3月26日
この日の天気は雨の予報で、特に午後からは雨脚が強くなるということでした。午前中に歩けるところまで行き、午後は両親の眠る高槻にお墓参りに行くことにしました。コロナ禍でなんと2年ぶりに両親の墓前にお参りすることになります。
7:56彦根駅スタート
近江鉄道彦根駅からひと駅高宮駅に戻り、8:00から歩きだしました。空はどんよりしていますが、雨はまだ降りだしていません。
昨暮の雪害が目立ちます。昨日も彦根の在住の方から、屋根の瓦も樋も直したいが職人さんが忙しくて手が回らないと言っていたのを思い出しました。
しかも町並みの統一上、樋は銅拭きなので簡単に直せないのだそうです
8:10 高宮の町並み
高宮は多賀大社の入口にあたり、宿場を中心に人々の往来が盛んで賑わっていたようです。宿内には名産「高宮布」を扱う問屋などが軒を連ねていました。
問屋跡 布惣跡
高宮は高級麻布の産出、集散地として栄えていたようです
提灯店
芭蕉の石碑「紙子塚」
芭蕉が小林家に一泊したところ、紙子の汚い僧姿の芭蕉をただの坊さんと間違え
その夜芭蕉は寒さに耐えて詠んだ句が「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」
8:15 本陣跡
門前に高札場、問屋もかねていたようです
由緒ある円照寺(本陣前に明治天皇の宿泊先)
境内には明治天皇ゆかりの「しらん松」があります
8:20 高宮橋(当時のむちん橋)
江戸時代は無賃橋と呼ばれ、彦根藩は増水時に川を渡れなくなるのを防ぐため、橋の費用を広く募らせ設置した橋で、当時はほかの橋は有料でこの橋は無料だったそうです。
高宮橋
法土の一里塚(江戸日本橋より百二十里)
中山道中、一番かわいそうな一里塚標柱でした
産の宮地蔵尊とわずかに残る松並木
9:35石畑の一里塚(江戸日本橋より百二十一里目)
この辺りが高宮宿と愛知川宿の間の宿として発展した
9:40 歌詰橋
平将門は藤原秀郷に成敗され、その首を運ぶ際この橋までくると、将門の首が襲い掛かってきたが、歌を詠んでほしいと頼むと歌に詰まって橋上に落ちたという、ちょっと怖い伝説が残っているようでした
橋を渡っていくと、まもなく愛知川宿に入っていきます
10:00
ぽつりぽつりと雨が降り始め、近江鉄道の愛知川駅に着いたところで、この日の中山道ウォークを切り上げ、近江八幡駅で下車してランチをとったあと、京都経由で大阪高槻の両親のお墓参りをしました。
高槻に着いたのが午後2時、ちょうど雨も止み、コロナで来れなかったことを墓前で詫び、夕方には宿泊先の京都のホテルに到着しました。(歩行歩数:22,742歩)
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