今日(4月29日)は、「羊肉の日」
北海道の郷土料理・ジンギスカンを広くPRしようと、食肉業者や飲食店などでつくる「ジンギスカン食普及拡大促進協議会」(事務局・札幌)が2004(平成16)年に制定したもの。
「よう(4)に(2)く(9)」の語呂合せ。
未(ヒツジ、”Sheep”)として十二支の一つに入っているように、中国では8,000年以上前から飼育されていた。未(ヒツジ)の品種はとても多く、その数は1000を超えるとも言われているようだが、そのことは、ヒツジがイヌについで古い家畜であること、祖先種が複数存在すること、飼養目的が肉を食用にする以外に、毛(羊毛)を刈って衣料に利用する、乳を飲用または乳製品への加工に用いる、皮を原料とした羊皮紙は、パピルス、粘土板と共に、宗教関連の記録や重要な書類の作成に、長い間使用されていた。また、糞も肥料に使われるなど多岐にわたって利用されていた大きな原因である。そのようなヒツジが最初に家畜化されたのは、現在の中近東にいたアジアムフロンではないかと言われている。(以下参考に記載の「家畜ヒツジの祖先種」を参照)、また犬種にShetland Sheepdog(シェットランド・シープドッグ)の様に名前に”sheep”と付く犬((以下参考に記載の「ハーディング(牧畜犬)・グループ/犬種大百科」参照))があるが、これは牧羊犬に適した犬種であることを示しており、これらは、英語圏を初めとする欧州地域でも古くからヒツジが比較的身近な家畜であったことを示す顕著な例でもある。
羊肉は広い地域で食用とされているが、羊の年齢によって、生後1年未満をラム(lamb、子羊肉)・生後2年以上をマトン(mutton)と呼んで区別することが多い。マトンには独特の臭みがあるが、欧米などの海外ではこのヒツジ肉のくせを独特の香り(フレーバー)として楽しんでおり、牛肉よりも高価に取引されているという。マトンの脂肪に羊肉特有の臭みが集中しているため、臭みを取り除くには、その脂肪をそぎ落とすといいと言われている。他は、香りの強い香草と共に炒める、牛乳に付けておく等の方法がある。ラムには臭みが少なく、こちらは日本で近年人気が高まりつつある。海外では、飼育が盛んなオーストラリア、ニュージーランドをはじめ、豚肉を避けるイスラム教が広く普及した中東での消費量が多い。東アジアでも、モンゴル、中国西北部などでは、代表的な食肉となっており、さまざまな調理法が用いられている。
日本国内では、牛肉、豚肉、鶏肉に比べ、消費量は少なく、ジンギスカン鍋やラムしゃぶ、スペアリブ(骨付き肋肉)の香草焼きなど特定の料理でのみ使われることが多い。
カルニチンを他の食肉よりも豊富に含むことから、体脂肪の消費を助ける食材とされていることから、最近は、日本でも健康志向に乗って、ちょっとした羊肉ブームが起こっている。
日本人が,羊肉を食べるといっても、もっともポピュラーなのがジンギスカンだろう。このジンギスカンは、日本で考案された羊肉料理で、マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)を用いた焼肉料理の一種で、「成吉思汗」という漢字名で表記されることもある。
その名称から、モンゴルが生んだ英雄「ジンギスカン」(チンギス・ハーン)が遠征の陣営で好んで食べたなどともいわれているが、モンゴルが生んだ英雄の姿と、広大な草原のイメージが重なり、羊肉を常食するモンゴルにいかにもありそうな料理として拡大解釈されたものであるとみられる。しかし、モンゴルではもちろん羊肉を食べるが、内モンゴルの羊肉の料理は羊肉を焼いたものもあるが、塩味で煮たシュウパウロウがメーンで、いずれも日本のジンギスカンとはほど遠いものだという。
文献での「ジンギスカン」の初出は、1919(大正8)年に発行された『羊と山羊』(小谷武治農学士著)の中に、「羊鍋」「腑焼(肉を醤油にひたして網焼きにする)」など、ジンギスカンと似た料理についての記述もあるという。それが、「ジンギスカン」であるがどうかは不明。ただ、実際に「ジンギスカン」という料理名が文献に初出するのは1931(昭和6)年だという。
ジンギスカン鍋の起源として有名なのは、札幌農学校(北海道大学の前身)出身で、満洲国建国に深くかかわった駒井徳三が、1912(大正元)年から9年間の南満州鉄道社員時代に「ジンギスカン鍋」と命名したとする説があるが、この説については駒井徳三の娘の満洲野(ますの)が1963(昭和38)年に発表したエッセイ「父とジンギスカン鍋」における命名の推定以外に出典が発見されておらず、裏付けとなる確認はできていないようである。他にも色々ジンギスカン鍋の起源についての諸説があるようだが、どれが本当かはよく判らないようだ。以下参考に記載の「現場主義のジンパ学」の中の本当か駒井徳三名付け親説など読んで見られるとよい。
