5月3日午後、昨年からお世話になっているホテルサンルートさんに到着。
Bチーム140キロは3日18時スタートで、宿泊するのは翌日4日の無論
夕方からなのですが・・着替えと荷物預けをここで快く
引き受けてくださるとっても感じのいいホテルなのです。
今回は使用していない、2階のロビーを使わせていただき
ゆっくりとゼッケン付けやら2箇所エイドでの着替えパッキングが
できました。
写真は、4日の70キロのスタート地点です。
18時スタートまでにかなりの時間あるので、今回から配布された
長州苑瑠璃光寺店横の特設うどんコーナで昼食&夕食兼用で
うどんをいただきました。
同じテーブル、初めてここでお会いした奈良からこられてTさん(51歳)
広島からこられたOさん(60歳)どちらも今回初参加、おじさんは
昨年のリベンジーで、ゼッケン控えてともに完踏を近いあいました。
(完走でなく、完踏であります。山越えは走ること困難なのです)
写真手前がスタート地点&ゴールとなります。
18時スタート。
今回は、気負わずウェッブスタートでもあり、後方から
ゆっくりといきます。キロ6分以上早いスピードでいかないこと。
給水は、必ず30分に1回程度は実施。
スタートしてから防府市内(CP1栄雲荘)折り返しで
スタート地点近くの「山口福祉センター」49.6キロ 23:10に帰ってきて、ここでぐたぐたと着替え
お色直しに時間かかり40分ほど滞在。
ここまで引っ張ってきてくれた兄ちゃんはわずか15分くらいでスタートですやん
トレイルシューズにヘッドライト(昨年の反省でしっかり試走点灯ずみ)装着し
一人は危険なので、大阪から初参加のIさんに密着し出発。
途中、エイド2箇所通過し午前5時すぎにCP2萩城跡85.8キロに到着。
(おじさん少し前トイレ休憩したため、Iさんとはここで離れました。)
ここでまた、お色直し。これまた30分以上ぐたぐたとかかってしまった。
昨年は、ここでリタイアしたためここからは未知の世界。
暑くなりそうなので、日焼け止めたっぷり塗りましたわ。
目指すは「CP3虎ヶ崎・つばきの館」96.9キロ。
このたった10キロがめちゃくちゃきつい。
半島の先っぽまで、明るくなった道沿いを巡礼参りの亡者みたいに
250キロAチーム(制限48時間)の方たちがふらふらしながら向かっている。
この人たちはすでにここまでで、200キロ走ってきてはる
前をふらふらして走ってるお姉さんにファイトと声かけたら
寝てたみたいですやん。はっとしてたもん。
恐るべしAチームです。
CP3について念願のカレーいただきました。
まずは何がなんでもここまできて、カレー食べることがこのマラニックA,Bの方たちの
ランナーの勲章であります。
ここで、さきほど離れたIさんと再会。
またくっついていくことにした。
食べてすぐに出発。つぎはいよいよ最終CP東光寺(105キロ)です。
いっしょに東光寺までたんたんといく予定がアクシデント。
道路の右側を走っていれば、道しるべがあったようなのですが
日陰の左側を走っていたがために、道を間違えてしまい
なんといきすぎ3キロも余分に走ってしまうことに
このころの3キロは30分以上のロスタイム。
寺近くまでくると、だいぶ前に追い越したはずの人が
CPすんで帰ってきてはるんですもん
ショックでしたわ。人のことどっちでもよろしやんと気を持ち直し
いざ、瑠璃光寺ゴールへ向かって戻りです。
ここから、Iさんはピッチあげてもう姿は見えなくなりました。
実はここからが気持ちの切り替えの大事なとこ。
残るとこ35キロ、萩往還道 山越えをどう勝負するか!!
400M上って降りて、600Mの山をまた上って降りてが待ち受けてます。
5時間はゆうにかかるはず。
9時近くを東光寺をでたら、18時ゴールにはのろのろでもとにかく完踏できるので
ゴールありきなら歩きを中心に帰路。
おじさんは、ここまできたらとにかく走れるとこまで走りIさんには
追いつかないが15時までには着きたいと決意
ゆるい上りはほとんどのろまですが走ってあがり
4日、朝6時にスタートしたC70キロチームとすれ違います。
みんなに挨拶しながら、応援をもらい元気をCチームのみなさんから
いただきました。なかには、ハイタッチまでしてもらい
無論おじさんもと。
途中で、挨拶してすれ違った瞬間、女性から「祝い島のときの!!」と
言われ振り返って名前を見たらなんとKさん。
昨年山口祝い島マラソンで同宿し、駅まで車で送ってもらった
お世話になったKさんでした。
ランナー冥利につきます。走っていれば、どこかで再会できるんですから
元気をまたまたもらって、いよいよ最後の板堂峠(600M)から一気に下り。
萩往還の醍醐味砂利と石畳交互の下り。
目標を15時到着はほぼ確実。
若者数人が下りを飛ばし始めたので、ここで加速し、14時30分以内にはいろうと追跡モード。
だんだん、走っているうちに石畳を走るこつがわかってきた。
それは、足を置きにななめから置きにいくとすべったり石にでこぼこに
足をとられぐきっとなりやすくなり危険。
ところが、太ももをあげて上から軽く踏み込んでいくと
坂だから体重がかかる前に、次のステップにいきとーんと
前に飛んでいくような軽いステップで足に負担がかからない
一気に下り残りは若者1人だけとなったが、この若者は後ろを振り返りおじさんをみて
さらに加速し始めた。
一般道にでたら、もう早いこと。いくら追っかけても無理で
あとはとにかく少しでもくっついていくこと。
息がかなりあがって一般道3キロほどゴールまでしんどかった。
最後ゴール直前は、沿道の応援コールで少し元気復活し
追い込んでゴール。
どうしても抜けなかった若者と記録書もらったあとランナーコミュニケーション。
いや~どうしても抜けなかったです。早いですね、ちなみにフルはどのくらいの
タイム?と聞いたら2時間50分台とか
そんな若者と勝負が無謀でしたわ。
でも、おじさんの追跡で必死に逃げたのでいいタイムとなりましたと
談笑。
しかし!!若者おじさんの記録書をみて愕然
そう、ウェッブスタートの時間差があったんです。
とゆうことで、おじさんのタイムが早かった
5日朝ホテルフロンでもらった速報記録では
Bチーム140キロには468名参加し、209人が制限時間内に完踏
20時間16分43秒(36位/209人)
ちょっと自慢が、おじさんより上位はみんな年下ですから
100キロウルトラはひたすら走り続けること。
萩往還マラニック、走る、歩く、走る、歩くの繰り返しをどこまでどう耐えるか(抑える勇気)を学んだ。
また、何人もの若者に引っ張ってもらい気づいたこと。
それは、みんなぶれないフォーム。何十キロ走っていようとまっすぐな姿勢。見事です。
(腹筋背筋が大事だとよく言うけれど、このくらい長く走るとほんまに走って腹筋が痛い)
これがサブ3以内の人たちの世界なんですね。
最後まで、ゴールをあきらめない強い心とぶれない身体を手にいれたとき140キロの世界を
手にいれることができる近道だとわかりました。
それからもうひとつ、スピード競争でないから終わった翌日には、わりと身体は復活していること。
ゆっくり長く走ること(LSD)は、故障しない身体つくりに必須。
いっぱい学んだマラニックに感謝でした。