今日は何の日~毎日が記念日の歴史を見ると、”1937(昭和12年)年 「朝日新聞」で永井荷風の『濹東綺譚』が連載開始 された。”・・・とあった。
濹東綺譚(ぼくとうきたん)は、永井荷風の小説の中でも最高傑作とも呼ばれている。挿絵は木村荘八が描いている。1936年に執筆され、1937年(昭和12年)に私家版として発表。同年、朝日新聞に連載され、岩波書店から単行本が刊行された。
荷風は、1879(明治12)年東京小石川に士族の長男として生まれた。本名は壯吉。号は断腸亭主人、金阜山人。1908(明治41)年、アメリカ・フランスなど外遊帰国後に『あめりか物語』(1908年)、 『ふらんす物語』(1909年)を刊行して耽美派(たんびは)作家としての地歩を固めるとともに、1910年kら1916年まで、慶應義塾大学教授となり、「三田文学」を主宰。しかし、文明開化の日本も明治になって40年経つとずいぶん豊かになり成熟しては来たが、荷風には目の前の明治の日本が、ただ西洋文明の粗悪浅薄な模倣に汚染され、日本の社会の上・中層には虚飾と偽善、功利が満ち溢れているようにしか見えなかった。そして、荷風が眼前の東京の中で、わずかに心を寄せえたものは破壊されてゆく「徳川時代の文明」の名残りをなお細々と今に伝える庶民のつつましい暮らし花柳の小世界、そして、江戸以来の山の手・下町の緑や水の景観であった。荷風がもともと好きだった江戸の偽作文学や浮世絵の世界に改めて深入りしてゆくのは、慶応義塾大学への通勤途上、大逆事件(1910年)により幸徳秋水らを運ぶらしい「囚人馬車」を目撃をしたのが1つのきかけであったらしく、そんな軽薄な日本の近代文明を嫌悪して、明治末から大正初めにかけて彼は江戸人情本の翻案ともいうような作品を幾つか試み、春信・北斎・歌麿などの浮世絵や歌舞伎を論ずる評論を次々発表し、そして、大正3年から翌年にかけて、荷風は日和下駄(ひよりげ)に蝙蝠傘の出で立ちで、木版の切絵図を手に、東京市内に残る江戸風景の面影を自分の足でつぶさに再吟味してまわったという。『日和下駄』(一名東京散策記、随筆、1915年発刊)は、工業化しスラム化する東京の中にあって尚江戸の都市美とその生活の陰影を伝える市内の淫祠(いんし)・樹・寺・水(掘割・隅田川・溝川など)・路地・閑地・崖・坂・夕陽(附富士遠望)などの現況を、新旧対比しながら検分した記録である。それ以降、花柳界や娼婦の世界を描いた『腕くらべ』(1918年)、『つゆのあとさき』(1931年)、『濹東綺譚』(1937年)を発表した。また、死の前日まで、実に42年間にわたる日記『断腸亭日乗』(一部は1947年刊『荷風日歴』)を残している。近代日記文学の最高峰といわれる『断腸亭日乗』は、荷風文学中の圧巻であり、天候、出かけた場所、会った人物、会話の内容や世間の噂、女性との関係、読んだ本、書いた原稿、買物の値段をはじめ、印象に残った事柄が克明に記されている。
この荷風の日記『断腸亭日乗』によれば、「昭和十二年四月十五日。晴れたる空暮方に至り俄にかきくもりて、雨そそぎ来る。燈刻銀座不二氷菓舗に飯して帰らむとする時雨車軸を流すが如し。三丁目ふじあいす地下室に入るに安東氏在り。千香女史ついで来る。拙作『綺譚』朝日紙上に出でたりと云ふ。帰途新橋にて清潭翁の来るに会ふ。夜半雨霽る。(▼[欄外朱書] 『濹東綺譚』此日ヨリ『朝日新聞』ニ連載)とあるようだ。(以下参考に記載の「『摘々録 断腸亭日乗』永井荷風の日記」参照)
どうもこれを見ると、 4月16日「朝日新聞」で連載開始 となっているが、東京朝日新聞には朝刊ではなく夕刊に連載されたものらしので、恐らく15日付け夕刊に連載が正しいのではないか??。まあ、読む人は16日あさということになるのだが・・。
