハのインヴェンションとシンフォニア Inventionen und Sinfonien(BWV 772-801)は、クラヴィーアのための曲集です。「インヴェンション」は二声部、「シンフォニア」は三声部で作られているので、2声のインヴェンションと3声のシンフォニアと表記されることもあります。

J.S.Bach:インヴェンションとシンフォニア(Inventions and Sinfonias)        
     BWV.772~786, BWV.787~801 
 1.インヴェンション第1番ハ長調 BWV 772
 2.インヴェンション第2番ハ短調 BWV 773
 3.インヴェンション第3番ニ長調 BWV 774
 4.インヴェンション第4番ニ短調 BWV 775
 5.インヴェンション第5番変ホ長調 BWV 776
 6.インヴェンション第6番ホ長調 BWV 777
 7.インヴェンション第7番ホ短調 BWV 778
 8.インヴェンション第8番ヘ長調 BWV 779
 9.インヴェンション第9番ヘ短調 BWV 780
 10.インヴェンション第10番ト長調 BWV 781
 11.インヴェンション第11番ト短調 BWV 782
 12.インヴェンション第12番イ長調 BWV 783
 13.インヴェンション第13番イ短調 BWV 784
 14.インヴェンション第14番変ロ長調 BWV 785
 15.インヴェンション第15番ロ短調 BWV 786



 16.シンフォニア第1番ハ長調 BWV 787
 17.シンフォニア第2番ハ短調 BWV 788
 18.シンフォニア第3番ニ長調 BWV 789
 19.シンフォニア第4番ニ短調 BWV 790
 20.シンフォニア第5番変ホ長調 BWV 791
 21.シンフォニア第6番ホ長調 BWV 792
 22.シンフォニア第7番ホ短調 BWV 793
 23.シンフォニア第8番ヘ長調 BWV 794
 24.シンフォニア第9番ヘ短調 BWV 795
 25.シンフォニア第10番ト長調 BWV 796
 26.シンフォニア第11番ト短調 BWV 797
 27.シンフォニア第12番イ長調 BWV 798
 28.シンフォニア第13番イ短調 BWV 799
 29.シンフォニア第14番変ロ長調 BWV 800
 30.シンフォニア第15番ロ短調 BWV 801
演奏:グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt)1974年



レオンハルトはひとつひとつの短い曲に豊かなアーティキュレーションと控えめだが自在なフレージングで個性を与え、全体的にも精彩と変化に富んだ曲集に仕上げている。また良く聴いているとレジスターの使い分けも多彩で、チェンバロの機能と音色の魅力を巧みに引き出しているところにも斬新さがある。
鍵盤楽器の学習者にとってバッハのインヴェンションとシンフォニアは避けて通れない、言わば必須の練習曲だが、レオンハルトの演奏はそうした教則本をイメージさせるような陳腐さや退屈さから一切解放された、音楽としての価値を改めて問い直し、最高の教材は同時に最高の芸術作品でなければならないというバッハ自身の哲学を実践した演奏と言えるだろう。

特にシンフォニアになると各声部を注意深く感知させるだけでなく、装飾音の扱いにもさまざまな工夫が聴かれるし、時には大胆とも思える拍内でのリズムのずらしやハーモニーを崩して弾く方法を試みて、チェンバロ特有の表現力の可能性を追究すると共に、この曲集の持つ音楽的な高みを明らかにしている。



最近よく聴く先日ジャンパーケーブルを製作し現在もそのまま視聴するが、FYNE AudioF500の音は確かに中高音が素直で、音ではなく音楽を聴かせるタイプのスピーカーでもあり大変聴きやすい音がする。最近よく聴くイタリアの巨匠鍵盤奏者ロレンツォ・ギエルミの奏でるフランス組曲などの演奏は実に華々しいチェンバロ演奏は好きで聴くことが多い。嬉しい事に後日第4番~第6番が発売された事を知った。

正月早々安価な金属磨き(ピカール)で丁寧にスピーカーケーブルおよび取り付け器具回り等、勿論愛機TANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80 Cabinetも同時に磨いた、今までは無水アルコール等にてメンテナンスしていたがピカールが一番汚れが落とせる湯である、各取り付け金具は綿棒にて念入りに磨いたが、最初は黒い汚れが付着し2〜3回と続け黒い汚れが綿棒に付かなくなった、意外と何度も磨きをしなければならないがその後再び接続したが、音質はクリヤーな感じと相なる訳である、これこそお金をかけないでのグレートアップとしてはお勧めでもある、年一度程はピカールでの清掃が効果的でもある様です。

装飾音の事を理解し現在での演奏は一般的にピアノを用いた演奏をスタンダードとするが、バロック音楽はチェンバロの演奏で楽しみたい、幸いオーディオ愛好家でもありそこそこの音が鳴ればバロック時代の演奏の雰囲気は楽しめる。勿論ピアノ演奏も勿論良いのですが、温かい部屋での上手く調整した音響機器でのバロック音楽を楽しむ事も良い方法でもある、ブラボー!