1946年の今日(4月22日)福岡の新聞「夕刊フクニチ」で長谷川町子の4コマ漫画『サザエさん』が連載開始 された。
『サザエさん』は、長谷川町子の漫画、およびそれを原作とするテレビアニメの題名であり、その主人公である子持ちの若妻「フグ田サザエ」の呼び名である。
長谷川 町子は1920((大正9)年1月30日生まれ。 佐賀県多久市出身の日本初の女性プロ漫画家である。旧制山脇高等女学校(現・山脇学園短期大学)卒業。山脇高女在学中から田河水泡に師事。
『サザエさん』の原作漫画は新聞連載の4コマ漫画である。
町子は、疎開先の福岡で西日本新聞社の絵画部に所属していた時に終戦を迎えた。その翌年の1946(昭和21)年に、同社から新しく『夕刊フクニチ』が発行された。そして、連載漫画を頼まれ、本人は「地方紙の気軽さからあっさり引き受けた」そうで、家の裏の海岸(百道海岸:現シーサイドももち付近)を結核療養中の妹と散歩しているときに、その作品の家族構成や名前を思いついたことから、登場人物がみんな海産物の名前になったという(サザエさんの登場人物)。当初、作者自身は、アルバイトのつもりでやっていたようだ。そして、同・1946(昭和21)年4月22日より「夕刊フクニチ」(夕刊)で連載をはじめたのが始まりであり、漫画の舞台は九州・博多でサザエは独身だったが、その後、町子が上京するために同年8月22日に連載はひとまず打ち切られた。この連載を打ち切るときにサザエがマスオと結婚している。そして、町子さん一家が東京の桜新町へ引っ越したあとは、再び翌年の1947(昭和22)年1月3日より「夕刊フクニチ」で連載を再開。このときから、サザエさんの舞台も東京へ移り、サザエの伴侶・フグ田マスオが磯野一家に同居するようになる。掲載紙は間もなく「新夕刊」でも連載されるようになるが、「夕刊フクニチ」及び「新夕刊」の連載が1949(昭和24)年4月、共に終了。同年12月1日より、『夕刊朝日新聞』(朝日本紙とは別扱の新興紙)・『朝日新聞』の夕刊への連載を経て、「サザエさん」は徐々に人気を広げ、最終的には、1951(昭和26)年には、「ブロンディ」の後を承けて、4月16日より『朝日新聞』の朝刊に登場する。このときからがサザエさん一家が本格的に”国民のアイドル”に成長したと言っていいであろう。作者の一身上の都合や病気でたびたび休載になることもあったが、1974(昭和49)年2月21日の連載をもって3年間の休載に入りそのまま打ち切られているため、この日が事実上の最終回となった。
長谷川町子は、1992(平成 4)年5月27日に74歳で亡くなったが、世間が知ったのは1ヵ月後のことであった。故人の意思で納骨が終わるまで公表しない約束だった。同年、7月13日国民栄誉賞が授与された(漫画家で国民栄誉賞が授与されたのは現在のところ、長谷川町子1人である)。そのサザエさんの”すべてを”集めた美術館(「長谷川町子美術館」)が、東京・世田谷区の静かな住宅地にある。私は行ったことがないが、漫画の磯野家が住んでいる町の風情とよく似ているという。同美術館「町子コーナー」には1951(昭和26)年4月から1974(昭和49)年2月まで23年間にわたって朝日新聞に掲載された「サザエさん」などの懐かしい原画をはじめ「いじわるばあさん」などの作品のほか、町子が姉の毬子さんと30年かけて集めた絵画、執筆の傍ら創作したという趣味の陶人形なども紹介されている。町子さんは、新聞への連載が終わってからは1992(平成 4)年に74歳で亡くなるまでもっぱら美術館に展示するグッズに使うサザエさん一家を描いていたそうだ。
お魚くわえたどら猫 追っかけて
はだしでかけてく 陽気なサザエさん
みんなが笑ってる お日さまも笑ってる
ルルルルルル 今日もいい天気
「サザエさん」林春生作詞・筒美京平作曲MIDI ↓
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sazaesan.html
漫画『サザエさん』を原作とするテレビアニメ「サザエさん」のオープニングテーマである。
同オープニングテーマの最後は、
明るい笑顔に幸せが ついてくる
楽しい仲間と 陽気なサザエさん
みんなが笑ってる 夕焼けも笑ってる
ルルルルルル あしたもいい天気