日本に残る最も古い緬羊の記録は、日本書紀に、「推古七年(西暦599年)の秋九月の癸亥の朔に、百済が駱駝一匹・驢(ロバ)一匹・羊二頭、白い雉一羽をたてまつった。」と記されているという。ただし産業として緬羊が飼育されるようになったのは、明治時代になってからのこと。明治維新後、欧米文化の流入とともに毛織物の需要が増大し、政府は羊毛の国内生産を目的として緬羊の飼養奨励に力を入れた。そして、1869(明治2)年に、アメリカからスパニッシュ・メリノを輸入したのを最初に、6000頭以上もの緬羊が輸入されたが、飼養管理技術や衛生対策の不備から頭数は減少し、1888(明治21)年には、第一次のこの奨励事業は失敗に終り、この事業を中止したそうだ。その後、第1次世界大戦の勃発によって羊毛が輸入できなくなったことから、1918(大正7)年に軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給をめざす「緬羊100万頭増殖計画」(第二次緬羊増殖計画)が立案されたものの、華々しい増え方はしなかったようである。それは、農家にすれば羊毛だけでは利益が少ないとみて二の足を踏んだからのようである。家庭で羊肉をたくさん食べるようになれば、つぶした羊の肉も売れるようになり、緬羊飼育での利益が増える。そうなれば農家は、本気で頭数をできるだけ増やそうとするだろう。軍隊で食べている牛肉の代わりに羊肉を食べさせるのが、羊肉の消費拡大の早道だというう意見もあったくらいだそうだ。昭和10年代には日華事変および第2次世界大戦による軍需羊毛の自給のための緬羊の飼養奨励が国策として行われた。その早期実現のために羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加を企図した。
しかし、日本人は従来、羊肉を食べる習慣がほとんどなかった。日本で受け入れられる羊肉料理を開発する必要に迫られ、農商務省は東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)に料理研究を委託した(山田喜平著「緬羊と其飼ひ方」)。その流れの中からジンギスカンが出現したものと見られているようで、1920年代にはその原型となる料理が案出されていたようである。なお、最初のジンギスカン専門店は1936年(昭和11年)に食肉商の故松井初太郎氏が東京都杉並区に「成吉思荘」を開いたのが始まりともいわれている。
余談だが、不眠時羊が「一匹、二匹」と数を数える場合があるが、これは、もともと、sheep(ヒツジ)とsleep(睡眠)をかけた一種の駄洒落に由来するものだとか。私なども昔、寝つきの悪い時よくやったものだが、余計に目が冴えてしまったよ。こんな、駄洒落で、眠れる人はいいよね~。
そういえば、ジンギスカンの名前の元ともなったモンゴル建国の英雄チンギス・ハーンを描いた映画 「蒼き狼 ~地果て海尽きるまで」(日本 原作:森村誠一、主演:反町隆史) が、2007年3月3日に公開され評判のようだね。
(画像はジンギスカン)
ジンギスカン食普及拡大促進協議会
http://www11.ocn.ne.jp/~sapsheep/j_kyogikai.html
ヒツジ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%84%E3%82%B8
家畜ヒツジの祖先種/牛の博物館
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/03_back/hitsuji-6_2.html
探偵団がたどる「ジンギスカン物語」(北海道新聞)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/sapporokenbu/oh-sapporo/jingisukan/index.html
ハーディング(牧畜犬)・グループ/犬種大百科
http://www.animal-planet.jp/dogguide/directory/dir00010.html
ジンギスカンブームを思う。(前)
http://www.goodslee.com/column050807.html
ジンギスカンブームを思う。(後)
http://www.goodslee.com/column050815.html
東京ジンギス倶楽部 OFFICIAL SITE
http://www.to-jin.com/index.html
現場主義のジンパ学
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2248/jinpa12.html
第一次世界大戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
国立国会図書館デジタルアーカイブ・タイトル: 羊と山羊 小谷武治著.