また、荷風が『濹東綺譚』の舞台となる、玉ノ井を初めて訪れたのは、1932(昭和7)年の1月のことのようである。以下参考に記載の「『摘々録 断腸亭日乗』永井荷風の日記」を見ると、「昭和七年一月廿二日の条に、「陰暦十二月の十五夜なるべし、枯蘆の茂り稍まばらなる間の水たまりに、円き月の影盃を浮べたるが如くうつりしさま絵にもかゝれぬ眺めなり、四木橋の影近く見ゆるあたりより堤を下れば寺島町の陋巷なり、道のほとりに昭和道玉の井近道とかきたる立札あり、歩み行くこと半時間ばかり、大通を中にしてその左右の小路は悉く売笑婦の住める処なり、小路の間に飲食店化粧品売る小店などあり、売笑婦の家はむかし浅草公園裏に在りし時の状況と更に変るところなし、立寄りて女のはなしを聞くに、玉の井の盛場は第一区より第五区まであり、第一区は意気向の女多く、二区三区には女優風のおとなし向が多し、祝儀はいづれも一二円なりといふ、路地を出るに商店つゞきたる道曲り曲りて程なく東武鉄道の停留場に達せり、電車より昇降する人甚多し、江東の新開町にて玉の井最繁華となりと見ゆ、雷門より市内電車にて銀座に至れば夜は既に八時なり、オリンピク洋食店に入るに、偶然番街のお歌の丸髷の女連と共に来れるに逢ふ、食事して後別れて酒館太訝に立寄るに、清潭翁市川八百蔵と共に在るを見る、十一時過家に帰る、空俄にくもりて雨となりぬ・・・」と非常にその様子を克明に書いてる。そして、以下参考の「台東区ゆかりの文学者」の「台東区と文学永井荷風」を見ると、それ以来、特に1936(昭和11)年3月頃より、荷風は足繁く玉ノ井に通うになり、やがて,同年9月7日の日記には「今年三四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて、折々来りみる中にふと一軒憩むに便宜なる家を見出し得たり」と書き付けるようになる。そして、同日の「日記」にはその「家」の「女」について、「女はもと洲崎の某楼の娼妓なりし由。年は二十四五。上州辺の訛あれども丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌(きりやう)、こんな処でかせがずともと思はるゝ程なり」と書いているが、この描写は『濹東綺譚』冒頭に掲げたお雪の「容貌」とよく似ており「日記」と『墨東綺譚』のその他の部分とを読み合わせても、荷風は「女」をモデルにお雪を造型したことは間違いないようである。荷風がこうして「憩むに便宜なる家」とその「女」について書いたその2週間ほど後の20日には,喜ばしげに「この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり」と書いており、その「小説」が『墨東綺譚』であることはいうまでもない。」・・としている。
『墨東綺譚』は、銘酒屋街(私娼窟)である玉の井を舞台に、主人公の「わたくし」(小説家・大江匡)が、小説の取材で玉ノ井を訪れた際、たまたま俄雨に遭う。季節は梅雨時。『日和下駄』に、「人並みはずれいて丈(せい)が高い上に私はいつも日和下駄をはき手に蝙蝠傘を持って歩く。いかに晴れた日でも日和下駄に蝙蝠がなければならぬ」というように、主人公は長年の習慣で、当然のごとくに洋傘を手にしていた。彼が差した傘に「檀那、そこまで入れてつてよ」と真っ白な首を突っ込んで来たお雪と偶然知り合った。それがきっかけで、その女つまり、主人公とは、親子ほど歳が離れた娼婦・お雪とのはかない恋が生まれ、数ヶ月で散っていくさまを描いている。昭和11年4月ごろから墨東の玉の井(現在の東向島)の私娼街に毎晩のように通い、自らの体験を小説にすることを思い立つ物語の主人公「わたくし」とは、永井荷風の分身であろうことは間違いない。だが、荷風がお雪のモデルとなった「女」と知り合ったのは、こうした偶然からではなかったことは、『断腸亭日乗』にも書かれている通りである。本書で荷風が描くところの小説家・大江は、荷風の分身ではあるが、極めて虚構性・匿名性の強い人物で、大江の書く小説を物語の中に挿入するという2重構造により、一層それが際だっている。その虚構性が、やはり虚構の世界に生きる娼婦の姿と感応して、写実的でありながらファンタジックな雰囲気を醸し出しているともいえるだろう。この作品の評価を高めた原因には、木村荘八による詩情あふれた挿絵によるという意見も多い。
