本土決戦を前にこれが最初で最後になるかも知れないとの帰省を許されて、故郷の父母に挨拶のため、急遽故郷の駅に到着した。実家への途上で神社にお祈りを捧げ、隣接の写真店で最期の記念の写真を撮り、自宅へ向かった。出征兵士の家族として父母と姉が緊張した面持で喜んで迎えてくれた。陸士入校以来初めて、然も最期になるかも知れない帰省。この時日本の戦争状況は頗る悪く連合軍に追い詰められていて本後決戦を迫られ一が撥かの勝負どころであった。そんな事態を知る由もなく、平松区隊長から最期の帰省だ!行って来いとのご好意で、何故か私だけ帰省が実現し幸運であった。帰宅して軍装を解く間もなく、陸士の話、戦の現況などを会話して昼食後そそくさと軍装して、不動尊を参拝、そして岡古井の親戚一同、小学校の高橋爺や、級友峰岸君実家、いずれも男手は無く遺・家族の人達に、極めて簡単に別れを告げて、再び帰宅、この間父は、ずーっと私の後を付けて自転車で付き添っていてくれていた事に、感動を覚えた。若しかすると父は、最期の帰省の今日こそが今生の別かれかなと切羽詰まった意識と、戦争状況下での判断の為せる業かも知れない。私には少しも他人からみての武者振いなど無く、只管国家の為に一身を投げ打つ、至誠尽忠の覚悟のみで、やや悲壮感は窺い知れたかも知れない。父母、故郷の神社仏閣にお参りして、清心清浄な覚悟と心情のみであった。僅かの時間面談した家族は、戦時下での悲愴感を抱いていたかも知れない。朝霞の陸士と故郷とでは、同じ県内と言っても交通は不便で、その往来には数時間も掛かり、実家に居られたのは、たったの一時間足らずでしか無かった。急ぎ帰途午后5時迄に校門に入り、教官へ帰校の報告をした事は言うまでも無い。当時の事柄に付いては、今でも記憶は鮮明で、懐かしさが込み上げてくる次第である。さて東京は昨日で真夏日が4日連続、気象台始まって以来の記録的な猛暑の連続、しかも5日目の由であった。今朝のメイとの朝の散歩は何時もの通りで元気であった。晴れて暑い日和で、屋上からは富士山が綺麗に眺められ、思わず故郷の空を望んで礼拝した次第である。