七久保の太田幸市さんの長男、浩勝さんから、
『これから先、此処に住む予定もないので、母屋、道場、祈祷所等建物を全て取り壊すことにしました。お不動様は豊橋の観真寺でお祭りしてもらえることになったので、移転することにしました。都合がついたらお参りして下さい』
と連絡があった。
自分の先祖は七久保の出であるし、欣丈さんに頼まれたこともある、是が非でもお送りしなければなるまい。
移転日は10月22日、令和天皇の即位の礼と重なった。この良き日が七久保のお不動様の旅立ちの日となった。
台風20号の接近で前日から荒れた天気となり、道中の崩土を心配しながら七久保に出かけた。10時半、移転先の豊橋仁連木町、観真寺の和尚が来られた時には雨も上がり、薄日が差し始めていた。
精抜きのお経の後、和尚から説明を聞いた。
『波切不動は、弘法大師が船で唐から日本に帰国された際に嵐に遭われ、一心にご祈祷されたところ顕れた不動尊。波は静まり、無事に航海することが出来たと言われている』
観真寺は高野山系の真言宗 醍醐派のお寺で、七久保と同じ波切不動もお祭りしているから、一緒にお祭りをしていただけるとのこと。一旦、精を抜き金剛界に帰っていただき、観真寺にお祭りしてから改めて精入れをするとのこと。
精抜きのお経が済んだ後祭壇から下ろし、お別れに顔を拝ませて貰った。
〘頭には白き蓮華を頂き 額には水波の皺をたたへ 左の眼には天を見守り
右の眼には地を見開き 口には阿吽の二字を含み 両の牙には天地和合と噛みしめ 左の肩には一辮髪を垂れ・・・内心には深く憐れみを垂れ給う。・・〙
まさしくお経通りのお顔だ。お不動様は外観は厳ついが、慈悲深い観音様の心を持つという。移転先の観真寺でも多くの人々を救うことだろう。長い間有難うございました。
曩莫三曼多縛日羅赧 戦拏摩訶路灑拏 薩頗咤也 吽怛羅 咤悍漫
丁寧に丁寧に梱包をし、和尚の車に積み込んだ。いよいよ出発というときになると、空はすっかり晴れ上がり、お不動様を導くように観真寺の方角に虹の橋が懸かった。自分はそれほど信心深くはないのだが自然に合掌をしていた。