http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?id=oai%3Akindai.ndl.go.jp%3A40063381-00000&cc=06_04_00&keyword=&and_or=AND
蒼き狼 地果て海尽きるまで - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10225/index.html
北海道の郷土料理・ジンギスカンを広くPRしようと、食肉業者や飲食店などでつくる「ジンギスカン食普及拡大促進協議会」(事務局・札幌)が2004(平成16)年に制定したもの。
「よう(4)に(2)く(9)」の語呂合せ。
未(ヒツジ、”Sheep”)として十二支の一つに入っているように、中国では8,000年以上前から飼育されていた。未(ヒツジ)の品種はとても多く、その数は1000を超えるとも言われているようだが、そのことは、ヒツジがイヌについで古い家畜であること、祖先種が複数存在すること、飼養目的が肉を食用にする以外に、毛(羊毛)を刈って衣料に利用する、乳を飲用または乳製品への加工に用いる、皮を原料とした羊皮紙は、パピルス、粘土板と共に、宗教関連の記録や重要な書類の作成に、長い間使用されていた。また、糞も肥料に使われるなど多岐にわたって利用されていた大きな原因である。そのようなヒツジが最初に家畜化されたのは、現在の中近東にいたアジアムフロンではないかと言われている。(以下参考に記載の「家畜ヒツジの祖先種」を参照)、また犬種にShetland Sheepdog(シェットランド・シープドッグ)の様に名前に”sheep”と付く犬((以下参考に記載の「ハーディング(牧畜犬)・グループ/犬種大百科」参照))があるが、これは牧羊犬に適した犬種であることを示しており、これらは、英語圏を初めとする欧州地域でも古くからヒツジが比較的身近な家畜であったことを示す顕著な例でもある。
羊肉は広い地域で食用とされているが、羊の年齢によって、生後1年未満をラム(lamb、子羊肉)・生後2年以上をマトン(mutton)と呼んで区別することが多い。マトンには独特の臭みがあるが、欧米などの海外ではこのヒツジ肉のくせを独特の香り(フレーバー)として楽しんでおり、牛肉よりも高価に取引されているという。マトンの脂肪に羊肉特有の臭みが集中しているため、臭みを取り除くには、その脂肪をそぎ落とすといいと言われている。他は、香りの強い香草と共に炒める、牛乳に付けておく等の方法がある。ラムには臭みが少なく、こちらは日本で近年人気が高まりつつある。海外では、飼育が盛んなオーストラリア、ニュージーランドをはじめ、豚肉を避けるイスラム教が広く普及した中東での消費量が多い。東アジアでも、モンゴル、中国西北部などでは、代表的な食肉となっており、さまざまな調理法が用いられている。
日本国内では、牛肉、豚肉、鶏肉に比べ、消費量は少なく、ジンギスカン鍋やラムしゃぶ、スペアリブ(骨付き肋肉)の香草焼きなど特定の料理でのみ使われることが多い。
カルニチンを他の食肉よりも豊富に含むことから、体脂肪の消費を助ける食材とされていることから、最近は、日本でも健康志向に乗って、ちょっとした羊肉ブームが起こっている。
日本人が,羊肉を食べるといっても、もっともポピュラーなのがジンギスカンだろう。このジンギスカンは、日本で考案された羊肉料理で、マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)を用いた焼肉料理の一種で、「成吉思汗」という漢字名で表記されることもある。
その名称から、モンゴルが生んだ英雄「ジンギスカン」(チンギス・ハーン)が遠征の陣営で好んで食べたなどともいわれているが、モンゴルが生んだ英雄の姿と、広大な草原のイメージが重なり、羊肉を常食するモンゴルにいかにもありそうな料理として拡大解釈されたものであるとみられる。しかし、モンゴルではもちろん羊肉を食べるが、内モンゴルの羊肉の料理は羊肉を焼いたものもあるが、塩味で煮たシュウパウロウがメーンで、いずれも日本のジンギスカンとはほど遠いものだという。
文献での「ジンギスカン」の初出は、1919(大正8)年に発行された『羊と山羊』(小谷武治農学士著)の中に、「羊鍋」「腑焼(肉を醤油にひたして網焼きにする)」など、ジンギスカンと似た料理についての記述もあるという。それが、「ジンギスカン」であるがどうかは不明。ただ、実際に「ジンギスカン」という料理名が文献に初出するのは1931(昭和6)年だという。
ジンギスカン鍋の起源として有名なのは、札幌農学校(北海道大学の前身)出身で、満洲国建国に深くかかわった駒井徳三が、1912(大正元)年から9年間の南満州鉄道社員時代に「ジンギスカン鍋」と命名したとする説があるが、この説については駒井徳三の娘の満洲野(ますの)が1963(昭和38)年に発表したエッセイ「父とジンギスカン鍋」における命名の推定以外に出典が発見されておらず、裏付けとなる確認はできていないようである。他にも色々ジンギスカン鍋の起源についての諸説があるようだが、どれが本当かはよく判らないようだ。以下参考に記載の「現場主義のジンパ学」の中の本当か駒井徳三名付け親説など読んで見られるとよい。
