今日(5月11日)は、「梶葉忌」。「産業スパイ」小説生みの親・梶山季之の1975(昭和50)年の忌日。
梶山 季之(かじやま としゆき)は、父が朝鮮総督府に勤務の為、1930(昭和5)年1月2日 朝鮮京城で生まれた。敗戦後両親の郷里・広島県に引き揚げ、1953(昭和28)年広島高等師範学校(現・広島大学)卒業後上京。「新思潮」等の同人に加わり、創作活動に励む。後に、「週刊明星」と「週刊文春」の創刊時より関わり、ルポライターとして活躍、 "トップ屋"の異名を奉られる。 1962(昭和37)年『黒の試走車』で作家としてデビュー。トップ屋をやめ以後さまざまな分野の作品を発表し、流行作家となる。1969(昭和44)年には、文壇所得番付第一位となったという。1975(昭和50)年5月、取材先の香港で急死した(食道静脈瘤破裂・肝硬変)。45歳の若さであった。
かつてトップ屋、社会派、創刊号男、といわれた作家も晩年は繁栄する世相を反映しエロティシズムへの傾斜を深め、最後には、"ポルノ作家"とまでいわれたが、1963年に『李朝残影』という朝鮮を舞台とした珠玉の短編を書き、これが第49回直木賞候補となったが惜しくも落選。 もし、ここで賞を取れれば、後半生の作品は変わっていただろうといわれている。
「産業スパイ」という言葉〈流行語〉を生んだ『黒の試走車』は、高度成長期の日本で、3種の神器(3C:カー、クーラー、カラーテレビ))と謳われた欲望の象徴・自動車をめぐって、各メーカーが熾烈な争いを繰り広げるライバル会社を欺き、出し抜き、機密を盗み出す“産業スパイ”の世界をあますところなく描き、1962(昭和37)に発表されるや一躍ベストセラーとなり、「企業小説」という新ジャンルを開拓した傑作である。この小説は、同年大映により黒シリーズの第1作として、田宮二郎主演で、同名『黒の試走車(テストカー)』で映画化され、映画も大ヒットした。当時推理小説に夢中になっていた私は、この、『黒の試走車』をはじめ『赤いダイヤ』などの企業小説という分野のものは夢中になって読んだのを思い出す。
『黒の試走車』では、朝比奈(田宮二郎)は自分の彼女、昌子(叶順子)をライバルメーカー、業界最大手ヤマト自動車の企画部長に接近させる。そして、新車に関する重要書類を盗み出したが、貞操を奪われる。高価な代償のおかげでタイガーはヤマトを敗った。勝利の喜びにひたっているとき・・とその後も事件が続き、最後に朝比奈は、会社に辞表を出すと街に飛び出し、傷心の昌子の許へ走るのだった……。今までの産業スパイの主流は、人を媒体とした極秘情報の盗用であったが、現代の産業スパイは、このようなものではない。
この頃では、昨年、トロイの木馬ソフトを使って大手企業数社に潜入したとされる産業スパイ組織が、イスラエルの警察に摘発されたといった事件もあったが、今一番話題になっているのは、米国の同時多発テロ以降、軍事情報収集に威力を発揮し注目を集めた「エシュロン(Echelon)」。「エシュロン」とは、米・英・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの五か国の諜報機関によって運営されていると言われている衛星通信傍受システムの呼び名である。冷戦下においては主として軍事目的に利用されていたが、冷戦終結に伴いその目的は産業スパイ用に転化し、経済競争において米国企業を有利に導く役割を果たしているとされれているそうだ。衛星を介して行われる国際電話やファックスはいうまでもなく、海底ケーブルや光ケーブルでも盗聴が可能であるという。インターネットやEメールなども含め、世界全体で一時間に数百万の通信を傍受し自動的に分析できるといわれ、世界10ヵ所あるいは11ヵ所の米軍施設に設置されているといい、そのなかには、日本の青森の三沢基地にも施設があると指摘されるており、個人・企業の情報管理に対する日本の対応が問われているという。
「トラトラトラ」と言って真珠湾を奇襲攻撃した日本たが、この攻撃も米国には無線で傍受され、主力は避難した後であったという。当時米国市民は戦争などする気がなくチャールストンを愉しんでいた。そのような市民を戦争に駆り立てるため、ハワイを攻撃がされるとわかっていながら市民を犠牲にしたといわれている。このことによって、米国市民は日本の卑怯な奇襲攻撃に怒り、本気で戦争をし日本を叩く気になったといわれている。昔からの武力による戦争であれ、今日における経済戦争であれ、情報を制し、利用したものが勝利する。
私も、現役時代、会議などで、企業の情報管理について、色々討議をしてきたが、兎に角、性善説に立った管理をしている日本企業の情報管理は非常に甘いと言える。このようなことでは、性悪説にたっている欧米企業に敗北するだろうね~。
(画像は梶山 季之 著:黒の試走車 。角川文庫―リバイバルコレクションエンタテインメントベスト20)
参考:
電子版 梶山季之資料館 TOPページ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/kenha/kaji_s.html
梶山季之 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%B1%B1%E5%AD%A3%E4%B9%8B
黒の試走車 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD20763/index.html?flash=1
ITmedia エンタープライズ:トロイの木馬使った産業スパイ事件 ...