・・・である。サザエさんの漫画は、「日常の当たり前のことのなかにユーモアがある」、「家庭の本当の温かさがある」、「サザエさんのあわてん坊で庶民的なところがよい」、「カツオの勉強嫌いがよくわかる。あれぐらいサボれたらいいな~」・・と読む人の年代によって受け取り方は違っても、多くのファンが、サザエさん一家のなかに夫々が自分の分身を見て取れたのが人気の秘密だろう。それになんと言っても明るい。最近は、TVドラマなどにしてもサザエさんのようなちゃぶ台を囲んで楽しく家族で会話するようなものがなくなってしまった。サザエさんの漫画は途中で数度休載はあったものの連載が6477回、25908コマに及んだ長期間にわたる漫画である。ストーリー漫画ではなく、一完した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなるものであった。だから、サザエさんの漫画は時代背景を象徴する内容が多いのもひとつの大きな特徴で、サザエさんを読めば、戦後から1974(昭和49)年までの庶民の生活がわかる。サザエさんの新聞連載漫画が1974(昭和49)年に終了する前頃から核家族化が急速に広がり、家は和風の家から洋風の家へ、そして、個室化が広がり、人の考え方にも個人主義がはびこり、夫々が自分中心の勝手な生活を始めるようになり、家族での団欒といったものが家庭から消えて久しい。今もテレビアニメ「サザエさん」は放映されているが、サザエさんのような一家団欒の生活は今の人にとっては夢物語のようなものではないだろうかね~。
(画像は、サザエさん一家の暮らしぶり、ミニチュアセット展示【美術館】。朝日クロニクル「週刊20世紀」掲載のものより)
サザエさん - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93
朝日新聞社の歩み
http://mfeed.asahi.com/shimbun/honsya/j/history.html
新明解サザエさん語事典
http://www63.tok2.com/home2/seruanago/
「サザエさん」林春生作詞・筒美京平作曲
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sazaesan.html
サザエさん (テレビアニメ) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)
『サザエさん』は、長谷川町子の漫画、およびそれを原作とするテレビアニメの題名であり、その主人公である子持ちの若妻「フグ田サザエ」の呼び名である。
長谷川 町子は1920((大正9)年1月30日生まれ。 佐賀県多久市出身の日本初の女性プロ漫画家である。旧制山脇高等女学校(現・山脇学園短期大学)卒業。山脇高女在学中から田河水泡に師事。
『サザエさん』の原作漫画は新聞連載の4コマ漫画である。
町子は、疎開先の福岡で西日本新聞社の絵画部に所属していた時に終戦を迎えた。その翌年の1946(昭和21)年に、同社から新しく『夕刊フクニチ』が発行された。そして、連載漫画を頼まれ、本人は「地方紙の気軽さからあっさり引き受けた」そうで、家の裏の海岸(百道海岸:現シーサイドももち付近)を結核療養中の妹と散歩しているときに、その作品の家族構成や名前を思いついたことから、登場人物がみんな海産物の名前になったという(サザエさんの登場人物)。当初、作者自身は、アルバイトのつもりでやっていたようだ。そして、同・1946(昭和21)年4月22日より「夕刊フクニチ」(夕刊)で連載をはじめたのが始まりであり、漫画の舞台は九州・博多でサザエは独身だったが、その後、町子が上京するために同年8月22日に連載はひとまず打ち切られた。この連載を打ち切るときにサザエがマスオと結婚している。そして、町子さん一家が東京の桜新町へ引っ越したあとは、再び翌年の1947(昭和22)年1月3日より「夕刊フクニチ」で連載を再開。このときから、サザエさんの舞台も東京へ移り、サザエの伴侶・フグ田マスオが磯野一家に同居するようになる。掲載紙は間もなく「新夕刊」でも連載されるようになるが、「夕刊フクニチ」及び「新夕刊」の連載が1949(昭和24)年4月、共に終了。同年12月1日より、『夕刊朝日新聞』(朝日本紙とは別扱の新興紙)・『朝日新聞』の夕刊への連載を経て、「サザエさん」は徐々に人気を広げ、最終的には、1951(昭和26)年には、「ブロンディ」の後を承けて、4月16日より『朝日新聞』の朝刊に登場する。このときからがサザエさん一家が本格的に”国民のアイドル”に成長したと言っていいであろう。作者の一身上の都合や病気でたびたび休載になることもあったが、1974(昭和49)年2月21日の連載をもって3年間の休載に入りそのまま打ち切られているため、この日が事実上の最終回となった。