なお「濹」は永井荷風が、江戸時代の漢詩人の造字したものを発掘して使った漢字で、隅田川(墨田川)を指しているそうだ。
永井荷風の没後一周年を記念して、豊田四郎監督が同名で「墨東綺譚」(1960年)を映画かした。お雪は山本富士子 が演じている。山本富士子のような余りにも美しい女性が、遊郭に身を落とした不幸せな人間を演じると余計に哀れを誘うよね~。1992年には新藤兼人監督により、墨田ユキ、津川雅彦 ら主演で映画化されている。
(画像は、濹東綺譚 さし絵。向島の玉の井を舞台にした永井荷風の濹東綺譚 は、昭和12年に「朝日新聞」に連載。木村荘八画。週刊朝日百科「日本の歴史」より。)
濹東綺譚 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B9%E6%9D%B1%E7%B6%BA%E8%AD%9A
台東区ゆかりの文学者
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/index.html
『摘々録 断腸亭日乗』永井荷風の日記
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/dannchoutei.html
tokyokidの【書評】日記 - 書評・濹東綺譚
http://d.hatena.ne.jp/tokyokid/20070225
墨東綺譚(1992) - goo映画 監督:新藤兼人、出演: 津川雅彦 、墨田ユキ
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27657/index.html
映画「墨東綺譚」(1960年)監督: 豊田四郎、出演: 山本富士子, 芥川比呂志
http://movie.ontvjapan.com/RatingUserList/movie/139541
濹永井荷風の足跡をたどる
http://www.tokyo-kurenaidan.com/kafu-10.htm
濹東綺譚(ぼくとうきたん)は、永井荷風の小説の中でも最高傑作とも呼ばれている。挿絵は木村荘八が描いている。1936年に執筆され、1937年(昭和12年)に私家版として発表。同年、朝日新聞に連載され、岩波書店から単行本が刊行された。
荷風は、1879(明治12)年東京小石川に士族の長男として生まれた。本名は壯吉。号は断腸亭主人、金阜山人。1908(明治41)年、アメリカ・フランスなど外遊帰国後に『あめりか物語』(1908年)、 『ふらんす物語』(1909年)を刊行して耽美派(たんびは)作家としての地歩を固めるとともに、1910年kら1916年まで、慶應義塾大学教授となり、「三田文学」を主宰。しかし、文明開化の日本も明治になって40年経つとずいぶん豊かになり成熟しては来たが、荷風には目の前の明治の日本が、ただ西洋文明の粗悪浅薄な模倣に汚染され、日本の社会の上・中層には虚飾と偽善、功利が満ち溢れているようにしか見えなかった。そして、荷風が眼前の東京の中で、わずかに心を寄せえたものは破壊されてゆく「徳川時代の文明」の名残りをなお細々と今に伝える庶民のつつましい暮らし花柳の小世界、そして、江戸以来の山の手・下町の緑や水の景観であった。荷風がもともと好きだった江戸の偽作文学や浮世絵の世界に改めて深入りしてゆくのは、慶応義塾大学への通勤途上、大逆事件(1910年)により幸徳秋水らを運ぶらしい「囚人馬車」を目撃をしたのが1つのきかけであったらしく、そんな軽薄な日本の近代文明を嫌悪して、明治末から大正初めにかけて彼は江戸人情本の翻案ともいうような作品を幾つか試み、春信・北斎・歌麿などの浮世絵や歌舞伎を論ずる評論を次々発表し、そして、大正3年から翌年にかけて、荷風は日和下駄(ひよりげ)に蝙蝠傘の出で立ちで、木版の切絵図を手に、東京市内に残る江戸風景の面影を自分の足でつぶさに再吟味してまわったという。