今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「人日」「七草粥の日」

2005-01-07 | 行事
今日(1月7日)は、「人日」。五節句のひとつ。「七草粥の日」でもある。
中国・前漢の時代、東方朔(※)が記した占いの書には、正月1日を鶏の日、2日を狗(いぬ)の日、3日を羊の日、 4日を猪の日、5日を牛の日、6日を馬の日、7日を人の日、8日を穀の日とし、占ってその日が晴天ならば吉、雨天ならば 凶の兆しであるとされていた。そのため、正月7日の「人の日」には邪気を祓うために、七種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べ、一年の無事を祈ったのだといわれている。これが日本にも伝わって、平安時代から始められた。七草粥は春の七種を刻んで入れた七種粥を作って食べる。本来は、七草と書いた場合は秋の七草を指し、正月のものは七種と書くが、一般には正月のものも七草と書かれる。
七草粥は、正月の初の子の日(後には正月7日)に、野に出て若菜を摘み、これを食べると邪気を避け、病を遠ざけると信じられ、宮中や貴族たちの間で年中行事として行われた。
小倉百人一首には次の一首がある。
仁和のみかど、みこにおましましける時に、人にわかなたまひける御うた
きみがため 春の野にいでて わかなつむ 我が衣手に 雪はふりつつ   
[光孝天皇(古今和歌集21)]
「仁和のみかど、みこに・・」とは即位前の光孝天皇のことであろう。そして、「若菜」はせり・なずな・はこべら、など春の野に萌え出たばかりの食用の野草のことであろう。正月には、まだ野草は芽吹いていないが、旧暦の正月は2月頃。まだ寒さも厳しいながら、長い冬も終わりに近付き、陽射しには春を感じ、野に出て春いちばんの息吹きを持ち帰る、七草粥の行事は新しい年が始まる喜びの行事だったであろう。
七種は、当時は羹(あつもの=熱い汁物)にして食べたとされ、草粥にするようになったのは室町時代以降のことで、7種の草を前日の夜、俎(まないた)に載せて、囃(はや)して叩き、当日の朝、粥に入れて食べるようになったという。このような七草ばやしが付いているのは,鳥追の習俗が七草粥に結びついたと考えられている。又、囃し歌は鳥追い歌に由来するものだといわれている。これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられているが、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能があるためでもあるだろう。
※東方朔
無作法だが滑稽な人で、酔っ払って殿中で小便を漏らし弾劾されたともいわれている。その機知諧謔で大臣高官すべてをからかい、漢の武帝にも相談相手として愛されたが、大官には登らなかった。『漢書』巻六十五に東方朔傳第三十五として独立した伝が立てられている。
(画像は七草粥)