ジャーナリストを目指していたが挫折し、生活のため町工場で働くことになった益田(生田斗真)は、同時期に
働き始めた鈴木(瑛太)という男と出会う。鈴木は周囲と交流せず、過去を語ろうとしなかったが、同い年の二人は
次第に打ち解け友情を育んでいく。しかしあるきっかけから、益田は鈴木が17年前に世間を騒然とさせた連続児童
殺傷事件の犯人ではないかと考えた。。。
物語は謎解きに向かうことなく、鈴木がかつての殺人事件の犯人たる「少年A」であることはあっさりと明かされ
加害者の贖罪のあり方に焦点が向けられる。我が子の命を奪われた遺族にとっては、どのような償いがあろうと許せる
はずがない・・・我が子の受けた苦しみを、奪われた人生への無念さを味あわせてやりたい、それが本音だろう。
犯人が何かを楽しんだり、喜んだりすること自体許せないという感情になるのは遺族としては当然だろうと思う。しかし
一方で、社会が加害者に罪を償わさせる、更生させるとはどういうことだろうか?犯人が孤立して自己中心的に自分の人生
を呪うことよりも、犯した罪の重さに向き合うためには、彼自身を「人」として扱う者の存在が必要なのではないかという
視点をこの作品はさしているのでは無いでしょうか?
自分を友達と思ってくれる益田の存在や彼に思いを寄せる藤沢との出会いが、人との交流を避けてきた鈴木に人間的な感情の
片鱗を蘇らせる。その感情こそが、彼自身によって奪われた命の重さを実感させる拠り所となり、その罪の深さを測る尺度と
なる。「俺には生きる資格がない、死んでしまいたい、でも生きたいんだ。」と叫ぶ鈴木を演じる瑛太の演技は圧巻でした。
益田と鈴木のドラマに並行して描かれる、息子が交通事故で3人の子供の命を奪ってしまい、その贖罪のために家族関係を解散
遺族に謝罪と賠償をすることに人生を捧げようとする父親の物語が並行している。父親は息子が好きな人との間に子供ができ
結婚しようとしていることを母親から聞きつけ、「人様の家族を壊しておいて、お前が家族を持ってどうするんだ!」と猛反発
する。しかし息子は、自分が家族を持つことでその贖罪を両親の手から奪い、自分だけのものとして一生背負い続けていこうと
決心する。何が正しいのか。正解はわかりません・・・
人それぞれに考え方・思いも違いますから一つの尺度で答えられない作品で、とことん考えさせられる作品です
少年の凶悪犯罪、いじめ、DV、交通事故、と問題提起を
定義された様な作品でした。自分の中では「藤沢美代子(夏帆)」の最後の態度は許されませんでした ☆☆☆☆