「秋の空澄み菊の香高き今日の良き日を皆寿ぎて」の一小節は、何時でも、すらすらと口から声となって出てくる明治節の歌である。それほどに、小学生時代の明治節は、気持ちもさわやかに祝日として、学校から皆が蜜柑を貰える日、恐らく、全国民の楽しく思い出に残る清々しい祭日であった。今は文化の日となって、その上(かみ)の文化を語る由も無く、人は唯、休日を楽しんで過ごしているのみであろう。それで現代は良いかもしれないが、昔からの吾が大和民族の、到底醇風美俗を、継承されない憾みが残るのは、已むを得ないものなのであろうか!
メイとの散歩はいつもの公園で、見知らぬ犬に遭った為、運動もできなかった。止むをえずメイの、足の向くままに街路を歩いて緑道に入り、往復散策して帰宅した。公園で鞠投げも出来なかった為、家の廊下で家内と何時もの鞠投げを行って、朝の行事を全う出来たことが、今朝のあらましである。今日は秋晴れの清々しい快晴の予報とは違って、一向に天気が霸れて来ない。午后にでもなれば回復して、お天道様も顔を出して呉れるかも知れない。何だか少し薄ら寒い陽気になってしまった。午前11時頃学校の理事長から電話を戴き、理事の小原さんが瑞宝章小受章を授章されたことを知った。早速自宅に電話して喜びを共にしたところである。又大学の後輩内野君が同様授章したので、港区の自宅に電話してお祝いを言上した次第である。午前中の仕事はこれで終わった。
午后からは小憩の後、午睡を楽しみ体力を温存回復して、明日の学生への講義に精出して、頑張ろうかと思う。
メイとの散歩はいつもの公園で、見知らぬ犬に遭った為、運動もできなかった。止むをえずメイの、足の向くままに街路を歩いて緑道に入り、往復散策して帰宅した。公園で鞠投げも出来なかった為、家の廊下で家内と何時もの鞠投げを行って、朝の行事を全う出来たことが、今朝のあらましである。今日は秋晴れの清々しい快晴の予報とは違って、一向に天気が霸れて来ない。午后にでもなれば回復して、お天道様も顔を出して呉れるかも知れない。何だか少し薄ら寒い陽気になってしまった。午前11時頃学校の理事長から電話を戴き、理事の小原さんが瑞宝章小受章を授章されたことを知った。早速自宅に電話して喜びを共にしたところである。又大学の後輩内野君が同様授章したので、港区の自宅に電話してお祝いを言上した次第である。午前中の仕事はこれで終わった。
午后からは小憩の後、午睡を楽しみ体力を温存回復して、明日の学生への講義に精出して、頑張ろうかと思う。