1944(昭和19)年の今日(4月19日)は、戦況から都内の幼稚園が無期限休園となった日。
幼稚園(独・英:kindergarten)とは、満3歳から小学校就学までの幼児を保育し、年齢に相応しい適切な環境を整え、心身の発達を助長するための教育施設のことである。
日本の場合、幼稚園は文部科学省所管の学校であり、大学までの教育体系の中の一環として組み込まれており、保育所は厚生労働省所管の児童福祉施設である。
文部科学省・学制百年史 によると、明治5年に制定された「学制」には、小学校の種類として「幼稚小学」をあげ、「幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学二入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ」(第22章)と定めているが、この幼稚小学は実現をみなかったという。理由は、当時は小学校の開設に重点が置かれ、就学前の幼児教育施設にまでは及ばなかったためである。
実際に設けられた幼児教育施設として最も早いものには、1875(明治8)年12月京都上京第三十区第二十七番組小学校(柳池小学校)に開設された「幼椎遊嬉場」である。これはドイツのフレーベル流の幼稚園を模範として設けられたようであるが、1年半ばかりで廃止され長くは続かなかったようだ。次いで、1876(明治9)年11月に東京女子師範学校付属幼稚園が開設され、これによってわが国の幼稚園は発足し、その後の発達の基礎がおかれた。これは東京女子師範学校が開設されてまもない時であった。同年11月16日開園式が行なわれた。
幼稚園の設立と教育などについては以前に私のブログ「幼稚園記念日で書いたので詳しくは触れない。また詳しくは、以下参考の「文部科学省・学制百年史 」や「幼稚園制度の普及について」などを見られると良い。
最初の幼稚園が創設されてから、その後すべての府県に少なくとも一園が設置されるまてになったのが1909(明治42)年のことで、ここまでが幼稚園の初期の普及の時期といえるのではないか。明治末年には533園だった幼稚園は1926(大正15)年ごろには1066園と倍増。大正期には新しい試みがかなり自由に行われ、園外保育やクレヨンによる塗り絵などが普及、英会話を教える幼稚園も現れたという。
そして、昭和に入り第二次世界大戦が始まり、米軍の本土爆撃が濃厚となると、空襲の危険に対処するため、1944(昭和19)年の4月19日日付けの防空総本部次官通達により、東京都内の区部にある区立50、私立270のすべての幼稚園に対して無期限休園を指示すると共に、園児の地方への疎開を勧奨した。学童集団疎開開始に先立つ4ヶ月前のことであった。
よく覚えていないが私も神戸市内から、高砂市にある親戚に疎開し、そこの幼稚園に入ったのが、この頃であった。しかし、数ヶ月で、高砂市も危険になり、住んでいられなくなったので、母方の田舎である徳島に疎開し、そこで、終戦を迎え、徳島の小学校へ入学した。
現在のわが国の学校制度は,1947(昭和22)年に制定された「学校教育法」により整備されて来た。そして、その第1条において「この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする」と規定し、学校教育法上における学校の種類を示し、ここに幼稚園は就学前教育施設として、学校制度の中に明確に位置づけられた。そして、文部省の統計によると、平成6年度の幼稚園への就園率は63,5%に達しているという。
現代の幼稚園教育は、基本的には、ドイツの幼児教育者、フリードリヒ・フレーベル教育の構想の中にあったもので、ボール遊び、積み木、お遊戯、鳥や小動物と触れ合い、母親の家事の手伝い、言葉遊び、花壇での花や野菜の栽培など、すべて体系的にフレーベルの著作の中にあるものだという。
以下参考に記載の「幼稚園ねっと」「幼稚園教育は、なぜ3歳からなのですか? 」と言う質問に対して書いているように、人間の成長過程において、3歳という段階はとても重要な意味を持っている。専門家の調査の結果、乳児期の間は家族に依存し、なんでもやってもらう生活で、それを素直に受け入れていた。ところが、3歳になると自己主張が出てくる。3歳児は自立心が芽生え、乳児期から幼児期への扉を開けようとする時期である。また、3歳児になると、しきりに「これ、なあに?」「どうして?」といったような質問を発して大人を困らせるように、知的好奇心がぐんぐん育つ時期である。そして、遊びにおいても、一人遊びとは違った、友だちと遊ぶ楽しさを味う、新しい体験をする。このように、3歳児は人間関係をはじめ子どもの世界が広がる時期である。
しかし、困った事があるようだ。『子供の非行の火種は3歳に始まる』という。結論から言うと、それは、幼児期の 育てられ方だという。幼児期に、溺愛されたことが最も大きな非行原因である」という。愛情飢餓(溺愛の逆)などで非行に走った子は、その後愛情をかければ案外容易に更正ができるが、溺愛されて育ってしまった子供は、どんなことをしてもなかなか更正できないというのである。登校拒否の子供を調べてみても、ほぼ100%が溺愛で育てられていたという結果が出ているという。その理由として、「溺愛する」→「100%わがままになる」→「親が口やかましくなり、注意する」→「徐々に親の言うことを聞かなくなる」→「子供が成長するに従い保護者に暴力をふるう」(遊ばず信頼関係ができていないのに、急に子供を注意をするから反感か敵意しか生まれない)」→「家がおもしろくない」→「非行に走る」という図式ができ上がってしまうからだという。そして、そのような子供は「我慢ができない」「耐性がない」「自分をコントロールできない」などの傾向が出てくるようだ。そして、この溺愛は母親の意識的な行動ではなく、無意識的な行動であるというところが、むしろ根の深い問題があると言っている。私達が、子どもの頃は、どこも、裕福ではなく、親も子供をかまってやれなかった。それが、幸いしていた。しかし、今は、親が、子どものことをかまいすぎている。しかも、現在幼稚園児を持つ親自体が、戦中戦後苦労した我々の年代の親からせめて子供には苦労させたくないと大事に育てられてきており、しかも一人っ子が多くなり、子供を溺愛しすぎているのである。それに、3歳児ぐらいまでは、他の動物でもそうだが、一番可愛いころである。ついついかまいすぎる。これは、心せねばならないだろう。
