今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

阪神・淡路大震災記念日

2005-01-17 | 記念日
今日(1月17日)は「阪神・淡路大震災記念日」
1995(平成7)年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生した。マグニチュード7.3で震源の深さは約14キロ。神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町で初めて震度7の激震を記録した。
国内では戦後最悪の災害は、大都市神戸を中心に阪神間の人口密集地を直撃し、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となり、倒壊や地震による火災などで自宅を失なって避難した人は30万名以上に達した。被害総額 は 10兆円規模 といわれている。
今年は、死者6,433人、家屋全半壊(焼)47万世帯という大災害、阪神・淡路大震災から10年目の節目となり、中央区のポートアイランドホール(ワールド記念ホール)で「阪神・淡路大震災神戸市追悼式」が行われるほか各地で様々な追悼の催しがあり、鎮魂の祈りにつつまれる。兵庫県が主催する追悼式展(中央区の県公館で11時45分より)には天皇・皇后両陛下も初めて出席されるほか国連の幹部らも参加する。
良く、神戸の街・繁華街の風景などは震災があったことすら感じさせなくなったなどといわれている。しかし、地元の新聞も「被災者アンケート 復興に停滞感6割」「険しい生活再建」と報じるなど、いまも立ち直れず苦闘する被災者が多く残されているのが被災地の実態である。
兵庫県などは、「被災地人口は震災前の水準に回復した」と強調しているが、神戸市では、震災前の8割にとどまっている長田区や、兵庫区、須磨区など被害が大きかった地域で人口が回復していないと言っている。震災後回復への地域間格差が大きい。
震災では、未曾有の住宅の全半壊被害をもたらした。私も神戸の大きな被害を受けたが回復の遅れている地域の住人であるが、街を歩いていて、なんと駐車場と更地の多くなったことであろうか。そこには、もともと、家が建っていたのである。そして、大きな屋敷からも庭には木がなくなり簡単なガーデニング風の庭となり緑が減った。家をなくした、住民は兎に角、住む家が必要であり、家は新しく新築したものの、その一方で、マイホーム建築のための二重ローンに苦しむ被災者がどれほど多くいることか。10年の間にローンに耐え切れず、結局は、家を手放すことになってしまった人もいる。私の家の近所では、今、ひとつ家に2枚の表札のかかっているところが非常に多くある。年をとった人、働き手の主人などが亡くなった人たちは自力で家が再建出来ず、嫁に出した娘夫婦などの協力を得て家を建て一緒に住んでいるのである。その人たちは、狭くなった家で孫や娘婿に気兼ねをしながら肩身の狭い思いをして生活している。マンションなどでは未だに権利問題が解決せず放置されているところもある。そして、経済力もない老人たちを収容している集合住宅では、地域住民との交流もなく、孤独死する人が後を絶たない。
10年経って、家も街も道路も新しくきれいになり、外から見れば、一見神戸の街が復興したように見えるかもしれないが、どこの家の中も、経済的には大変なのである。新聞報道などでも家計収入が震災前の水準まで回復出来ていない人が7割近く達している。中でも、身障者の方や年をとった人、働き手をなくした人たちは悲惨である。市民感情としては、とっても、回復しているなどとはいえない。幸い、私の家は軽度の被害で済んだが、多くの苦しんでいる人たちを見ると、気の毒で仕方がない。
今日私は、自分のお寺で行われる追悼式に行くが、震災で亡くなった人たちの冥福とともに、今、生活苦にあえいでいる人たちのこれからの幸せを祈ってきたい。
(画像は、神戸港震災メモリアルパーク)
参考:
H A N D S「1.17希望の灯り」
http://www1.plala.or.jp/monument/index.html
震災は忘れなくてもやってくる
http://tanesan.hp.infoseek.co.jp/ken-sinnsai.html
神戸のこといろいろ「No52阪神淡路大震災」
http://kobe.cool.ne.jp/yousan03/kobenokoto-011.html
うた(歌・唄・詩)「震災の歌」
神戸の街は、あの震災により大きな被害を受けました。今、神戸は地震にも負けない新しい元気な街に生まれ変わろうとしています。
http://kobe.cool.ne.jp/yousan03/uta.html