滝番小屋

新城市出沢と鮎滝の近況を紹介、その他雑感を少々。

荒原を訪ねて

2016年12月11日 | 地域

「久しぶりに行ってみるかねえ」
家内の言葉に背中を押され、禄代塚の資料集めにと作手荒原に
出かけて行った。

もう40年ほど前になるが、清岳新城線(地元では田代道と呼んでいた)
の工事で、荒原のチカ子さんに来てもらっていたのを思い出し尋ねた。
六十半ばの気さくそうな男の人が、愛想良く迎えてくれた。
今泉伸夫さんといって、チカさんの次男だそうである。

伸夫さんの話によると、チカさんが昨年亡くなったので、
自分が江戸(東京のことだと思われる)から戻って、
生活しながらあちこち整理しているとのこと。

事情を話すと、伸夫さんたちも、この地域の歴史を残したいと、
彼方此方と調べ、昨年それを『田代(荒原)百話』に纏めた。と言って、
一冊の冊子をいただいた。

過疎化も極まって、荒原に定住しているのは自分だけになった。
携帯は繋がらないが、ネットは出来るので仕事は何とかなるし
自分は此処が好きだから、出来る限りここに住むつもりだ、
禄代塚にも行ったことがあるから、連絡をすれば案内をして
くれるという。
・・世間話に切りはない。お願いをして、お礼を言い、本荒原にまわった。

すっかり荒れ果てていると思いきや、誰か世話をしに通っているのだろう、
田畑は耕作され、周りの草も刈ってあり、里の形態をなしている。
・・おそらく、禄代塚に伝わる泥棒は、本荒原の庄屋の家に入った筈だ。
(荒原は二つの窪に別れていて、伸夫さんの家は吉の口)
それらしい家があったので、とりあえず写真を撮り、帰路についた。

・・温暖化したとはいえ、新城に比べれば作手は寒い。
3~4度は違うだろう。伸夫さんは薪ストーブで暖を取っていた。
『私は絶対にここには住めんわ』
家内に言われる間でもない、医者いらずの健康体と、
田舎を愛し楽しむ心を持つ人・・・、ここに住める人はそうはいない。

コメント
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