(画像は大正14年ごろの幼稚園での粘土工作。机上ににキューピーの粘土細工も見える。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
文部科学省・学制百年史
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/index.html
幼稚園 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92
幼稚園ねっと
http://www.youchien.net/
幼稚園制度の普及について/【国際学院埼玉短期大学研究紀要 Vol.17.1996】
http://www.kgef.ac.jp/ksjc/kiyo/960030k.htm
幼児教育の系譜と頌栄
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/syouei100nen/0_hyousi.html
第二次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
学童集団疎開の記録
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/syouei100nen/0_hyousi.html
幼稚園ねっと
http://www.youchien.net/
幼稚園記念日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/f9e01a0d9d8c16675fbf2965234c5848
松岡正剛の千夜千冊「日本の幼稚園」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0562.html
小学校開校の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%CC%F8%C3%D3%BE%AE%B3%D8%B9%BB
幼稚園(独・英:kindergarten)とは、満3歳から小学校就学までの幼児を保育し、年齢に相応しい適切な環境を整え、心身の発達を助長するための教育施設のことである。
日本の場合、幼稚園は文部科学省所管の学校であり、大学までの教育体系の中の一環として組み込まれており、保育所は厚生労働省所管の児童福祉施設である。
文部科学省・学制百年史 によると、明治5年に制定された「学制」には、小学校の種類として「幼稚小学」をあげ、「幼稚小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学二入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ」(第22章)と定めているが、この幼稚小学は実現をみなかったという。理由は、当時は小学校の開設に重点が置かれ、就学前の幼児教育施設にまでは及ばなかったためである。
実際に設けられた幼児教育施設として最も早いものには、1875(明治8)年12月京都上京第三十区第二十七番組小学校(柳池小学校)に開設された「幼椎遊嬉場」である。これはドイツのフレーベル流の幼稚園を模範として設けられたようであるが、1年半ばかりで廃止され長くは続かなかったようだ。次いで、1876(明治9)年11月に東京女子師範学校付属幼稚園が開設され、これによってわが国の幼稚園は発足し、その後の発達の基礎がおかれた。これは東京女子師範学校が開設されてまもない時であった。同年11月16日開園式が行なわれた。
幼稚園の設立と教育などについては以前に私のブログ「幼稚園記念日で書いたので詳しくは触れない。また詳しくは、以下参考の「文部科学省・学制百年史 」や「幼稚園制度の普及について」などを見られると良い。
最初の幼稚園が創設されてから、その後すべての府県に少なくとも一園が設置されるまてになったのが1909(明治42)年のことで、ここまでが幼稚園の初期の普及の時期といえるのではないか。明治末年には533園だった幼稚園は1926(大正15)年ごろには1066園と倍増。大正期には新しい試みがかなり自由に行われ、園外保育やクレヨンによる塗り絵などが普及、英会話を教える幼稚園も現れたという。
そして、昭和に入り第二次世界大戦が始まり、米軍の本土爆撃が濃厚となると、空襲の危険に対処するため、1944(昭和19)年の4月19日日付けの防空総本部次官通達により、東京都内の区部にある区立50、私立270のすべての幼稚園に対して無期限休園を指示すると共に、園児の地方への疎開を勧奨した。学童集団疎開開始に先立つ4ヶ月前のことであった。
よく覚えていないが私も神戸市内から、高砂市にある親戚に疎開し、そこの幼稚園に入ったのが、この頃であった。しかし、数ヶ月で、高砂市も危険になり、住んでいられなくなったので、母方の田舎である徳島に疎開し、そこで、終戦を迎え、徳島の小学校へ入学した。
