今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

平成スタートの日

2005-01-08 | 記念日
今日(1月8日)は「平成スタートの日」
1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて、7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、翌8日から新しい元号がスタートした。
1月7日に亡くなった裕仁天皇の諡(おくりな)は「昭和天皇」と決め、天皇死去後、直ちに明仁(あきひと)皇太子が即位し、宮殿松の間で、「剣璽等承継の義(けんじとうしょうけいのぎ)」が行われた。かって、明治憲法下で「剣璽渡御の義(けんじとぎょのぎ)」と呼ばれ、「三種の神器」である剣と勾玉を新天皇が受け継ぐ儀式だった。日本国憲法下の初の皇位継承儀式となった今回、政府は、憲法の政教分離原則への抵触をさけつつ、国の儀式(行為)として行うため、剣璽を「皇位とともに伝わるべき由緒のもの」と位置づけ、天皇の国事行為に使われる御璽(ぎょじ=天皇の印)や国璽(こくじ=国の印)も同時に引き継ぐ形に改変した。皇祖神から与えられ、万世一系の現人神(あらひとがみ)の聖なる印とされた剣璽を、俗界に引きおろし、儀式の伝統は残した型である。
1979年に「元号法(昭和54年法律第43号)」が制定されてから初めての改元は、1月7日、前例にならって中国の古典を出典として「平成」「修文」」「正化」の3案が用意され、「元号に関する懇親会」の8人が「平成」を推し、政府は臨時会議で正式に「平成」と決定し、小渕官房長官(当時)が発表した。施行は8日から。
出展は「史記」の「五帝本紀」にある「内平かに外なる」、「書経」の「大禹謨(だいうぼ)」にある「地平かに天なる」から引用(内外、天地とも平和が達成されるという願いをこめたもの)。「平成」は慶応」が決定された時に候補となったことがある「大化」以来、「平成」は、247番目の元号である。
思えば、昨年、皇太子殿下が記者クラブでの「会見」の席上、宮内庁関係者によると思われる雅子妃に対する“人格否定”発言があった。この皇太子殿下の発言について、擁護論、批判論いろいろあるが、敢えてそのことに触れるつもりはないが、この問題発言の底辺には、皇室のお世継ぎ問題が潜んでいるものと推測している。
今、皇室は皇位継承の危機に立っており、今のままでは皇位継承者がいなくなってしまう。そのため、雅子妃が内親王をご出産になったころから、お世継ぎ問題が出始めていた。現在の憲法は、皇位継承について、第2条で「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。そして、「皇室典範」では、第1条に「皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められており、「第2条の皇位継承順位」などに照らしていくと、皇室に世継ぎが生まれない中、他の宮家にも男子はおらず宮家自体も廃絶してしまうことになりそうで、なんらかの方策を講じないと、天皇制そのものが存続出来なくなってしまう。
最近、女性天皇問題も検討されているようである。
日本でも、過去女性天皇の時代はあったのである。そもそも、明治に制定された「皇室典範」の規程により、皇位継承権が、男子にかぎられるとされたのは、明治の富国強兵政策が推進されていた時代に、軍隊などの最高指揮官が女性では士気にも影響するのではないかと言ったことからだと思われるので、むしろ、今の平和な時代であれば、天皇が女性であっても、国のシンボルとしての存在なら、なんら差し障りはないように思うが・・・。
(画像は1月7日、新しい元号「平成」を発表する小渕恵三官房長官。当時の朝日新聞より)
参考:
皇室典範
http://www.houko.com/00/01/S22/003.HTM