今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

禁酒の日

2005-01-16 | 記念日
今日(1月16日)は、「禁酒の日」
1920(大正9)年、アメリカで禁酒法が実施された。清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカではアルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに18の州で禁酒法が実施されていた。しかし、この禁酒法制定の最大のきっかけとなったのは、第一次世界大戦下で、穀物はアルコールの醸造にまわすよりは、節約すべきという考えが起こり、禁酒運動が全国的な盛り上がりを見せたことであり、禁酒を規定した憲法第18条修正条項が、1919年10月28日に連邦議会を通過した。
しかし、誰でも「禁酒法」と聞くと、多くの人は、アルコールを飲むことを禁じられていたと思われるだろうが、この禁酒法は先にも述べたような経過から成立したことから、その内容は、「酒類製造、販売及び、運搬禁止法」ということであり、アルコールを「飲む」ことそのものを禁じているのではなかった。そのため、禁酒法が成立してからは、買うことの出来ない酒を飲むための、もぐりのバーが多く出来、密造酒や酒の密売が横行することとなり、禁酒法成立以前より、酒場の数は2倍にも増え、酔払い運転で取締りを受けた人やアルコール中毒で死亡した人の数も5倍以上に増えるなど、禁酒法が出来る以前より状況は悪化したといわれている。
しかも、最大の問題は、「禁酒法」を成立させるきっかけとなった第一次世界大戦は、禁酒法制定前の1918年に終結していたのである。だから、世界大戦終結後の法律が定まった時には、元々からの禁酒運動家を除けば、多くの人は、アルコール類禁止への熱意は冷めていたはずなのであった。
このような、状況下に、目をつけたのが、マフィアである。マフィアが国際的に有名になったのは、禁酒法時代のアメリカでの活動のせいで、その中でも特に有名なドン(首領)が「アル・カポネ」であり、マフィアは密造酒を作って密輸・密売をし、巨額の利益を得た。
マフィア映画と言えば、一番に思い出すのが、フランシス・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」(1971年公開)である。この映画は、1972年のアカデミー賞作品賞、主演男優賞、脚色賞を受賞し、当時、興行収入が歴代1位だった『風と共に去りぬ』を抜いての大ヒット作だ。主役のマーロン・ブランドの名演技(含み綿をしての演技)が見ものだったね~。
この映画は、その後「マフィアもの」」「実録ギャングもの」の走りとなった。カポネはついに、1931年連邦警察、に所得税法違反で逮捕され、翌年実刑11年の判決を受けて、アル・カトラスに収監されたことは、カポネとFBI(連邦捜査局)との対決を描いた「アンタッチャブル」に見られる通りであり、1947年、彼は48歳でこの世を去る。
しかし、数々の犯罪、殺人まで犯している彼が有罪となった罪状が、殺人ではなく脱税であったというのは驚きである。
その後、1929年、10月24日、ニューヨークのウオール街の株価の暴落にはじまる世界恐慌で、物価が急落し、企業が倒産して、全世界の失業者は2000万人にも達したと言われ、各国政府は、思い切った財政支出を拡大し、需要をふやして、景気の回復をはかろうとした。この大恐慌に際し、アメリカのルーズベルト大統領は1993年、不況克服のために「ニューディール政策」(「New Deal」=「新規まき直し」の意味)を推進。税収も期待できるアルコールの醸造・販売などを禁止していては、国の不利益になると言う世論も起こり、第18修正条項を廃止する第21修正条項が議会で可決され1933年12月に禁酒法は、撤廃されることになった。
しかし、今でも宗教上の理由などで、飲酒を禁じている国もあるが、毎度の夕食は、お酒が主食となっている私は、禁酒なんて言われたら、生きてゆく気がしなくなるね~。ほんと日本に生まれてよかったよ・・・。
(画像は、映画「ゴッド・ファーザーのチラシ」
参考:
禁酒法・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/禁酒法