現在のわが国の学校制度は,1947(昭和22)年に制定された「学校教育法」により整備されて来た。そして、その第1条において「この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする」と規定し、学校教育法上における学校の種類を示し、ここに幼稚園は就学前教育施設として、学校制度の中に明確に位置づけられた。そして、文部省の統計によると、平成6年度の幼稚園への就園率は63,5%に達しているという。
現代の幼稚園教育は、基本的には、ドイツの幼児教育者、フリードリヒ・フレーベル教育の構想の中にあったもので、ボール遊び、積み木、お遊戯、鳥や小動物と触れ合い、母親の家事の手伝い、言葉遊び、花壇での花や野菜の栽培など、すべて体系的にフレーベルの著作の中にあるものだという。
以下参考に記載の「幼稚園ねっと」「幼稚園教育は、なぜ3歳からなのですか? 」と言う質問に対して書いているように、人間の成長過程において、3歳という段階はとても重要な意味を持っている。専門家の調査の結果、乳児期の間は家族に依存し、なんでもやってもらう生活で、それを素直に受け入れていた。ところが、3歳になると自己主張が出てくる。3歳児は自立心が芽生え、乳児期から幼児期への扉を開けようとする時期である。また、3歳児になると、しきりに「これ、なあに?」「どうして?」といったような質問を発して大人を困らせるように、知的好奇心がぐんぐん育つ時期である。そして、遊びにおいても、一人遊びとは違った、友だちと遊ぶ楽しさを味う、新しい体験をする。このように、3歳児は人間関係をはじめ子どもの世界が広がる時期である。
しかし、困った事があるようだ。『子供の非行の火種は3歳に始まる』という。結論から言うと、それは、幼児期の 育てられ方だという。幼児期に、溺愛されたことが最も大きな非行原因である」という。愛情飢餓(溺愛の逆)などで非行に走った子は、その後愛情をかければ案外容易に更正ができるが、溺愛されて育ってしまった子供は、どんなことをしてもなかなか更正できないというのである。登校拒否の子供を調べてみても、ほぼ100%が溺愛で育てられていたという結果が出ているという。その理由として、「溺愛する」→「100%わがままになる」→「親が口やかましくなり、注意する」→「徐々に親の言うことを聞かなくなる」→「子供が成長するに従い保護者に暴力をふるう」(遊ばず信頼関係ができていないのに、急に子供を注意をするから反感か敵意しか生まれない)」→「家がおもしろくない」→「非行に走る」という図式ができ上がってしまうからだという。そして、そのような子供は「我慢ができない」「耐性がない」「自分をコントロールできない」などの傾向が出てくるようだ。そして、この溺愛は母親の意識的な行動ではなく、無意識的な行動であるというところが、むしろ根の深い問題があると言っている。私達が、子どもの頃は、どこも、裕福ではなく、親も子供をかまってやれなかった。それが、幸いしていた。しかし、今は、親が、子どものことをかまいすぎている。しかも、現在幼稚園児を持つ親自体が、戦中戦後苦労した我々の年代の親からせめて子供には苦労させたくないと大事に育てられてきており、しかも一人っ子が多くなり、子供を溺愛しすぎているのである。それに、3歳児ぐらいまでは、他の動物でもそうだが、一番可愛いころである。ついついかまいすぎる。これは、心せねばならないだろう。
(画像は大正14年ごろの幼稚園での粘土工作。机上ににキューピーの粘土細工も見える。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
文部科学省・学制百年史
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/index.html
幼稚園 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92
幼稚園ねっと
http://www.youchien.net/
幼稚園制度の普及について/【国際学院埼玉短期大学研究紀要 Vol.17.1996】
http://www.kgef.ac.jp/ksjc/kiyo/960030k.htm
幼児教育の系譜と頌栄
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/syouei100nen/0_hyousi.html
第二次世界大戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
学童集団疎開の記録
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/syouei100nen/0_hyousi.html
幼稚園ねっと
http://www.youchien.net/
幼稚園記念日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/f9e01a0d9d8c16675fbf2965234c5848
松岡正剛の千夜千冊「日本の幼稚園」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0562.html
小学校開校の日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%CC%F8%C3%D3%BE%AE%B3%D8%B9%BB