『日和下駄』(一名東京散策記、随筆、1915年発刊)は、工業化しスラム化する東京の中にあって尚江戸の都市美とその生活の陰影を伝える市内の淫祠(いんし)・樹・寺・水(掘割・隅田川・溝川など)・路地・閑地・崖・坂・夕陽(附富士遠望)などの現況を、新旧対比しながら検分した記録である。それ以降、花柳界や娼婦の世界を描いた『腕くらべ』(1918年)、『つゆのあとさき』(1931年)、『濹東綺譚』(1937年)を発表した。また、死の前日まで、実に42年間にわたる日記『断腸亭日乗』(一部は1947年刊『荷風日歴』)を残している。近代日記文学の最高峰といわれる『断腸亭日乗』は、荷風文学中の圧巻であり、天候、出かけた場所、会った人物、会話の内容や世間の噂、女性との関係、読んだ本、書いた原稿、買物の値段をはじめ、印象に残った事柄が克明に記されている。
この荷風の日記『断腸亭日乗』によれば、「昭和十二年四月十五日。晴れたる空暮方に至り俄にかきくもりて、雨そそぎ来る。燈刻銀座不二氷菓舗に飯して帰らむとする時雨車軸を流すが如し。三丁目ふじあいす地下室に入るに安東氏在り。千香女史ついで来る。拙作『綺譚』朝日紙上に出でたりと云ふ。帰途新橋にて清潭翁の来るに会ふ。夜半雨霽る。(▼[欄外朱書] 『濹東綺譚』此日ヨリ『朝日新聞』ニ連載)とあるようだ。(以下参考に記載の「『摘々録 断腸亭日乗』永井荷風の日記」参照)
どうもこれを見ると、 4月16日「朝日新聞」で連載開始 となっているが、東京朝日新聞には朝刊ではなく夕刊に連載されたものらしので、恐らく15日付け夕刊に連載が正しいのではないか??。まあ、読む人は16日あさということになるのだが・・。
また、荷風が『濹東綺譚』の舞台となる、玉ノ井を初めて訪れたのは、1932(昭和7)年の1月のことのようである。以下参考に記載の「『摘々録 断腸亭日乗』永井荷風の日記」を見ると、「昭和七年一月廿二日の条に、「陰暦十二月の十五夜なるべし、枯蘆の茂り稍まばらなる間の水たまりに、円き月の影盃を浮べたるが如くうつりしさま絵にもかゝれぬ眺めなり、四木橋の影近く見ゆるあたりより堤を下れば寺島町の陋巷なり、道のほとりに昭和道玉の井近道とかきたる立札あり、歩み行くこと半時間ばかり、大通を中にしてその左右の小路は悉く売笑婦の住める処なり、小路の間に飲食店化粧品売る小店などあり、売笑婦の家はむかし浅草公園裏に在りし時の状況と更に変るところなし、立寄りて女のはなしを聞くに、玉の井の盛場は第一区より第五区まであり、第一区は意気向の女多く、二区三区には女優風のおとなし向が多し、祝儀はいづれも一二円なりといふ、路地を出るに商店つゞきたる道曲り曲りて程なく東武鉄道の停留場に達せり、電車より昇降する人甚多し、江東の新開町にて玉の井最繁華となりと見ゆ、雷門より市内電車にて銀座に至れば夜は既に八時なり、オリンピク洋食店に入るに、偶然番街のお歌の丸髷の女連と共に来れるに逢ふ、食事して後別れて酒館太訝に立寄るに、清潭翁市川八百蔵と共に在るを見る、十一時過家に帰る、空俄にくもりて雨となりぬ・・・」と非常にその様子を克明に書いてる。そして、以下参考の「台東区ゆかりの文学者」の「台東区と文学永井荷風」を見ると、それ以来、特に1936(昭和11)年3月頃より、荷風は足繁く玉ノ井に通うになり、やがて,同年9月7日の日記には「今年三四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて、折々来りみる中にふと一軒憩むに便宜なる家を見出し得たり」と書き付けるようになる。そして、同日の「日記」にはその「家」の「女」について、「女はもと洲崎の某楼の娼妓なりし由。年は二十四五。上州辺の訛あれども丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌(きりやう)、こんな処でかせがずともと思はるゝ程なり」と書いているが、この描写は『濹東綺譚』冒頭に掲げたお雪の「容貌」とよく似ており「日記」と『墨東綺譚』のその他の部分とを読み合わせても、荷風は「女」をモデルにお雪を造型したことは間違いないようである。荷風がこうして「憩むに便宜なる家」とその「女」について書いたその2週間ほど後の20日には,喜ばしげに「この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり」と書いており、その「小説」が『墨東綺譚』であることはいうまでもない。」・・としている。