長谷川町子は、1992(平成 4)年5月27日に74歳で亡くなったが、世間が知ったのは1ヵ月後のことであった。故人の意思で納骨が終わるまで公表しない約束だった。同年、7月13日国民栄誉賞が授与された(漫画家で国民栄誉賞が授与されたのは現在のところ、長谷川町子1人である)。そのサザエさんの”すべてを”集めた美術館(「長谷川町子美術館」)が、東京・世田谷区の静かな住宅地にある。私は行ったことがないが、漫画の磯野家が住んでいる町の風情とよく似ているという。同美術館「町子コーナー」には1951(昭和26)年4月から1974(昭和49)年2月まで23年間にわたって朝日新聞に掲載された「サザエさん」などの懐かしい原画をはじめ「いじわるばあさん」などの作品のほか、町子が姉の毬子さんと30年かけて集めた絵画、執筆の傍ら創作したという趣味の陶人形なども紹介されている。町子さんは、新聞への連載が終わってからは1992(平成 4)年に74歳で亡くなるまでもっぱら美術館に展示するグッズに使うサザエさん一家を描いていたそうだ。
お魚くわえたどら猫 追っかけて
はだしでかけてく 陽気なサザエさん
みんなが笑ってる お日さまも笑ってる
ルルルルルル 今日もいい天気
「サザエさん」林春生作詞・筒美京平作曲MIDI ↓
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sazaesan.html
漫画『サザエさん』を原作とするテレビアニメ「サザエさん」のオープニングテーマである。
同オープニングテーマの最後は、
明るい笑顔に幸せが ついてくる
楽しい仲間と 陽気なサザエさん
みんなが笑ってる 夕焼けも笑ってる
ルルルルルル あしたもいい天気
・・・である。サザエさんの漫画は、「日常の当たり前のことのなかにユーモアがある」、「家庭の本当の温かさがある」、「サザエさんのあわてん坊で庶民的なところがよい」、「カツオの勉強嫌いがよくわかる。あれぐらいサボれたらいいな~」・・と読む人の年代によって受け取り方は違っても、多くのファンが、サザエさん一家のなかに夫々が自分の分身を見て取れたのが人気の秘密だろう。それになんと言っても明るい。最近は、TVドラマなどにしてもサザエさんのようなちゃぶ台を囲んで楽しく家族で会話するようなものがなくなってしまった。サザエさんの漫画は途中で数度休載はあったものの連載が6477回、25908コマに及んだ長期間にわたる漫画である。ストーリー漫画ではなく、一完した舞台、人物が登場する比較的独立したエピソードからなるものであった。だから、サザエさんの漫画は時代背景を象徴する内容が多いのもひとつの大きな特徴で、サザエさんを読めば、戦後から1974(昭和49)年までの庶民の生活がわかる。サザエさんの新聞連載漫画が1974(昭和49)年に終了する前頃から核家族化が急速に広がり、家は和風の家から洋風の家へ、そして、個室化が広がり、人の考え方にも個人主義がはびこり、夫々が自分中心の勝手な生活を始めるようになり、家族での団欒といったものが家庭から消えて久しい。今もテレビアニメ「サザエさん」は放映されているが、サザエさんのような一家団欒の生活は今の人にとっては夢物語のようなものではないだろうかね~。
(画像は、サザエさん一家の暮らしぶり、ミニチュアセット展示【美術館】。朝日クロニクル「週刊20世紀」掲載のものより)
サザエさん - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93
朝日新聞社の歩み
http://mfeed.asahi.com/shimbun/honsya/j/history.html
新明解サザエさん語事典
http://www63.tok2.com/home2/seruanago/
「サザエさん」林春生作詞・筒美京平作曲
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sazaesan.html
サザエさん (テレビアニメ) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)