日本に残る最も古い緬羊の記録は、日本書紀に、「推古七年(西暦599年)の秋九月の癸亥の朔に、百済が駱駝一匹・驢(ロバ)一匹・羊二頭、白い雉一羽をたてまつった。」と記されているという。ただし産業として緬羊が飼育されるようになったのは、明治時代になってからのこと。明治維新後、欧米文化の流入とともに毛織物の需要が増大し、政府は羊毛の国内生産を目的として緬羊の飼養奨励に力を入れた。そして、1869(明治2)年に、アメリカからスパニッシュ・メリノを輸入したのを最初に、6000頭以上もの緬羊が輸入されたが、飼養管理技術や衛生対策の不備から頭数は減少し、1888(明治21)年には、第一次のこの奨励事業は失敗に終り、この事業を中止したそうだ。その後、第1次世界大戦の勃発によって羊毛が輸入できなくなったことから、1918(大正7)年に軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給をめざす「緬羊100万頭増殖計画」(第二次緬羊増殖計画)が立案されたものの、華々しい増え方はしなかったようである。それは、農家にすれば羊毛だけでは利益が少ないとみて二の足を踏んだからのようである。家庭で羊肉をたくさん食べるようになれば、つぶした羊の肉も売れるようになり、緬羊飼育での利益が増える。そうなれば農家は、本気で頭数をできるだけ増やそうとするだろう。軍隊で食べている牛肉の代わりに羊肉を食べさせるのが、羊肉の消費拡大の早道だというう意見もあったくらいだそうだ。昭和10年代には日華事変および第2次世界大戦による軍需羊毛の自給のための緬羊の飼養奨励が国策として行われた。その早期実現のために羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加を企図した。
しかし、日本人は従来、羊肉を食べる習慣がほとんどなかった。日本で受け入れられる羊肉料理を開発する必要に迫られ、農商務省は東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)に料理研究を委託した(山田喜平著「緬羊と其飼ひ方」)。その流れの中からジンギスカンが出現したものと見られているようで、1920年代にはその原型となる料理が案出されていたようである。なお、最初のジンギスカン専門店は1936年(昭和11年)に食肉商の故松井初太郎氏が東京都杉並区に「成吉思荘」を開いたのが始まりともいわれている。
余談だが、不眠時羊が「一匹、二匹」と数を数える場合があるが、これは、もともと、sheep(ヒツジ)とsleep(睡眠)をかけた一種の駄洒落に由来するものだとか。私なども昔、寝つきの悪い時よくやったものだが、余計に目が冴えてしまったよ。こんな、駄洒落で、眠れる人はいいよね~。
そういえば、ジンギスカンの名前の元ともなったモンゴル建国の英雄チンギス・ハーンを描いた映画 「蒼き狼 ~地果て海尽きるまで」(日本 原作:森村誠一、主演:反町隆史) が、2007年3月3日に公開され評判のようだね。
(画像はジンギスカン)
ジンギスカン食普及拡大促進協議会
http://www11.ocn.ne.jp/~sapsheep/j_kyogikai.html
ヒツジ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%84%E3%82%B8
家畜ヒツジの祖先種/牛の博物館
http://www.isop.ne.jp/atrui/ushi/03_back/hitsuji-6_2.html
探偵団がたどる「ジンギスカン物語」(北海道新聞)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/sapporokenbu/oh-sapporo/jingisukan/index.html
ハーディング(牧畜犬)・グループ/犬種大百科
http://www.animal-planet.jp/dogguide/directory/dir00010.html
ジンギスカンブームを思う。(前)
http://www.goodslee.com/column050807.html
ジンギスカンブームを思う。(後)
http://www.goodslee.com/column050815.html
東京ジンギス倶楽部 OFFICIAL SITE
http://www.to-jin.com/index.html
現場主義のジンパ学
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2248/jinpa12.html
第一次世界大戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
国立国会図書館デジタルアーカイブ・タイトル: 羊と山羊 小谷武治著.
http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?id=oai%3Akindai.ndl.go.jp%3A40063381-00000&cc=06_04_00&keyword=&and_or=AND
蒼き狼 地果て海尽きるまで - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10225/index.html