『墨東綺譚』は、銘酒屋街(私娼窟)である玉の井を舞台に、主人公の「わたくし」(小説家・大江匡)が、小説の取材で玉ノ井を訪れた際、たまたま俄雨に遭う。季節は梅雨時。『日和下駄』に、「人並みはずれいて丈(せい)が高い上に私はいつも日和下駄をはき手に蝙蝠傘を持って歩く。いかに晴れた日でも日和下駄に蝙蝠がなければならぬ」というように、主人公は長年の習慣で、当然のごとくに洋傘を手にしていた。彼が差した傘に「檀那、そこまで入れてつてよ」と真っ白な首を突っ込んで来たお雪と偶然知り合った。それがきっかけで、その女つまり、主人公とは、親子ほど歳が離れた娼婦・お雪とのはかない恋が生まれ、数ヶ月で散っていくさまを描いている。昭和11年4月ごろから墨東の玉の井(現在の東向島)の私娼街に毎晩のように通い、自らの体験を小説にすることを思い立つ物語の主人公「わたくし」とは、永井荷風の分身であろうことは間違いない。だが、荷風がお雪のモデルとなった「女」と知り合ったのは、こうした偶然からではなかったことは、『断腸亭日乗』にも書かれている通りである。本書で荷風が描くところの小説家・大江は、荷風の分身ではあるが、極めて虚構性・匿名性の強い人物で、大江の書く小説を物語の中に挿入するという2重構造により、一層それが際だっている。その虚構性が、やはり虚構の世界に生きる娼婦の姿と感応して、写実的でありながらファンタジックな雰囲気を醸し出しているともいえるだろう。この作品の評価を高めた原因には、木村荘八による詩情あふれた挿絵によるという意見も多い。
なお「濹」は永井荷風が、江戸時代の漢詩人の造字したものを発掘して使った漢字で、隅田川(墨田川)を指しているそうだ。
永井荷風の没後一周年を記念して、豊田四郎監督が同名で「墨東綺譚」(1960年)を映画かした。お雪は山本富士子 が演じている。山本富士子のような余りにも美しい女性が、遊郭に身を落とした不幸せな人間を演じると余計に哀れを誘うよね~。1992年には新藤兼人監督により、墨田ユキ、津川雅彦 ら主演で映画化されている。
(画像は、濹東綺譚 さし絵。向島の玉の井を舞台にした永井荷風の濹東綺譚 は、昭和12年に「朝日新聞」に連載。木村荘八画。週刊朝日百科「日本の歴史」より。)
濹東綺譚 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B9%E6%9D%B1%E7%B6%BA%E8%AD%9A
台東区ゆかりの文学者
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/index.html
『摘々録 断腸亭日乗』永井荷風の日記
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/dannchoutei.html
tokyokidの【書評】日記 - 書評・濹東綺譚
http://d.hatena.ne.jp/tokyokid/20070225
墨東綺譚(1992) - goo映画 監督:新藤兼人、出演: 津川雅彦 、墨田ユキ
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27657/index.html
映画「墨東綺譚」(1960年)監督: 豊田四郎、出演: 山本富士子, 芥川比呂志
http://movie.ontvjapan.com/RatingUserList/movie/139541
濹永井荷風の足跡をたどる
http://www.tokyo-kurenaidan.com/kafu-10.htm