今日は、「のど自慢の日,カラオケの日」。NHKが制定。
1946(昭和21)年1月19日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始された。
「NHKのど自慢」は、1946(昭和21)年1月19日から『のど自慢素人音楽会』というラジオ番組として放送が開始された。1948(昭和23)年3月23日には、第1回の『NHKのど自慢全国コンクール 優勝大会』が開催され、この時は、「独唱」「歌謡曲」「俗曲」の3部門で競われている。1953(昭和28)年にテレビ放送が開始され、ラジオとテレビで同時放送されるようになり、1970(昭和45)年の、『のど自慢素人演芸会』から、ほぼ現在のスタイルである『NHKのど自慢』へ生まれ変わっている。
1946(昭和21)年は、「みんなが飢えていた」戦後の混乱と耐乏生活が続いていたときであったが、街には「赤いリンゴに唇よせて・・・」の明るい「リンゴの歌」(並木路子)が流行しはじめ、「のど自慢素人音楽会」の放送も開始され、歌を通して復興への雰囲気が生まれ始めた。この「のど自慢素人音楽会」は、大人気を博し、全国津々浦々で行なわれるのど自慢には応募者が殺到、今でも続く大人気番組になった。まだ国民の娯楽が少ないなかで、ただ聞くだけではなく、参加できる番組というところが人気の理由であった。しかし、初めのうち大人は概してコチコチに硬くなってしまったが、子供たちはまるで平気で、思いもかけない名唱も飛び出した。
この『NHKのど自慢』は、今年(2005)年1月で60年目を迎える長寿番組である。
テレビ番組が短命化してる現代において60年経った今でもなお国民に支持されているこの番組の人気の秘密は何なのであろうか。
先ず、素人が生バンドをバックにして、ステージに立ち、大勢の観客を前にスター気分で歌える。そして、唄う歌のジャンルも多種多様であり、出場者も視聴者も年齢・世代を超えた老若男女誰でも、幅広い層が楽しめる。また、宮田輝アナに始まったユーモアたっぷりな司会者の、出場者へのインタビューと応答などがあげられるであろう。そこには、出場者が身近な感じの素人であるため、歌と歌の合間に交わされる司会者との会話の中からいろいろな地域の人たちの人生ドラマも垣間見える。
そういえば、「カムカムエブロボディ」の歌を知っていますか。ちょっと話がそれるかもしれないが、それまで「敵国語」として禁止されていた英語も放送してよいこととなり、この年(1946年)の9月から始まったラジオの英会話番組のテーマーソングである。この歌は、中山晋平作曲の「証誠寺の狸囃子」に講師の平川唯一氏が作詞した英語の歌詞を当てた替え歌である。しかし、今になって思えば、あれは、「カムカムエブリボディ」ではなく、「カムカムエブリシング」の間違いじゃ~なかったのかと・・・。私たちが思い浮かべていたのは「来い来い来い」と歌いながら思い浮かべていたのは人ではなく物だったものな~。
この年は極端な物不足で、歌舞伎の花形役者片岡仁左衛門一家が、食べ物の恨みで殺されるといったような事件もあった時代ですよ・・・。
当時、まだ子供で、英語なんかわからないままに、この歌を口ずさんでいたのを思い出す。
最近のテレビ番組には、下品でくだらない番組が増えてきたが、このような、親しみやすい、ほのぼのとした心温まる番組が増えていって欲しいものだね~。
(画像は、東京内幸町の放送会館での当時ののど自慢風景。朝日クロニクル「週間20世紀」より)
参考:
日本放送協会(NHK)「ラジオ」
http://www.nhk.or.jp/radiodir/
広告景気年表:1946年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1946.htm
※外部サイトからここへ帰ってくるときは、戻る(→印)ボタンで帰ってきてくださいね。
1946(昭和21)年1月19日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始された。
「NHKのど自慢」は、1946(昭和21)年1月19日から『のど自慢素人音楽会』というラジオ番組として放送が開始された。1948(昭和23)年3月23日には、第1回の『NHKのど自慢全国コンクール 優勝大会』が開催され、この時は、「独唱」「歌謡曲」「俗曲」の3部門で競われている。1953(昭和28)年にテレビ放送が開始され、ラジオとテレビで同時放送されるようになり、1970(昭和45)年の、『のど自慢素人演芸会』から、ほぼ現在のスタイルである『NHKのど自慢』へ生まれ変わっている。
1946(昭和21)年は、「みんなが飢えていた」戦後の混乱と耐乏生活が続いていたときであったが、街には「赤いリンゴに唇よせて・・・」の明るい「リンゴの歌」(並木路子)が流行しはじめ、「のど自慢素人音楽会」の放送も開始され、歌を通して復興への雰囲気が生まれ始めた。この「のど自慢素人音楽会」は、大人気を博し、全国津々浦々で行なわれるのど自慢には応募者が殺到、今でも続く大人気番組になった。まだ国民の娯楽が少ないなかで、ただ聞くだけではなく、参加できる番組というところが人気の理由であった。しかし、初めのうち大人は概してコチコチに硬くなってしまったが、子供たちはまるで平気で、思いもかけない名唱も飛び出した。
この『NHKのど自慢』は、今年(2005)年1月で60年目を迎える長寿番組である。
テレビ番組が短命化してる現代において60年経った今でもなお国民に支持されているこの番組の人気の秘密は何なのであろうか。
先ず、素人が生バンドをバックにして、ステージに立ち、大勢の観客を前にスター気分で歌える。そして、唄う歌のジャンルも多種多様であり、出場者も視聴者も年齢・世代を超えた老若男女誰でも、幅広い層が楽しめる。また、宮田輝アナに始まったユーモアたっぷりな司会者の、出場者へのインタビューと応答などがあげられるであろう。そこには、出場者が身近な感じの素人であるため、歌と歌の合間に交わされる司会者との会話の中からいろいろな地域の人たちの人生ドラマも垣間見える。
そういえば、「カムカムエブロボディ」の歌を知っていますか。ちょっと話がそれるかもしれないが、それまで「敵国語」として禁止されていた英語も放送してよいこととなり、この年(1946年)の9月から始まったラジオの英会話番組のテーマーソングである。この歌は、中山晋平作曲の「証誠寺の狸囃子」に講師の平川唯一氏が作詞した英語の歌詞を当てた替え歌である。しかし、今になって思えば、あれは、「カムカムエブリボディ」ではなく、「カムカムエブリシング」の間違いじゃ~なかったのかと・・・。私たちが思い浮かべていたのは「来い来い来い」と歌いながら思い浮かべていたのは人ではなく物だったものな~。
この年は極端な物不足で、歌舞伎の花形役者片岡仁左衛門一家が、食べ物の恨みで殺されるといったような事件もあった時代ですよ・・・。
当時、まだ子供で、英語なんかわからないままに、この歌を口ずさんでいたのを思い出す。
最近のテレビ番組には、下品でくだらない番組が増えてきたが、このような、親しみやすい、ほのぼのとした心温まる番組が増えていって欲しいものだね~。
(画像は、東京内幸町の放送会館での当時ののど自慢風景。朝日クロニクル「週間20世紀」より)
参考:
日本放送協会(NHK)「ラジオ」
http://www.nhk.or.jp/radiodir/
広告景気年表:1946年
http://www.dentsu.co.jp/trendbox/adnenpyo/r1946.htm
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