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0506/01/news014.html
デジタルの力をてこにして他国に信頼されるために
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2002_10/2002_10_24.html
松岡正剛の千夜千冊『せどり男爵数奇譚』梶山季之
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0536.html
梶山 季之(かじやま としゆき)は、父が朝鮮総督府に勤務の為、1930(昭和5)年1月2日 朝鮮京城で生まれた。敗戦後両親の郷里・広島県に引き揚げ、1953(昭和28)年広島高等師範学校(現・広島大学)卒業後上京。「新思潮」等の同人に加わり、創作活動に励む。後に、「週刊明星」と「週刊文春」の創刊時より関わり、ルポライターとして活躍、 "トップ屋"の異名を奉られる。 1962(昭和37)年『黒の試走車』で作家としてデビュー。トップ屋をやめ以後さまざまな分野の作品を発表し、流行作家となる。1969(昭和44)年には、文壇所得番付第一位となったという。1975(昭和50)年5月、取材先の香港で急死した(食道静脈瘤破裂・肝硬変)。45歳の若さであった。
かつてトップ屋、社会派、創刊号男、といわれた作家も晩年は繁栄する世相を反映しエロティシズムへの傾斜を深め、最後には、"ポルノ作家"とまでいわれたが、1963年に『李朝残影』という朝鮮を舞台とした珠玉の短編を書き、これが第49回直木賞候補となったが惜しくも落選。 もし、ここで賞を取れれば、後半生の作品は変わっていただろうといわれている。
「産業スパイ」という言葉〈流行語〉を生んだ『黒の試走車』は、高度成長期の日本で、3種の神器(3C:カー、クーラー、カラーテレビ))と謳われた欲望の象徴・自動車をめぐって、各メーカーが熾烈な争いを繰り広げるライバル会社を欺き、出し抜き、機密を盗み出す“産業スパイ”の世界をあますところなく描き、1962(昭和37)に発表されるや一躍ベストセラーとなり、「企業小説」という新ジャンルを開拓した傑作である。この小説は、同年大映により黒シリーズの第1作として、田宮二郎主演で、同名『黒の試走車(テストカー)』で映画化され、映画も大ヒットした。当時推理小説に夢中になっていた私は、この、『黒の試走車』をはじめ『赤いダイヤ』などの企業小説という分野のものは夢中になって読んだのを思い出す。
『黒の試走車』では、朝比奈(田宮二郎)は自分の彼女、昌子(叶順子)をライバルメーカー、業界最大手ヤマト自動車の企画部長に接近させる。そして、新車に関する重要書類を盗み出したが、貞操を奪われる。高価な代償のおかげでタイガーはヤマトを敗った。勝利の喜びにひたっているとき・・とその後も事件が続き、最後に朝比奈は、会社に辞表を出すと街に飛び出し、傷心の昌子の許へ走るのだった……。今までの産業スパイの主流は、人を媒体とした極秘情報の盗用であったが、現代の産業スパイは、このようなものではない。
この頃では、昨年、トロイの木馬ソフトを使って大手企業数社に潜入したとされる産業スパイ組織が、イスラエルの警察に摘発されたといった事件もあったが、今一番話題になっているのは、米国の同時多発テロ以降、軍事情報収集に威力を発揮し注目を集めた「エシュロン(Echelon)」。「エシュロン」とは、米・英・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの五か国の諜報機関によって運営されていると言われている衛星通信傍受システムの呼び名である。冷戦下においては主として軍事目的に利用されていたが、冷戦終結に伴いその目的は産業スパイ用に転化し、経済競争において米国企業を有利に導く役割を果たしているとされれているそうだ。衛星を介して行われる国際電話やファックスはいうまでもなく、海底ケーブルや光ケーブルでも盗聴が可能であるという。インターネットやEメールなども含め、世界全体で一時間に数百万の通信を傍受し自動的に分析できるといわれ、世界10ヵ所あるいは11ヵ所の米軍施設に設置されているといい、そのなかには、日本の青森の三沢基地にも施設があると指摘されるており、個人・企業の情報管理に対する日本の対応が問われているという。
「トラトラトラ」と言って真珠湾を奇襲攻撃した日本たが、この攻撃も米国には無線で傍受され、主力は避難した後であったという。当時米国市民は戦争などする気がなくチャールストンを愉しんでいた。そのような市民を戦争に駆り立てるため、ハワイを攻撃がされるとわかっていながら市民を犠牲にしたといわれている。このことによって、米国市民は日本の卑怯な奇襲攻撃に怒り、本気で戦争をし日本を叩く気になったといわれている。昔からの武力による戦争であれ、今日における経済戦争であれ、情報を制し、利用したものが勝利する。
私も、現役時代、会議などで、企業の情報管理について、色々討議をしてきたが、兎に角、性善説に立った管理をしている日本企業の情報管理は非常に甘いと言える。このようなことでは、性悪説にたっている欧米企業に敗北するだろうね~。
(画像は梶山 季之 著:黒の試走車 。角川文庫―リバイバルコレクションエンタテインメントベスト20)
参考:
電子版 梶山季之資料館 TOPページ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/kenha/kaji_s.html
梶山季之 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B6%E5%B1%B1%E5%AD%A3%E4%B9%8B
黒の試走車 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD20763/index.html?flash=1
ITmedia エンタープライズ:トロイの木馬使った産業スパイ事件 ...
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0506/01/news014.html
デジタルの力をてこにして他国に信頼されるために
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2002_10/2002_10_24.html
松岡正剛の千夜千冊『せどり男爵数奇譚』梶山季之
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0536.html